シニアバックパッカーの旅 2016年2月 中東・東アフリカ旅行記9 エチオピア(国連加盟国75か国目)・アジスアベバ
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最終更新日:2023/05/19
シニアバックパッカーの旅
2月16日~18日エチオピア・アジスアベバ
いよいよ最後の旅行である。ジュピターホテルは無料の空港シャトルサービスがあり、電子メールのやり取りで空港にサービスカウンターがあると連絡があった。通関後の出口には、迎えの名前を書いたカードを持っている人や、客引きがいつものように大勢いたが、こちらは、逆にカウンターを探した。アジスアベバでは、有力ホテルは空港到着ロビーにブースやカウンターを持っているようである。ジュピターも持っているということは有力ホテルということなのであろう。ブースで声をかけると連絡が入っていたらしく、すぐに対応してくれた。日本でも無料送迎バスがあり、小松空港では東横インが実施していたが、空港の中にブースまでは持てなかったようである。ホテルは値段(13003円)の割には豪華である。ジュピターホテルは市内に二つあり、同一コンセプトをうたっている。私が宿泊したのは、空港に近いほうのBOLEというほうであった。部屋に入ったのが11時過ぎですぐに休んだ。
朝食後、9時に市内観光が迎えに来てくれることになっていた。ホテルの予約とランドのネット予約が別であったから、ホテル名をツアー会社にこちらから連絡しなければならなかった。そういう意味では、ホテルと航空とランドを同じネット予約システムにお願いしておいたほうが、非常事態を含め間違いは少なくなるであろう。とにかく、メールのやり取りで何度か確認をしたので間違いはないはずであった。ただ、問題は終了後のことであり、ドーハへのフライトがこれまた深夜の2時である。
空港までホテルバスにするか、ランドの車にするか考えていたが、事情が分からず、決められなかった。結局、ランドの案内人は事務所に聞かないとわからないというので、ホテルに荷物をあずけて、ランド終了後ホテルまで送ってもらい、ホテルのシャトルバスで空港まで向かうことにした。
ランドが来るまで、ロビーで待機していると、エクスぺディアの営業ウーマンらしき人をジュピターホテルでみかけた。ホテルのマネージャーと名刺交換をしていた。
ツアーは僕一人であった。午前中にトリニティ教会(三位一体大教会)と国立博物館。午後はアジスアベバ大学内の博物館を見学し、あとは自由選択であった。
トリニティ教会はエチオピアキリスト教で、イタリア戦勝記念に作られた。周辺に有名人の墓地が多くつくられていた。その点では高野山と似ている。エチオピアキリスト教は入場する際に靴を脱ぐ。この行為は、聖なる場所での行為として神がモーゼに教えたと説明がある。ホテルと旅館の違いを靴を脱ぐか否かに求めている私としては興味あるところであるが、そもそも靴を履くようになったのがいつごろからかということも考えなければならないのであろう。モーゼの時代に靴が履けた人は上流階級だったに違ない。
国立博物館にはルーシー(レプリカ)が安置されている。人類誕生の足跡を解説してあり、じっくり観察すると時間がかかる。人類が道具を使用したことについて、頭脳が発達していたから道具を使用したのではなく、道具を使用した結果、頭脳が発達したと解説されていた。いずれにしろこれらの資源は世界最大級の資源である。エチオピアは本物を持っているから、これらを拠点に人流資源を開発すればいい。
昼食は自家製のランチボックスで済ませるとガイドにいっておいたら、博物館付設のレストランに案内された。何も注文しないで大丈夫かとおもったが、博物館の付属なので、問題がないようであった。最初そのことがわからず、居心地が悪かったが、博物館付設の施設であることに気づいてからは気にならなくなった。隣のテーブルでは喫煙席だったので、中国人が煙草をふかす。仕方がないので我慢した。彼らはコーラの便をひっくり返して椅子を濡らしてしまったので、私のテーブルの椅子を譲ってあげたら感謝された。自家製のランチボックスは、ホテルで調達した、ペットボトル(水)とゆで卵にバナナ、それにクッキーである。それを勝手にハロッズの袋に入れて持ってきた。まことにヘルシーで安上がりである。しかし、二時間の休憩だから少し長かった。
