シニアバックパッカーの旅 2019.10.07 ㉗仏海外領 ウォリス・フツナ
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最終更新日:2023/05/19
シニアバックパッカーの旅
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いよいよウォリツフツナ。54000円。同一日利用の往復切符はネットでは購入できず、行き、帰り、別々に購入した。週2便しかない。現地到着が13:20で、現地出発が14:45。チェックインが一時間前とすると、入国手続しないで、トランジットで戻るしかないかもしれないが、覚悟の上のこと。サモアですませた電子搭乗券には、帰りの搭乗時間開始が14:10とある。荷物がないから、それまでに手続きを済ませればいいということだ。時刻表通りだと50分で入国、出国、セキュリティを済ませればいい。おかしなやつだと疑われて、時間がかかると困るが、私のパスポートを見れば、アイランドホッパーだと理解してくれるだろう。 人口1万五千足らずの島。王様が三人もいる。大統領はマクロン。ニューカレドニア領だったが、現在は準海外県。主な収入は、本国からの援助。しかもウベアは外れの島。 いよいよナンディ出国ゲートでスマホのボーディングを見せる。係員はわからないらしく紙の搭乗券をもらってこいという。案の定だか、時間はたっぷりあるのでスマホを見せて、納得できないといい、マネージャーと相談してくれと言い放つ。エアフィジーと異なり、チェックインカウンターで搭乗券を渡すとはなってない。搭乗券をスマホに出しているのに、周知していない。マネージャーがきたものの、拉致があかないので、紙の搭乗券を出してもらうことにした。マネージャーの采配で、列に並ばずに搭乗券を出したので、妥協した。エアカランから送られてきたメールには、残念ながら日本語だが、この電子搭乗券は、保安検査官に見せる必要があると、ご丁寧に書いてある。しかし多勢に無勢だから仕方がない。 さて、それならばと、帰りの紙の搭乗券も出してくれとエアカランに言ったら、フィジーではできないという。しかも、帰りの飛行機に乗るには、滞在時間が一定時間長くないとダメだという。多分往復航空券販売のことを言っているのだろう。エアカラン担当の女性係員は生半可な知識を披露しているわけだ。素人航空会社社員相手に面倒だから、トランジットで戻るといったら、おかしなことに納得し、逆に出国カードは書かなくてよくなった。出国係官は、はなからカードを要求しないので、あのカードはなんなのだろうとおもう。 空港の待合室ロビー、宿の女主人から電話、ベッドを二つ使ったので、もう一泊分払えという。25フィジードル1200円だから払ってもいいが、帰ってから考えよう。場合によってはエースホテルの方が、犬がいなく楽かもしれない。 こちらのペットボトルは、中にはキチンと閉まらず、少し裏漏れがするものがあるようで、バックの中に入れておくには注意が必要。サモアの宿にボトルを忘れてきたのは失敗だった。 ロビーにいると、観光局に雇われたアルバイトの人がタブレットでアンケート調査にくる。行き先と、国籍、ファースト名前と電子アドレスだけ記入だから、あまり意味がなくあとで何か聞いてくるのだろう。電子搭乗券のことを話したが全く関心がないので、拍子抜けした。 搭乗が始まった。受付は朝いた係員と同じだから紙を見せないとダメだろう。機内の白人乗員にはスマホの搭乗券を見せたら、スッととおしてくれた。抑えた席が12Aだったが、翼の上でもっと前にしておくべきだった。ナンディで乗り込んできた客は白人が多い。わたしより前の席に集中しているのは、理由があるのか。まあ、窓側が確保できただけでも良しとする。驚いたことに満席に近くなってきた。 一時間五十分の旅、曇りで27度。だんだんトランジットコースになっきた。無理に入国すると気持ちが焦り、失敗するかもしれない。 グーグルマップを見ているのだが、GPSマークが出ない。電話が通じないのは理解できるが、GPSが出ないのは理解できないので、地図を広域に広げると、サモア寄りのウベア島にマークがでた。一瞬慌てたが、おもいだした。旅程の関係上、フツナでなく、ウベアにしたことを思い出した。 案ずるより産むが易しで、あっという間に入国。そもそもトランジット用のゲートなどない。白人の係員が、日本のパスポートはどうかと仲間に質問。ビザがいるか聞いているのだろう。次に税関。やはり白人。お金はどれくらい持っているかときかれ、恥ずかしいくらい少ないと、財布のなかをみせる。7〜8ユーロに米ドル、豪州ドルが入っている。