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🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2022年9月10~11日 タイ カンチャナブリ

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2022年9月10日 五回目のバンコク 日本が経済成長したように、タイも経済成長中。交通渋滞の発生は成長の原動力。解消のための公共投資が引き金となる。バス停は東京より優れている。
行事とバスの動画
 
 
翌朝九月11日6:30ツアー 参加者は私一人。日曜日朝なのか、渋滞なし。まず有名寺へ。名前は覚えられないが、卒業の記念撮影している女子大生がいた。化粧すると、日本人もタイ人も皆同じ顔。韓国人医師による美容整形が流行しているとか。
道中にバナナ、タピオカ、サトウキビ農場。バナナ一房16本、二本だと10パーツ、りんご中国産一個8パーツ、物流が世界を均一化させている。ドリアンは季節はずれだとか。
世の中は 市場からスーパーへ。駐車場、冷房、雨天なしがメリットとか。
タイ国王は評判がわるいらしいが、退位されると取り巻きが一番こまるらしい、タイ航空など利権がなくなってしまうらしい。シッキムのようには簡単に王位は廃されないようだ。
タイ軍部は人材を吸収できる組織で力があるようだ。王様と組んでいる限り、ミャンマーのようにはならないが、軍が強いのは同じ。いままでの日本は、戦前と異なり自衛官幹部のステータスは高くなかったが、近年変化しつつある印象。その分霞ヶ関が低下。国鉄や郵政、電電といった全国組織がなくなり、残ったのは警察と自衛隊ぐらいか。ウクライナ戦争の解説をする自衛隊OBは、海外経験も豊かで、理系の知識人である。
戦前も国際観光局ができた1930年ころは軍縮で、軍人のステータスは低く、祖父が一等車に乗っていると、軍人が一等車に乗っていると陰口をたたかれたと、祖母に子供の頃聞かされたことを妙に覚えていて、二二六事件の頃の雰囲気が実感できるから不思議である。今も安全保障費、GDP比2%論がでているが、霞ヶ関いじめは怖くないが、軍部や警察検察いじめは怖いだろう。
 
 
旅の終わりは、カンチャナブリ、死の鉄道。刺激が強いのでDEATHを JEATHにかえているのは、JAPANをはじめ、英国、米国、タイ、蘭国の頭文字の順。
ホストとゲスト論は、満州観光を論文化した高媛氏の学位論文のテーマ。この場合ホストはタイ人とミャンマー人など。ゲストは、日本軍と連合国軍。観光資源は非日常。刺激が強いものだから、成り立つが、時間とともにまろやかになる。死の鉄道も、日英の戦いの前に、英国植民地政策の結果があり、無謀な日本の軍事作戦がある。しかも戦いの舞台は第三者の地。アジアンの労働者には、好条件とはいえ、軍票がばらまかれた。現代のデフレ対策にさけばれるMMT論も、軍票と同じ、日本の信用がなくなれば紙切れ。
 
https://photos.google.com/album/AF1QipP9x7SZDHPjutkWY0xjxaS5nvAWD1DIJmFa0R3q/photo/AF1QipN9FkoqabbIZqCq4MyWzjCOV_nrSXCFdekJ1Ejq
 
 
400kmの路線を 16ヶ月 の突貫工事。3万の連合国軍捕虜と10万のアジア人強制労働者が投入、捕虜1.6万人とアジアン労働者全員が死亡した。博物館に残された写真からはユダヤ人収容所を連想させる。配られた博物館の日本語の説明書きにも、ホスト論が記述、連合国軍の墓地の十倍の墓地がアジアンのためになくてはならない。戦時に日本軍鉄道隊が建立した慰霊碑は、中国をはじめアジアンの記念プレートがあり、バランスが取れている。
刺激がつよいから現代のタイ人の観光地になっている。鉄道橋で、川へリリース用の魚を販売している女性がいた。仏教なのか?列車内でウェルカムサービスの水、お手拭き、おかしが配られた。添乗員さんは、小さな蒸し山芋をご馳走してくれた。
キリ通しを人力で作っているのは、すごい。鉄道橋も枕木も木製の部分が現役で残っていた。実は、この鉄道橋は、映画の撮影で「戦場にかける橋」として使われたもので、実話としての橋は、爆撃により破壊され、もっと山岳部に複数あったらしい。でもタイ国観光庁は、観光資源としてこの撮影に使われた鉄道橋を大々的に売り出し、成功している。私もそれで良いと思う。
 
 
観光鉄道を楽しんだ後、レストランで食事。タイの代表的なメニューなのだろう。帰路につく。
これでやれやれかと思いきや、車がパースト。添乗員さんと道路をまたいで、偶然目の前のマクドナルド。タクシーでもよりメトロ駅までタクシー120パーツ。添乗員さんに空港行きの乗換駅まで送ってもらう。到着は六時半、いい時間だ。
 

