① 父親の遺言であるイラワジ河散骨旅行 ~『両忘』~2016年5月
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最終更新日:2016/11/25
海外旅行感想
2015年12月9日亡くなった父信次の遺言である、イラワジ河での散骨の実施を計画した。
妹の予定と調整して5月18日から実施することにした。
ミャンマーのどこで散骨するかを決めなければならず、『両忘』を読み直す。
前半の中国戦線は勝ち戦であり、余裕のある記述であるのに対して、インパル作戦の失敗の後の戦線に大隊長として送られたのだから、死を覚悟したようだ。
中国戦線をはなれたのは、陸軍大学入学のためであったが、ミャンマー行は、士官学校教官をやめて赴任しているから、大きな違いだ。
1944年10月、台北、サイゴンに各一泊してシンガポールに到着したようだ。護衛のない飛行機での移動だったから敵に見つかれば即死だ。それでも兵士が送られる輸送船よりははるかに安全だったはずだ。
ラングーンからの迎えのトラックに乗車してジャングルに隠れて夜間運航を繰り返して、メークテーラーでは爆撃にあいながらマンダレーを通過して56師団第33軍に急行したと既述がある。16倍の優勢な敵との交戦が始まるのであった。
なお、NHK「シリーズ証言記録 兵士たちの戦争」北部ビルマ密林に倒れた最強部隊福岡県陸軍18師団」というDVDが市販されており、父の両忘を読むうえでも参考になる。
イラワジ河本流が直接流れる場所はマンダレーなので、散骨はマンダレーに決めた。
ラシオにある軍司令部で辻正信参謀から人肉料理で歓待を受けたと記述されている。辻参謀は加賀市東谷地区出身であるから、父の故郷三国が近いことを知って歓待してくれたようだが・・・。軍司令部を後にして、雲南省にたどり着く過程で、米英からの膨大な軍需物資を輸送する援蒋ルートを夜間走行し、完全舗装の道路に驚いたようだ。機会があれば雲南省からミャンマーへの旅行をしてみたいものだ。
戦争中のことはミャンマーだけでも200ページにわたり記述されており、とても全部を要約できないが、私なりに記憶に残ることを三つ記述しておく。
一つは野戦病院の実態と多数の戦場忌避者のことである。徴兵逃れどころか戦場逃れがいるのは想像ができ、勇敢な日本兵もいれば、ずるい日本兵もいるのだという普遍的なことを改めて理解しただけである。父親はこのような兵士をすぐに戦場に送り返したようだ。私は、自分が激戦の戦場でどのような対応ができるのか、とても自信がない。
二つ目は、ヘイホの戦闘での虐殺事件である。いまでもヘイホには飛行場があり、インレー湖等への窓口である。今回もヘイホへの旅行を考えたが、イラワジ河湖畔ではなく次回にすることにした。『両忘』では丙高地と地図が乗っているが、そこの土着民たちが退避しなっかたようだ。某少尉が夜陰に乗じてその部落を包囲し、一人残らず殺害したと記述されている。2日後に少尉は中隊長とともに父に報告に来たとある。坊主になって弔うことに専心すると少尉は述べたそうだ。この事件は、戦後の確実な情報によると英印軍の残虐行為とされていたようだ。同じようなことがいたるところで行われていたのだろう。ベトナム戦争も、今のシリアも同じだと思うと、複雑な気持ちになる。父は戦犯問題がなくなる27年まで、某少尉のこともあり、気にしていたようだ。
三つめは1945年1月末のナンバッカの戦闘である。父親が負傷したこともさることながら、戦闘兵種でない参謀長等が敵の急襲にあい、父親の大隊を集合命令をかけたようである。しかも自らの退却のため、無謀な夜襲強行を命じたため延期を具申するも却下され、多くの部下を死なせてしまったようだ。防衛庁の資料では、この戦いは、参謀長の手柄になっているようだが、大勢の兵士が無駄死しており、父親は憤慨して記述している。いまでも防衛庁の作成した戦史を頭から信じている右翼的思想の人が時折見受けられるが、そんなに単純なものではないのだ。
ミャンマーはマンダレーのイラワジ河畔での散骨を中心に、タイとの国境付近に近いゴールデンロックを観光することにした。ヤンゴンは空いた時間に観光ができる。私のとっても80カ所目の外国、地域になるので、父母が最後の海外旅行をしたラオス経由で行くこととした。
航空機は、日本航空を基軸に、アフリカ旅行でも利用したCHEAPOAIRでネット予約をした。実際は空港に行ってみると実に様々なルートが可能であることに気づかされるが、時間帯、料金等まとまって個人に対して案内するシステムはまだ出来上がっていない。だからアメリカで乗り放題定額運賃サービスがはじまったのだろう。英語で検索できるものはまだましで、たぶん国内線はまだまだ外国人にはすべてを理解して利用することが難しいはずだ。
航空機に対して、宿はネットが十分に活用できる。今回はBookingcomで三カ所予約した。CHEAPOAIRは料金先払いだが、bookingcomは現地払い。その違い以外はあまり差はない。アコモデーション等は動画等にでもある程度判断できる。もちろん行ってみて印象が異なるのは当然だが。宿は思い出に残るように高級店を選択するか、費用対効果を重視するかである。
ランドは、今回は妹夫婦がいるので、ラオスとブルネイは日本語ツアーを探した。最低人数がいるので簡単であった。一人旅の時は、どうしても価格が高くなってしまう。マンダレーはいつものぶっつけ本番である。タクシーを事前にチャーターしておくことも考えたが、現地で直接チャーターもできるだろうと思った。
工程表を作成し、妹の同意を得ながら、予約を入れてゆく。ミャンマーは電子ビザであった。電子ビザは便利だが、早くビザをなくしてほしい。
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