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動画で見る世界人流・観光施策風土記 アセアン・インド編 2022.9.10 カンチャナブリ

公開日: : 最終更新日:2022/09/15 海外観光

◎旅行計画中は、陰性証明がないと日本に入国できなかったので、バンコクで取得する間に泰緬鉄道(死の鉄道)観光をVELTRAで予約した。これは、ホストであるタイ人が、招かれざるゲストである日本軍と英国軍(兵はインド人)を、いまや観光客として観光資源にしているから、観光政策論として興味ふかい題材でり、拙論「人流・観光論としての記録・記憶遺産(歴史認識)論議・序論』(横浜市立大学論叢社会科学系列 2016:Vol.67 № 3)でも取り上げていた(人流観光研究所HPにもアップしてある)。団塊世代は映画「戦場にかける橋」の戦記物として記憶しているが、近年では「レイルウェイ運命の旅路」が話題を集めたようであり、ベトナム戦争と同じく戦争トラウマがテーマになり、更には後日談のドキュメンタリーとして、捕虜と戦犯が加わってきている。話題性に着目して、タイ政府観光庁は水没してしまった木製の「戦場にかける橋」(ソンクライ橋)の代わりに、異なる場所に所在するクワイ河鉄橋を人流・観光資源化しており、今回はその橋をみに行くのである。

捕虜の扱いについては、会田雄次『アーロン収容所』と荒木進『ビルマ敗戦行記』が広く読まれているのであろうが、前者は英軍は残虐行為はほとんどしなかったが、ヒューマニズムと合理主義に貫かれた態度で臨んだのではない。小児病的な復讐欲でなされた行為でも、つねに表面ははなはだ合理的であり、非難に対してはうまく言い抜けできるようになっていた。しかも、英軍はあくまでも冷静で、「逆上」することなく冷酷に落ちつき払ってそれをおこなっていた」と記述する。後者は、興味深いのは、下っ端の兵卒の著者を親切にもてなしてくれたビルマの農民が、威張っている(日本の)将校のことを「彼らはイングリ(英人)だろ」と言って日本人だとは信じない話。なるほど、将校から奴隷のように扱われる兵卒を自分たち(英国の植民地民)の仲間と考えてくれたのだ。

本書はあまりにも対照的だ。おそらく、会田著を意識したのであろう、必ずしも英兵がそこまでひどく日本兵を扱ったわけではないという事実や、その意外と公平かつ自由な対応が特徴的であったことが記されており、日本兵とは違う態度であったかが記述されている。ただ、時間が経ちすぎたためか記述がもう少し豊富ならばさらに具体的になったであろうと思った。

ではいずれが真実なのか?それは両方だと言わざるを得ない。荒木の体験からは強い恨みのような感情もなく、時間が経っているので生々しい記述もあるが客観的に突き放してみている点が印象的である。その点会田のほうが、恨みに似た感情を隠さずに正直でありいくらか主観的である。主観的が×で客観的が〇ということがいいたいのではない。この両方がなければ、歴史などは面白くも何ともないのである。併せて読んでほしいとはそういう意味だ。

この二つの著書は、一体験記の枠を超えて、なぜ日本が負けたのかを示唆する著作として語り継がれるだろう。それは、英国が旧植民地を束ねた英連邦を形成できるのに対して、日本は未だに戦後の歴史認識問題を抱え、国内でもネトウヨと左翼の対立を抱えているからである。

七世紀以降の古代国家時代から、日本は、中国の諸王朝とは対等、朝鮮半島の諸王朝よりは上位、という国際的地位の実現を戦略目標としてきた。日本、天皇という言葉もその視座からつくりだされている。従って、日本が関与した帝国主義、ファシズムに対する中国国民、韓国国民の現状認
識を理解するのが苦手なのではないかと考えている。

https://www.jinryu.jp/category/study/yokohama_post

https://www.jinryu.jp/public/wp-content/uploads/2017/10/%E8%A8%98%E6%86%B6%E9%81%BA%E7%94%A3%E3%80%80%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E3%80%8067-3_%E5%AF%BA%E5%89%8D%E5%85%88%E7%94%9F-6.pdf

The WWII POWs That Were Forced To Work For Japan | Moving Half The Mountain | Timeline

