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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1987年 テンミリオン計画作成 タイ、ネパール(国連加盟国10か国目)、香港、中国・⑷北京

公開日: : 最終更新日:2023/06/11 シニアバックパッカーの旅

◎日本人海外旅行者倍増計画 テンミリオン計画 秘話

1987年4月に東京に戻り、国際運輸・観光局に配属になった。国際渉外官という肩書、寺島審議官からリダンダントな名前だといわれる。渉外には国債の意味が含まれるからだろうが、日本では国際が付くと権威があるように思えるから不思議。それにしても前任者にも言われたが、英語ができないのに、迷惑な発令だと思ったものだ。就任後、すぐに、新規施策として、運輸政策局のアイデアである、日本人の海外旅行者を倍増させる計画を、国際運輸観光局でフレームアップすることになり、ネーミングを考えることになった。運輸政策局ではジャパセニアというアイデアであったようだが、素人にはわからないし、私にもわからないもの。塩田局長はゴーアブロード・テンミリオンとネイミング。総理候補の橋本龍太郎運輸大臣は、名前が長いなと感想。運輸省幹部は畏怖の念を抱いており、フランクには相談ができない。結局私が原案を短く分割して、テンミリオン、ゴーアブロードに、橋本の名前をもじってブリッジ計画等をもちこんだら、大臣から最初のでよいということになった。結果、テンミリオン計画に決定。最後まで名前が良かったということになったが、逆に内容はどうなのかということでもあった。おかげで、広瀬真一賞をいただき、賞金百万円からテレフォンカードを作成して配った(写真)。テンミリオン計画作成チーム(総務課の事務職員と、JTBから手伝いに来てくれた平林氏に、国際運輸観光局各課総括補佐官から構成)を代表していただくことになった。正直、何もしなくても国際情勢から海外旅行者は増加するのだから放置しておけばいいという元次官の住田正二氏の意見があり、それに対して中村局長(当時は次長)が、だから計画を打ち出すんですよと答えたとか。実際、計画が前倒しになって、五年間で1990年1000万人目標が、1988年には達成できた。

さて計画であるが、行政であるから政策でなければならないが、公権力の行使にあたるものは、税制上の措置くらいであった。職員の社員旅行に対する雇用者からの費用負担は、通常は給与扱いとなり課税対象となるが、一定の条件のもと経費扱い歳とし、非課税にするという施策である。国税当局の通達上の措置で日程が延長され、2泊3日の職員慰安の海外旅行は、経費扱いとされることとなった。今では、会社の仕事の延長のような社員旅行は、手当をもらっても嫌だという時代かもしれない。

◎橋本龍太郎運輸大臣のタイ、ネパール、中国(香港、北京)に同行

大臣の出張に同行させてもらうことになった。大臣の予定が直前まで決定されないので、日本航空の座席の確保にも一苦労であった。ファーストクラスを大臣(奥さんは子供さんが小さいということで同行しない)、警護官、秘書官、随員2名(局長と私)の5名分確保しておかなければならず、ゴールデンウィークの繁忙期に。可能性のある複数の便の確保をするのは容易ではない。JALの担当者と綿密な打ち合わせがいる。できるだけ可能性の亡くなった日の便は早めに連絡し、販売に回してもらうようにする。運送引受の順番という問題はあるが、現実には仕方がない。運輸大臣の場合、ガバメントオーダーという仕組みで、座席を確保する。しかも無償運送である。これは、航空機検査官等の公務に使用される制度であるが、国際的に運輸大臣にも適用されるということになっている。大臣夫人の場合は有償扱いになるが、旅券は外交旅券が出されるようである。治外法権がないと政治的に困るからであろう。

同行者の中で、大臣と個人的面識のないのは私だけであったからか、機内では座席のシートを後ろに倒し、話しかけてくれたのはありがたかった。春田秘書官の計らいかもしれなかった。ネパールの観光空港開発関係で先輩課長も同行していたが、座席はビジネス。気を利かして、途中で座席を交換させてもらった。ファーストに乗る機会は少ないからである。

ネパールに行く途中で、タイに立ち寄る。友野大使の歓迎晩さん会。大臣と大使は旧知の間柄のようだった。カトマンズ空港で、メディアの取材を受け、地元紙に掲載された。私としては初めての経験であった。期待が大きいのであろう。公式の会議の後、大臣は国王との面談。通訳だけをはさんで、役人は参加なし。噂では航空機購入援助の話とか。当時の国王はその後王族に暗殺され、いまは共和国になっている。偶然ではないが、大臣の登山仲間もカトマンズにきており、エヴェレスト登山の下打ち合わせがあったようだ。中国でもチョモランマ登山のうち合わせがあるとか。