以下旅行中の動画

 

旅行前の記述(戦跡観光関係)

◎旅行計画中は、陰性証明がないと日本に入国できなかったので、バンコクで取得する間に泰緬鉄道(死の鉄道)観光をVELTRAで予約した。これは、ホストであるタイ人が、招かれざるゲストである日本軍と英国軍(兵はインド人)を、いまや観光客として観光資源にしているから、観光政策論として興味ふかい題材でり、拙論「人流・観光論としての記録・記憶遺産(歴史認識)論議・序論』(横浜市立大学論叢社会科学系列 2016:Vol.67 № 3)でも取り上げていた(人流観光研究所HPにもアップしてある)。団塊世代は映画「戦場にかける橋」の戦記物として記憶しているが、近年では「レイルウェイ運命の旅路」が話題を集めたようであり、ベトナム戦争と同じく戦争トラウマがテーマになり、更には後日談のドキュメンタリーとして、捕虜と戦犯が加わってきている。話題性に着目して、タイ政府観光庁は水没してしまった木製の「戦場にかける橋」(ソンクライ橋)の代わりに、異なる場所に所在するクワイ河鉄橋を人流・観光資源化しており、今回はその橋をみに行くのである。

捕虜の扱いについては、会田雄次『アーロン収容所』と荒木進『ビルマ敗戦行記』が広く読まれているのであろうが、前者は英軍は「残虐行為はほとんどしなかったが、ヒューマニズムと合理主義に貫かれた態度で臨んだのではない。小児病的な復讐欲でなされた行為でも、つねに表面ははなはだ合理的であり、非難に対してはうまく言い抜けできるようになっていた。しかも、英軍はあくまでも冷静で、「逆上」することなく冷酷に落ちつき払ってそれをおこなっていた」と記述する。後者は、興味深いのは、下っ端の兵卒の著者を親切にもてなしてくれたビルマの農民が、威張っている(日本の)将校のことを「彼らはイングリ(英人)だろ」と言って日本人だとは信じない話。なるほど、将校から奴隷のように扱われる兵卒を自分たち(英国の植民地民)の仲間と考えてくれたのだ。

本書はあまりにも対照的だ。おそらく、会田著を意識したのであろう、必ずしも英兵がそこまでひどく日本兵を扱ったわけではないという事実や、その意外と公平かつ自由な対応が特徴的であったことが記されており、日本兵とは違う態度であったかが記述されている。ただ、時間が経ちすぎたためか記述がもう少し豊富ならばさらに具体的になったであろうと思った。

ではいずれが真実なのか?それは両方だと言わざるを得ない。荒木の体験からは強い恨みのような感情もなく、時間が経っているので生々しい記述もあるが客観的に突き放してみている点が印象的である。その点会田のほうが、恨みに似た感情を隠さずに正直でありいくらか主観的である。主観的が×で客観的が〇ということがいいたいのではない。この両方がなければ、歴史などは面白くも何ともないのである。併せて読んでほしいとはそういう意味だ。

この二つの著書は、一体験記の枠を超えて、なぜ日本が負けたのかを示唆する著作として語り継がれるだろう。それは、英国が旧植民地を束ねた英連邦を形成できるのに対して、日本は未だに戦後の歴史認識問題を抱え、国内でもネトウヨと左翼の対立を抱えているからである。

七世紀以降の古代国家時代から、日本は、中国の諸王朝とは対等、朝鮮半島の諸王朝よりは上位、という国際的地位の実現を戦略目標としてきた。日本、天皇という言葉もその視座からつくりだされている。従って、日本が関与した帝国主義、ファシズムに対する中国国民、韓国国民の現状認
識を理解するのが苦手なのではないかと考えている。

https://www.jinryu.jp/category/study/yokohama_post

https://www.jinryu.jp/public/wp-content/uploads/2017/10/%E8%A8%98%E6%86%B6%E9%81%BA%E7%94%A3%E3%80%80%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E3%80%8067-3_%E5%AF%BA%E5%89%8D%E5%85%88%E7%94%9F-6.pdf

The WWII POWs That Were Forced To Work For Japan | Moving Half The Mountain | Timeline

 

(2)泰緬鉄道(死の鉄道)

泰緬鉄道(十万件)は、第二次世界大戦中にタイとミャンマーを結んでいた鉄道であり、旧日本陸軍によって建設・運行された。アジア人労務者や連合国捕虜等の大量の死者を出した過酷な建設労働から英語圏では「死の鉄道(Death Railway)」の名で知られる。この鉄道建設をテーマにした
第三○回アカデミー賞作品賞である「戦場にかける橋」はクワイ河マーチとともにドラマ性を保有し、人流・観光資源として人を移動させる力を有している。