(2)泰緬鉄道(死の鉄道)
泰緬鉄道(十万件)は、第二次世界大戦中にタイとミャンマーを結んでいた鉄道であり、旧日本陸軍によって建設・運行された。アジア人労務者や連合国捕虜等の大量の死者を出した過酷な建設労働から英語圏では「死の鉄道(Death Railway)」の名で知られる。この鉄道建設をテーマにした
第三○回アカデミー賞作品賞である「戦場にかける橋」はクワイ河マーチとともにドラマ性を保有し、人流・観光資源として人を移動させる力を有している。

その話題性に着目して、タイ政府観光庁は水没してしまった木製の「戦場にかける橋」(ソンクライ橋)の代わりに、異なる場所に所在するクワイ河鉄橋を人流・観光資源化している

泰緬鉄道完成三十三周年記念に元日本兵と元捕虜同士の和解の行事が計画された。元捕虜団体の怨念も強く反対運動も激しく、日本外務省の中止勧告も四度発せれたものの、一方で「面白そうだから参加してみよう」という声も次々に上がり始め、一九七六年、カンチャナブリ県知事を先頭に執り行われた。一九九五年には元捕虜の自伝『レイルウェイ・マン』(邦題『泰緬鉄道―癒される時を求めて』喜多迅鷹、喜多英介訳 角川書店)が英国『エスクワイア』誌のノンフィクション賞を受賞し、七十万部以上が売れる大ベストセラーとなっている。二○一三年にも再び同書をもとにした映画『レイルウェイ運命の旅路』が作成されている。このように連合国側では時折メディアに登場するものの、日本の次世代についてはその刺激性は時間の経過とともに薄れている。泰緬鉄道もインパール作戦(十三万件)も日英中の代理ホスト同士の戦いの産物としての記憶資源であり、ミャンマー人だけでも八万人が死亡している。タイ側の泰緬鉄道においては、深い自然の中を通っているため風光明媚であり、「チョンカイの切り通し」や「タム・クラセー桟道橋(アルヒル桟道橋)」など見所も多いため、観光客に人気の路線となっているものの、もう一方のホストであるミャンマー側始発駅タンビュザヤにある「死の鉄道博物館」は寂れてしまっている。代理ホスト側に対する潜在的刺激性を保有する間に人流・観光資源として顕在化させることが必要である。

49 満田康弘著『クワイ河に虹をかけた男』梨の木舎2011年p.47

かねてよりの持論である、観光資源は刺激の強いものが優れているから、戦争は最大の観光資源である。そして後から振り返るものだから、映画『戦場にかける橋』、『アーロン収容所』とそれに対する『ビルマ敗戦行記』および父親の書いた『両忘』(風塵社)が観光案内になる。

◎Nakhon Nayok, Thailand 父が収容されていた捕虜収容所のあった地域

Nakhon Nayok is a small province in central Thailand, northeast of Bangkok. In the east are the mountains, forest and grassland of the vast Khao Yai National Park, home to diverse wildlife including bears, elephants, macaques and rare birds. The park’s waterfalls, including the 9-tier Namtok Sarika waterfall with its natural pools, and the high Haew Narok waterfall, gush during the rainy season.

◎アユタヤ

◎ メークローン市場(タラード・ロムフッブ)

線路の両脇に数々のお店がひしめくメークローン市場。電車が市場の中央を通り過ぎる光景は、ここでしか見られません。タラード・ロムフッブ(傘をたたむ市場)と呼ばれているのは、列車の通過に合わせテントや傘をたたみながら、商売していることに由来しているとか。ここでは、メークローン名物のプラートゥ(魚)、果物、スパイス、日用品が手に入ります。

アクセス《車》バンコクから車で約1時間20分《バス》バス停「メークローン」から徒歩すぐ。

料金店舗によって異なる

営業時間06:00〜16:00

◎ ラチャダー鉄道市場(タラート・ロット・ファイ・ラチャダー)

バンコクの新名所として人気のナイトマーケット。敷地内に雑貨やアパレル、アンティークなどのショップをはじめ、パブやバーなどのフード系屋台が約1,000軒、建ち並びます。夕闇と相まってレトロでおしゃれな雰囲気を醸し出しますが、カラフルな屋台がインスタ映えするスポットとしても有名です。市場内の広場では、音楽ライブも開催されており、バンコクの夜を限りなく楽しめます。

アクセスMRTタイカルチャーセンター駅から徒歩約3分。

料金店舗によって異なる

営業時間木~日:16:00~21:00

◎veltra カンチャナブリ観光ツアー 泰麺鉄道乗車+JEATH戦争博物館 <1日/日本語ガイド/ビュッフェランチ/往路送迎>

06:30ホテル出発 (時間は目安、ホテルによって異なります)09:00カンチャナブリ/観光(4ヶ所) (1時間45分)

