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🗾シニアバックパッカーの旅 2014年2月17日、18日 沖縄 西表島など

公開日: : 最終更新日:2023/06/13 シニアバックパッカーの旅, 国内観光

米軍占領下の沖縄貨幣経済 B円

B円(ビーえん)は、1945年から1958年9月まで、米軍占領下の沖縄県や鹿児島県奄美群島(トカラ列島含む)で、通貨として流通したアメリカ軍発行の軍用手票(軍票)。これらの地域においては、1948年から1958年まで唯一の法定通貨だった。日本国内で法定通貨とされた唯一の外国軍票であり、本土地域でも1945年から1948年にかけて短期間ではあるが少量流通している[1]。

琉球列島米国軍政府(のちの琉球列島米国民政府)による正式名はB型軍票[2][3]。日本政府の官報公示上はB号円表示補助通貨と称していた[4][5]。B式軍票[6]、B号軍票[7]、B円軍票[8]、B軍票[9]と呼ばれることもあるが、全て同じものを指す。英語表記はType “B” Military Yenで[3]、Type “B” Yen[10]、Yen B type、B-yenなどとも表記される。

硬貨はなく全て紙幣であり、デザインは人物肖像や風景などの具象的なものではなく彩紋模様のみであったが、これは主に朝鮮半島のアメリカ軍占領地域で使用されたA円の軍票と共通したものであった[6]。

後述の紆余曲折を経て、1958年9月16日に琉球列島米国民政府高等弁務官布令第14号「通貨」によって廃止された[2]。同日から通貨交換が実施され(レートは1ドル = 120B円)[2]、数度の期間延長の後に最終的に同年11月29日まで通貨交換が行われた[10]。

1958年9月15日に公布された米国民政府高等弁務官布令第14号「通貨」により、1958年9月16日から20日にかけてアメリカドルへの通貨切り替えが行われて、B型軍票は廃止された[10]。のちに高等弁務官布令第15号「通貨交換」および同第16号「通貨交換期間の延長」により交換期限が2度にわたり延長され、最終的に同年11月29日まで通貨交換が行われた[10]。

これはアメリカドルの導入(通貨代替(英語版))により外国資本を積極的に呼び込み、雇用創出と新しい技術知識の導入を図ろうとする政策であった[2]。B型軍票を軍票から通常の通貨に転換して沖縄独自の通貨とすることも検討されていたが、前述の理由や手続きの簡便性も考慮しアメリカドルをそのまま導入することとなった[18]。その反面、アメリカドルの発行権はアメリカ合衆国にあるために沖縄独自の通貨政策を取ることは困難となり、後にニクソン・ショックの影響を直接的に被る一因ともなった[28]。

なお、この時点で奄美群島(トカラ列島含む)は既に本土復帰していたため、アメリカドルの導入範囲は沖縄県内のみに限られている。

1972年5月15日の沖縄県本土復帰に伴い法定通貨が日本円に復し[20]、同日から5月20日にかけてアメリカドルから日本円への通貨切替が行われた[18]。なお5月20日まではドルも併用が認められていた[29]。交換用の日本円の紙幣・硬貨は海上自衛隊の輸送艦により本土から輸送され、同年5月2日から3日にかけて沖縄に搬入された[29][注 7]。

1ドル = 305円とする交換が行われたが[23]、前年の1971年8月27日に実施された変動為替相場制への移行にともないドル下落が発生し、この影響で保有する現金資産が目減りすることになる沖縄県内では1972年2月に通貨ストが発生するなど混乱がみられた為、琉球政府と日本政府により極秘に準備が行われ[注 8]1971年10月9日実施の通貨確認の時点で個人が保有するドル現金および預金については本土復帰後に差額分(1ドルあたり55円)を日本政府が補償することで1ドル = 360円とされた[注 9][30]。

様々な対策が取られたものの変動為替相場制への移行の影響に加えて法定通貨の変更に伴う便乗値上げが相次いだため、第五次通貨交換の前後には物価が高騰し生活必需品の買い占めが発生するなど[29]、沖縄県内において経済的な混乱が発生することとなった[31]。

 

 

インカ帝国と共通する縄文字

結縄(けつじょう)は、紐や縄などの結び目を用いた記憶補助手段、もしくは原始的な情報媒体である。南米のインカ帝国下に行われたキープが最もよく知られているが、同様の方法が世界各地に伝わっている。このような記録方法は今日でも、カトリックのロザリオや仏教の数珠、ハンカチの結び等にも見ることができる。

結縄は刻木(英語版)などとともに事物文字の一種に分類され、文字使用に至る先行段階と見なされる。言語の形式の単位、すなわち音素の単位や意味の単位との対応関係は一定ではなく、恣意的であったため、本来の意味での文字のレベルには達しなかったものと考えられている[2]。しかし、なかには言語との対応関係が見られるものもある。

琉球諸島では文字使用を許されなかった庶民の間の記録法としてスーチューマやカイダ文字などと並び、藁算(ワラザン・バラザン)と呼ばれる結縄の慣習が行われていた。スーチューマやカイダ文字は比較的上層の人々が用いたのに対して、一般庶民は、藁あるいはイグサの結び方によって数量を表す方法を用いたのである。これには人数を表すもの、貢納額を表すもの、材木の大きさを表すもの、祈願用のものがあった[27]。明治期に初めて藁算の考察を残した民俗学者の田代安定は、特に八重山地方において普及が著しく、ここでは会計上の意味を超えて、禁止や告訴、命令などの文書的通達に代わる「会意格」の用法があることを記している[28]。

 

 

 

 

 

 

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