午後はアジスアベバ大学の民族博物館。60を超える多民族国家であるから、皇帝による統一に時間がかかったようだ。その歴史がわかるようになっていた。それを廃止したのであるから、国家の統合には気を使うはずである。メンギスツ初代大統領は、ハイラセラシエ一世をはじめ、ネットの解説では虐殺数150万人とでており、エチオピア最高裁は死刑判決を出しているが、現在もジンバブエに亡命中とか。日本は天皇制の存在によりその苦労が少ない幸せな国である。しかし、アイヌや沖縄といった問題があるのであり、そこを忘れて話をすると傷つく人たちがいることは忘れてはならないであろう。エチオピアキリスト教のビデオが上映されていた。何やらお経を唱えているような声が聞こえるのであるが、ブータンのチベット仏教と同じように聞こえてくる。エチオピアキリスト教の小僧が修行に入るのであるが、それもブータンに似ている。教義のことはわからないが、外見的なことは、仏教もキリスト教も同じであるという印象をもった。存外人間に影響をもたらすものは同じようなものかもしれない。
博物館のあと希望を聞かれたので、マルカート(マーケット、市場)に連れて行ってもらった。物騒なので、車からは下りないということであった。水曜日の午前中は断食の時間であり、午後から人が繰り出してくるので大賑わいなのだそうだ。活気があり、日本の高度経済成長期を思い出させる。エチオピアはいずれ経済成長するであろうと思った。


トモカコーヒー店にも連れて行ってもらえるということで、二つ返事で希望した。1965年創業だからそんなに古くはない。「地球の歩き方」に出ており、実は自分で時間が余れば行こうかと思っていたからだ。エチオピアはコーヒーの原産地で、日本ではモカと呼ばれている。実際行ってみて、スタバのような店を考えていたことの誤りに気付かされた。まず座って飲むような座席はない。立ち飲みである。コーヒー豆の販売が中心で、ついでに飲ませてくれるということでもある。駐車場がない。たまたまガイドがうまく駐車場を確保したので、彼にもごちそうした。というより、現地通貨をもっていなかったので、彼にたて替えてもらったのである。清算はチップ込みで10ドルあげたら、急に饒舌になり、最後にメールアドレスを書いてよこした。次回はエチオピアの地方を案内したいと言っていた。治安が回復するなら、行ってみたいものである。
ホテルに戻り、シャトルバスで空港に向かう。時間が早すぎるけれど、ホテルで待つよりは空港のほうが落ち着くと思ったが、空港は騒がしかった。周りにいる人たちは、充電器のアダプターを貸してくれと言われたり、ペンを貸してくれと言われたり、かなり厚かましい。夜中の2時過ぎの出発であるから、結局チェックインは10時であり、それまで椅子に腰かけて待っていたから、ホテルのロビーのほうが賢かったかもしれない。おまけに案内されたのがターミナル2であったが、カタール航空はターミナル1であることに後で気が付き、徒歩移動した。空港内なので治安は大丈夫だと思い、自分で歩いて移動した。出国手続きを終え、ラウンジで休憩できるようになって、これで日本に帰れると安心した。アジスアベバ・ドーハ間は食事もせず、ひたすら眠った。ドーハでのトランジットは短時間だが、今回でも三度目だからあまり気がせかない。羽田行の4A席に腰を落ち着けたときはやれやれという感じになった。日本時間のことを考えながら、食事をし、休息をとった。帰りの乗り継ぎの機内では二日遅れの朝日新聞をよむ。日本では新聞を読まなくなったのになぜか読みたくなる。映画も何本か見たが、最後のPAWN sacrificeは途中になってしまった。
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Comment
旅行記、拝読しました。
アフリカのいろいろな体験をされて、
よかったですね。
ありがとう