北京の前に香港に立ち寄る。松浦香港総領事は後にユネスコ事務局長になった者で、大臣とは旧知の間柄。有名な中華料理店でご馳走になった。大学でゼミが一緒だった市橋書記官もいた。

北京は初めて。外国人専用の人民元の時代。石油公団北京所長の上田さんにあう。上田さんはアジア石油から石油公団タンカー備蓄室に出向し、そのまま転籍された二歳年上の方。当時馬毛島プロジェクトが候補になっており、アジア石油も関心があったようだ。上田氏によれば、北京の中華はまずいので、フランス料理にしようと長城飯店のフランス料理店に連れてゆかれる。確かに人民大会堂の食事もおいしくはなかった。大使の場合は、料理人を連れて行き、レストランにも指示をするのでさほどひどくないようだ。今では考えられない話。若干の時間があり、紫禁城に行く。土産は、外国人専用の人民元使用。

大臣はおなかの調子が良くないようで、漢方が処置される。カトマンズでついジュースを飲んでしまったが、それが良くなかったかと言っておられた。確かに氷が入っている場合もあり、私も気を付けるようにしている。

◎帰国時の通関等 

一部上場会社のCEOクラスともなると、特別扱いをしないと仕事に差し障るし、お供の部下も気が利かない奴と出世の妨げになる。まだそんな時代であった。航空会社の営業戦略からもそれらの対応は当然。しかしCIQは行政、特別扱いも建前が必要。逆に合理性のない特別扱いは、公開されればかえって不利益を被る可能性が大きい。今の時代であれば政治生命を失う可能性さえある。制度的に他国の外交官は、外交特権が認められているが、自国民の場合は、特権はなく法の下に平等である。外交旅券を持って出かけた国会議員であってもおなじ、しかし公務多忙であり、本人ではなく代理人が通関手続きをする制度がある。

 

◎石原運輸大臣の人流政策

大臣の護衛をするSP、外交旅券をもっているから治外法権で海外でも銃所持は可能だが、日本からの出張の場合は丸腰だろう(最近は知らないが)。石原大臣がドイツのエムスランドにリニアの視察に出かけた折、運輸省からドイツ大使館に出向していた自動車技官の中島アタッシェから、SPは銃を持ってくるのかと聞かれ驚いたことを思い出す。ドイツ政府からは、冬の時期エムスランドでは実験はしていないがそれでよいかとの問い合わせもあったようだが。勿論それでよかった。石原大臣も顔が広く、出張先の宿泊施設に希望が多かった。ご自身の希望にそった宿が夜中に、暖房の配管の音がうるさくて眠れないということから、宿をクリヨンに変更されたと、パリの丸山書記官から連絡を受ける。丸山君も大変だったろう。帰国後の記者会見で、持論のリニア推進論を展開。出張前に宮崎の実験線を視察されたときの記者会見で、豚小屋、鶏小屋の中を走行している短い実験線うんうんという発言があり、マスコミで話題になっていたから、記者クラブの記者は、また記事が書けるのではと、期待して待ち構えていた。

成田の視察時、新幹線用に作られた線路時期が放置されているのをご覧になり、激怒?され至急対応を命じられた。大蔵省、千葉県、空港公団、鉄道建設公団、JR、京成電鉄の関係者は問題点の指摘ばかりで何一つ建設的意見が出ていなかったうえ、過激派が怖くて積極的になっていなかったからである。同期の金子君がまとめ役になり、いまの形のJRと京成が共有する成田への連絡鉄道が運行するように仕組みを作った。この時は、一年後に鉄道建設公団に出向し、常磐新線プロジェクトに関わることになろうとは夢にも思わなかったが、それまで国鉄が引き受けていた現実問題の処理を運輸省が直接乗り出さなくてはいけなくなったとのだと、公団に出向していた野崎氏が語っておられたことを思い出す。

とにかく発信力があり、記事になるという点では、比較的地味な運輸省にとってはありがたい大臣であった。後年に都知事になられ、観光局を設置し、成田に遠慮して誰も手掛けられなかった羽田の国際化を推進されたのは、知事ブレーンとして、運輸大臣時代に官房長を務められた棚橋氏や丹羽氏と定期会合を持ち、アイデアを授けられたからだと理解している。横田の共用化も時折主張されていたが、この問題は石原氏が総理になったとしても難しかったであろう。ネトウヨが沖縄問題処理を混乱させた鳩山元総理を足蹴に言うが、石原氏が総理になっていたら、ネトウヨがどういったかと考えてしまう。 

 

 

 

 

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