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バンコクの北西約130kmのカンチャナブリは、山と渓谷が美しく自然豊かでミャンマーと国境を接しています。第二次世界大戦中に多くの犠牲を出し完成した泰面鉄道があり、映画「戦場に架ける橋」の舞台として有名。JEATH戦争博物館

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「死の鉄道(Death Railway)」と呼ばれる泰面鉄道の過酷な建設に動員された捕虜たちについての博物館。再現、実物などの展示物で当時を知ることができます。
カンチャナブリ連合軍共同墓地

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6982人の犠牲になった連合軍捕虜たちが埋葬されています。英国をはじめとして、今も多くの方々が海外から墓参りに訪れています。

日本軍戦没慰霊塔

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泰緬鉄道建設中に犠牲となった全ての方々のための慰霊碑。ご冥福を祈る碑文が日本語、英語、マレー語、タミール語、中国語、ベトナム語で刻まれています。毎年3月に慰霊祭が行われています。クウェー川鉄橋/散策

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クウェー川に架かる全長250メートルの鉄道橋。ここがまさに「戦場に架ける橋」。多くの連合軍捕虜や労働者の労力と犠牲のもとに作られました。橋は対岸まで歩くことができ、アーチ部分は当時のまま残されています。

10:45泰面鉄道(たいめんてつどう)/乗車 (1時間45分)

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第二次世界大戦中にタイとビルマ(ミャンマー)を結んでいた鉄道。当時は旧日本陸軍が物資輸送のために作られました。現在の路線距離は約195km、タイ国有鉄道南本線ナムトック支線として運行しています。タム・クラセー桟道橋(旧アヒル桟道橋) (車窓)

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クウェー川沿いの絶壁に困難を極めた工事の末に完成した木造橋。列車はゆっくり徐行して進み、車窓からは日本軍が爆破した岸壁や、穏やかな流れのクウェー・ノイ川などの景色が広がります。12:30タム・クラセー駅/到着

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タム・クラセー桟道橋を過ぎ駅に到着。手が届きそうなくらい近くに列車がゆっくりと到着します。12:40昼食(タイ風ビュッフェ料理) (タム・クラセーにて)

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メニュー例
・トムヤムクン
・フライドチキン
・タイ風カレー
・野菜炒め
・ライス
・フルーツ(スイカやパイナップル)
※予告なく変更となる可能性がございます14:30プラ・プラパトム・チェディ

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世界最大の仏塔。ナコーン・パトムの町の中心にある王族の眠る神聖な寺院。
改修が繰り返され、3世紀頃の建立当初は約40m、現在は120メートルを超える高さがあります。

14:45 バンコクへ 18:30-19:30 ホテル到着

「勉強してこなかったら本当に観光で終わっていただろう」という学生の発言

バンコク南バスターミナルへはタクシーでアクセスしよう

南バスターミナルはバンコク中心部から若干距離が離れています。アソーク(Asok)やシーロム(Silom)からは、車で約30分、カオサン通り周辺からは車で約20分です。南バスターミナル周辺には鉄道が走っていません。そのため、利用できるアクセス方法はバスかタクシーのみです。街中からタクシーに乗ってもせいぜい200バーツ前後でアクセスできるので、タクシーでのアクセスがベストです。南バスターミナルの最寄り鉄道はです。バーンワーからであればタクシーで80バーツ程度でアクセスできます。タクシー運転手に行き先を伝えるさい、「サウスバスターミナル」と言っても伝わらないことが多いので、「サイタイマイ」と言うか、もしくはタイ語表記「สายใต้ใหม่」を見せると良いです。

乗り場時刻表料金
❶バス南バスターミナル5:00〜20:00まで20〜30分に1本110バーツ
❷鉄道トンブリー駅7:45発13:55発100バーツ
❸ミニバス
(ロットゥー)
チャトゥチャック
ミニバスステーション
5:00〜20:00まで約1時間に1本120バーツ
バンコク南バスターミナル(サイタイマイ)
バンコク南バスターミナル(サイタイマイ)のチケットカウンター