OK。 空港施設の外には島の人全員ではないかと思われるくらいの人だかり。余裕で写真撮影。タクシーや宿の売り込みもない。タクシーもホテルもないのかもしれない。 入国できた満足感に浸る余裕もなく、写真を何枚か撮って、出国手続きに向かう。やはり何かあると心配だから、早めに手続き。係員がスタンプを場所を選んでおしてくれた。フィジーの役人と比べるとはるかにフレンドリー。電子搭乗券も全く問題がない。どっちが都会かと思いたくなった。フィジーは、観光施策風土記を書くネタが出来て良かったとおもうことにした。 ナンディに戻る。税関の若手職員が疑いを抱いたのか、しつこく持ち物検査をする。何度も出入りをしているからなのかわからないが、疑いをもたれた。ウォリスフトゥナの関税職員の態度と比較してしまい、10日にもまた、ツバルから戻ってくるから、よろしくと嫌味を言ってわかれた。 到着口にインフォメーションセンターがある。今まで気にもしなかったが、今回はトンガに出かける日は、日中時間があるので、市内見学を予定した。バスの乗り方を聞いた。空港のボーダフォンの店でバスチケットをうっていて、片道1ドルだそうだ。バスストップは、空港の外にあると言う。地元の人が使うのかもしれない。 宿に戻る。犬は相変わらず吠える。家主を呼び出す。家主は昨夜ベッドを二つ使ったことに文句を言い、25払えと言う。仕方がないので支払う。というか、そのため両替してきたのだから渡す。どうもベッドメイキングは下請けに出しているので余計に金がかかったようだ。 予定通り別の部屋にかえられた。今度はシングルの個室。ただwifiが届かず、外に出なければならないのが難点。林さんから、新潟空港での実習に関してメールがきていた。ランデルさんからは、JTBとの交渉経過について連絡があった。宿には朝五時に出るとつたえた。犬が吠えたら困るので、電話することにした。朝の五時は真っ暗だから。
10月7日 | NAN | SB330 | WLS |
月 | 11:55 | 13:20 | |
WLS | SB331 | NAN | |
14:45 | 16:15 |
予備知識 島民の人口は、合計で約1万3000人近い 。 主産業はココヤシから採れるコプラ、手工芸、海産物であるが、コプラを主とする輸出に比べ、食物や工業製品などの輸入が圧倒的に多い。労働人口の80%はココヤシ・ココナッツ・野菜などの農業、畜産業、漁業に従事し、4%は政府職員である。領域の主な収入はフランス本国の助成金、日本や韓国によるマグロなどの漁業権、関税、ニューカレドニアに出稼ぎした住民の仕送りなどである。


小野林太郎「ウォリス・フツナ諸島」/ 吉岡政徳・石森大和編著『南太平洋を知るための58章 メラネシア ポリネシア』明石書房 2010年 239ページ コンチキ号 カーゴカルト
ワリス・フテュナ諸島は、南太平洋のフィジーの北、サモアの西に位置。17世紀にオランダ人がフテュナ諸島を、18世紀にイギリス人がワリス諸島を発見、19世紀にフランスが領有。住民投票を経て1961年にフランスの海外領土となる。
ワリス・フテュナは3つの伝統的な王国に分けられる。ウベア島のウベア、フテュナ島西部のシガベ、アロフィ島およびフテュナ島東部のアロの3つで、それぞれの王国に首長として王が存在。首都はマタウトゥ、最も人口の多いウベア島の東海岸、ハハケ地区にある。ウベア島北部のヒヒフォ地区には国際空港があり、フィジー、ニューカレドニア、タヒチなどとの間で定期便が運行。
旅行ガイドでも情報が少ない国で、とても神秘的。観光するならウベア島を散策。見どころは王宮や島のあちらこちらにある石造りの教会。美しいサンゴ礁に囲まれた島。
1842年4月5日、先住民たちの間で反乱が起こり、これに対して他の先住民たちはフランス人に保護を求めた。1887年4月5日、ウベア島の女王は公式にフランス保護領となる条約に調印し、残るシガベとアロの王たちも1888年2月16日に保護領となる条約に調印し、これらの島々はフランスのニューカレドニア植民地の管理下に置かれた。
1917年、3つの王国はフランスに併合され、フランスの植民地ウォリス・フツナとなったが、未だニューカレドニアの管轄下にあった。第二次世界大戦後の1959年、独立した領土となるための住民投票が行われ、1961年にフランスの海外領土(Territoire d’outre-mer、TOM)に昇格し、ニューカレドニアの一部から脱した。2003年に海外準県に移行している。
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