② 5月18日、19日朝 ビエンチャン
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最終更新日:2016/11/25
海外旅行感想, 用語「人流」「観光」「ツーリズム」「ツーリスト」
父親の遺言を果たすため、ミャンマー旅行を計画。折角なので両親が二人で最後の海外旅行をしたラオスも回ることにした。
日本航空羽田発の夜間便でバンコク経由ビエンチャンに向かう。空港で乗り継ぎ時間が約四時間ある。乗継のバンコクエアウェイズは、ブティックラウンジというエコノミークラス用のラウンジを設置していた。ワイファイ環境を整え、スナックを提供しているので便利だ。乗り換えにたっぷり時間があり、慌てなかったが、時間がないときは大変だろう。ドーハに比べてバンコクは情報の流し方が遅れている印象をうけた。日本航空の乗務員の保有する乗り継ぎ情報も、残念ながらお粗末。コードシェアしているのだから、乗継便の搭乗ゲートくらい把握して客室乗務員に流しておいてほしい。スマホで簡単に流せるのだから。「電源をお切りください」を伝えるのに力を使いすぎている。バンコクまで運べば事足りるという印象。ますますスマホに移動情報を流すサービスが求められる。ドーハやバンコックは乗り継ぎ客で輻輳している。日本はハブとは言いながら地理的にハブではないのだろう。だから日本航空も体では覚えていないのだろう。
両親がラオス旅行をしたのは、父親77歳、癌手術の前だったそうだ。今から二十年前。妹が同行。睡眠薬を飲んで朝起きてこず、空港に連れて行くのが大変だったそうだ。空港では搭乗券をなくし、これまたひと騒動と観光どころではなかったようだ。
空港に到着。両替100ドルする。この国はカードが普及していないとのことであり、大目に両替。メールでお願いしていたホテルの車の迎え、9ドル。
リバーサイドパレスホテル、名前は立派。ダウンタウンのホテル密集地にある。二部屋一泊で80ドル。
一休みして、市内観光。ホテルの前に三輪オート。
タートルアンまで50000ラオスドル、まず行ってもらう。タートルアンにはあまり観光客はいない。
次に凱旋門へ。ここで三輪オートに合計10万ラオスドルを支払い。
パトカー先導のVIP車がやたらと通過する。首相官邸と迎賓館を結ぶ通りだからか。
凱旋門からは歩いて帰ることにした。やはり歩かないと街はわからない。途中でガイドブックに出ていたコーヒー店で休憩。レシートにハングル文字があるのは驚いた。三人分全部で10万ラオスドルは相対的に高いのであろう。
国一番の地域なのだろうが、電柱に見る配線のすごさは写真にとる価値がある。
夕食はネット予約したクアラオに。さすがに小泉さんが訪問されただけあり、感じの良い店。民族舞踏も鑑賞でき、セットメニューで飲み物を追加して80ドルは安い。カードも使用できた。ホテルまで歩いて帰る。昼間の道を同じだから安心だ。
春が来たを演奏して歓迎してくれる。ネット予約していたので、日本人客と分かったのだろう。
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朝五時半にホテルをでて、メコン川河畔を散策。ホテルの周りはおしゃれな店が多く、タウンウォッチング向き。日本食の店も多い。
市場見学に出かける。方向さえ間違えなければ、Googleマップはオフラインでも使えて便利。動画をとるが、メモリが大きく、ブログ用に短いものも準備。生きたカエルを売っていた。
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昨日のレストランあたりまで戻っても7千歩と大したことはないのだが、知らない土地なのか、随分歩いた気分。迎賓館の前のお寺を見学して、メコン川河畔を散策。昨日の夜の市場のところなのだが、みごとに撤去。毎日大変だろう。ちょうど朝ご飯の七時半にホテルに戻る。
カードの支払いが通信の不具合でできず、現金払い。両替したラオスドルの残りを渡して後をドルの現金で支払う。60ドル。こういうことは初めて。現金も必要ということか。今後の参考。
空港で、バンコクエアウェイズのラウンジがある。エコノミークラスも使うことができる。バンコクに、もどる。四時間のトランジット。ラウンジが使えるのはありがたい。オーストラリアブリスベンから来た二人のご婦人。ミャンマーに行くので、あとをついてきていいかと言われ、ラウンジがあることまで教えたら、喜んでいた。機材の到着おくれで、40分おくれでミャンマーへ出発。
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