南バスターミナルの2階に上がると、上写真のように各方面へのバスチケットカウンターがずらりと並んでいます。

ざっと見た感じ80以上ものカウンターが並んでいるため、自力で探すよりもインフォメーションカウンター(中央にある)で「カンチャナブリー?」と聞いた方が早いです。

カンチャナブリー行きバスチケットは、79番・80番のカウンターで購入できます。

バンコク南バスターミナルのカンチャナブリー行き80番カウンター
カンチャナブリー行きのバス

南バスターミナルを出たバスは、約3時間で下Googlemapが記すカンチャナブリーバスターミナルに到着します。

バスターミナル周辺には側車付きのバイタクやトゥクトゥクが客待ちしています。バスターミナルに到着したら、これら交通機関を利用して目的地へと行きましょう。

カンチャナブリーバスターミナル周辺で客待ちしている側車付きのバイタク

◎『アーロン収容所』

イギリスの女兵士はなぜ日本軍捕虜の面前で全裸のまま平気でいられるのか、彼らはなぜ捕虜に家畜同様の食物を与えて平然としていられるのか。ビルマ英軍収容所に強制労働の日々を送った歴史家の鋭利な筆はたえず読者を驚かせ、微苦笑させながら、西欧という怪物の正体を暴露してゆく。激しい怒りとユーモアの見事な結合と、強烈な事実のもつ説得力のまえに、読者の西欧観は再出発をよぎなくされよう。

本書は、会田雄次が1943年に応召されビルマ戦線に歩兵一等兵として従軍し、九死に一生を得て英国軍の捕虜となり、1947年に復員するまでラングーンに拘留された。『アーロン収容所』は、その時の捕虜体験を基に書かれた回想記である。
 かって評者は、古山高麗雄の『兵隊蟻が歩いた』を読んでから、他の著作『断作戦』『龍陵会戦』『フーコン戦記』という戦争三部作を読んだことがある。 ビルマでの日本軍の惨憺たる惨敗の記録を古山高麗雄のこれらの本で知ることができた。 おなじビルマでの体験でも本書のほとんどは収容所でのエピソードを書いたもので構成されている。
 本書のなかで最も英国軍が残忍な仕打ちをしたことは、ミッチーナで重傷を負って捕虜になった人が著者に語ったことだったので下の・・・・・内に転載します。
 ・・・・・
 「私たちは帰れないかもしれないから、この話だけはしておきたい。日本の人に知らせて下さい」と言って語り始めました。
 「英軍はひどいことをします。私たちは、イラワジ河のずっと河下の方に一時いました。その中洲に戦犯部隊とかいう鉄道隊の人が、何百十人か入っていました。泰緬国境でイギリス人捕虜を虐待して多勢を殺したという疑いです。その人たちが本当にやったのかかどうか知りません。イギリス人たちは裁判を待っているのだと言っていました。狂暴で逃走や反乱の危険があるというので、そういうところへ収容したのだそうです。でもその必要はありませんでした。私たちは食糧がすくなく飢えに苦しみました。ああ、やはりあなたたちもそうでしたか。あの人たちも苦しみました。あそこには“毛ガニ„がたくさんいます。うまい奴です。それをとって食べたのです。あなたもあのカニがアミーバ―赤痢の巣だということを知っていますね。あの中洲は潮がさしてくると全部水に没し、一尺ぐらいの深さになります。みんな背嚢を頭にのせて潮がひくまで何時間もしゃがんでいるのです。そんなところですから、もちろん薪の材料はありません。みんな生のままたべました。英軍はカニは病原菌がいるから生食いしてはいけないという命令を出していました。兵隊たちも食べては危険なことは知っていたでしょう。でも食べないではいられなかったのです。そしてみんな赤痢にやられ、血便を出し血へどをはいて死にました。水を呑みに行って力つき、水の中へうつぶして死ぬ。あの例の死に方です。監視のイギリス兵はみんなが死に絶えるまで、岸から双眼鏡で毎日観測していました。全部死んだのを見とどけて、『日本兵は衛生観念不足で、自制心も乏しく、英軍のたび重なる警告にもかかわらず、生ガニを捕食し、疫病にかかって全滅した。まことに遺憾である』と上司に報告したそうです。なにもかも英軍の計算どおりにいったというわけですね」
 ・・・・・
 著者は、このあと英軍は、なぐったり蹴ったりはあまりしないし、殺すことも滅多切というような、いわゆる「残虐行為」はほとんどしなかったようだ。しかし、それではヒューマニズムと合理主義に貫かれた態度で私たちに臨んだであろうか。そうではない。そうではないどころか、小児病的な復讐欲でなされた行為さえ私たちに加えられた。
 しかし、そういう行為でも、つねに表面ははなはだ合理的であり、非難に対してはうまく言い抜けできるようになっていた。しかも、英軍はあくまでも冷静で、「逆上」することなく冷酷に落ちつき払ってそれをおこなっていたのである。
ある見方からすれば、かれらは、たしかに残虐ではない。しかし、視点を変えれば、これこそ、人間が人間に対してなしうるもっとも残忍な行為ではなかろうか。 と、著者自身の思いを吐露していました。

◎『ビルマ敗戦行記』荒木進

東京帝大法学部を出て日立のエリート社員だった30代の著者が、太平洋戦争末期(昭和19年)に召集され、ビルマ戦線に最下層の初年兵として送られ、何とか生還する戦記です。大戦末期で、兵に持たせる銃も三人に一つしかなく、制海権を失っているので二十隻の移動船団の八割がたが敵潜水艦の魚雷で沈められてしまうなど、ビルマに到達できただけでも運がいいという惨状。

この戦記は不思議な味わいがあります。著者が冷静に客観的に体験を記述していること、英国人やビルマ人への偏見がなく、現代人と同じような公平な感覚、視点で、人々の暮らしや振る舞いを観察していること等々。さすがにインテリの知性を感じます。

読んでいくと、著者の、そういう知性とか知恵、工夫、要領が良いところなどが、周りに重用され、信頼され、そのことが著者の生還に繋がったように見えます。著者は、砲兵隊の中で戦果の記録係の叩き上げの下士官の秘書のような任務について、それを実に有能にこなすことで、最前線の危険な任務からは外され、終戦間際もいち早く安全な地帯への後退が可能になったようです。もちろん、前線での物資の移動作業に携わって英軍の銃弾に晒されたり、地図もない中で勘だけを頼りに長距離を少人数で移動したり、かなり危ない経験もしています。

栄養失調やマラリア、コレラで兵士があっけなく死んでしまう話、叩き上げの職業軍人が生きながらえる知恵を持っている話、いきがって後退もせず突撃ばかりしようとする危ない若手将校の話とか、戦場のいろんな面を知ることができます。ビルマの自然の美しさ、古い町の佇まい、日本人に親切なビルマ人の話とかも印象的。興味深いのは、下っ端の兵卒の著者を親切にもてなしてくれたビルマの農民が、威張っている(日本の)将校のことを「彼らはイングリ(英人)だろ」と言って日本人だとは信じない話。なるほど、将校から奴隷のように扱われる兵卒を自分たち(英国の植民地民)の仲間と考えてくれたのだ。

敗戦後の英軍の収容所での暮らしぶりの記述が、本書の後半のハイライト。英語ができるので英人将校に大事にされ、体力消耗の少ない日本刀砥ぎの仕事を任される話、インド兵との交流の話、英国流の収容所管理の話、当時の日本兵には職人が多く、大工仕事や家具作り、鍛冶、裁縫、楽器作りなど何でも器用にこなすので、英人将校らは驚きの目で見て重宝していた話など、興味深いエピソードが多い。

ビルマの捕虜体験記と言えば何といっても『アーロン収容所』が著名である。そこには、英兵の人種差別のすさまじさ、白人種以外を人とは思わないような態度が展開されており、熾烈な環境に身を置いた体験がいかに受け入れがたい現実だったかがわかる。奴隷体験記と言ってもよいような内容だ。

しかし、本書はあまりにも対照的だ。おそらく、会田著を意識したのであろう、必ずしも英兵がそこまでひどく日本兵を扱ったわけではないという事実や、その意外と公平かつ自由な対応が特徴的であったことが記されており、日本兵とは違う態度であったかが記述されている。ただ、時間が経ちすぎたためか記述がもう少し豊富ならばさらに具体的になったであろうと思った。

ではいずれが真実なのか?それは両方だと言わざるを得ない。荒木の体験からは強い恨みのような感情もなく、時間が経っているので生々しい記述もあるが客観的に突き放してみている点が印象的である。その点会田のほうが、恨みに似た感情を隠さずに正直でありいくらか主観的である。主観的が×で客観的が〇ということがいいたいのではない。この両方がなければ、歴史などは面白くも何ともないのである。併せて読んでほしいとはそういう意味だ。

この二つの著書は、一体験記の枠を超えて、なぜ日本が負けたのかを示唆する著作として語り継がれるだろう。

◎戦場にかける橋

https://www.reviewanrose.tokyo/article/450882163.html

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