その話題性に着目して、タイ政府観光庁は水没してしまった木製の「戦場にかける橋」(ソンクライ橋)の代わりに、異なる場所に所在するクワイ河鉄橋を人流・観光資源化している。

泰緬鉄道完成三十三周年記念に元日本兵と元捕虜同士の和解の行事が計画された。元捕虜団体の怨念も強く反対運動も激しく、日本外務省の中止勧告も四度発せれたものの、一方で「面白そうだから参加してみよう」という声も次々に上がり始め、一九七六年、カンチャナブリ県知事を先頭に執り行われた。一九九五年には元捕虜の自伝『レイルウェイ・マン』(邦題『泰緬鉄道―癒される時を求めて』喜多迅鷹、喜多英介訳 角川書店)が英国『エスクワイア』誌のノンフィクション賞を受賞し、七十万部以上が売れる大ベストセラーとなっている。二○一三年にも再び同書をもとにした映画『レイルウェイ運命の旅路』が作成されている。このように連合国側では時折メディアに登場するものの、日本の次世代についてはその刺激性は時間の経過とともに薄れている。泰緬鉄道もインパール作戦(十三万件)も日英中の代理ホスト同士の戦いの産物としての記憶資源であり、ミャンマー人だけでも八万人が死亡している。タイ側の泰緬鉄道においては、深い自然の中を通っているため風光明媚であり、「チョンカイの切り通し」や「タム・クラセー桟道橋(アルヒル桟道橋)」など見所も多いため、観光客に人気の路線となっているものの、もう一方のホストであるミャンマー側始発駅タンビュザヤにある「死の鉄道博物館」は寂れてしまっている。代理ホスト側に対する潜在的刺激性を保有する間に人流・観光資源として顕在化させることが必要である。

49 満田康弘著『クワイ河に虹をかけた男』梨の木舎2011年p.47

かねてよりの持論である、観光資源は刺激の強いものが優れているから、戦争は最大の観光資源である。そして後から振り返るものだから、映画『戦場にかける橋』、『アーロン収容所』とそれに対する『ビルマ敗戦行記』および父親の書いた『両忘』(風塵社)が観光案内になる。

 

 

◎Nakhon Nayok, Thailand 父が収容されていた捕虜収容所のあった地域

Nakhon Nayok is a small province in central Thailand, northeast of Bangkok. In the east are the mountains, forest and grassland of the vast Khao Yai National Park, home to diverse wildlife including bears, elephants, macaques and rare birds. The park’s waterfalls, including the 9-tier Namtok Sarika waterfall with its natural pools, and the high Haew Narok waterfall, gush during the rainy season.

◎『アーロン収容所』

イギリスの女兵士はなぜ日本軍捕虜の面前で全裸のまま平気でいられるのか、彼らはなぜ捕虜に家畜同様の食物を与えて平然としていられるのか。ビルマ英軍収容所に強制労働の日々を送った歴史家の鋭利な筆はたえず読者を驚かせ、微苦笑させながら、西欧という怪物の正体を暴露してゆく。激しい怒りとユーモアの見事な結合と、強烈な事実のもつ説得力のまえに、読者の西欧観は再出発をよぎなくされよう。

本書は、会田雄次が1943年に応召されビルマ戦線に歩兵一等兵として従軍し、九死に一生を得て英国軍の捕虜となり、1947年に復員するまでラングーンに拘留された。『アーロン収容所』は、その時の捕虜体験を基に書かれた回想記である。
 かって評者は、古山高麗雄の『兵隊蟻が歩いた』を読んでから、他の著作『断作戦』『龍陵会戦』『フーコン戦記』という戦争三部作を読んだことがある。 ビルマでの日本軍の惨憺たる惨敗の記録を古山高麗雄のこれらの本で知ることができた。 おなじビルマでの体験でも本書のほとんどは収容所でのエピソードを書いたもので構成されている。
 本書のなかで最も英国軍が残忍な仕打ちをしたことは、ミッチーナで重傷を負って捕虜になった人が著者に語ったことだったので下の・・・・・内に転載します。
 ・・・・・
 「私たちは帰れないかもしれないから、この話だけはしておきたい。日本の人に知らせて下さい」と言って語り始めました。
 「英軍はひどいことをします。私たちは、イラワジ河のずっと河下の方に一時いました。その中洲に戦犯部隊とかいう鉄道隊の人が、何百十人か入っていました。泰緬国境でイギリス人捕虜を虐待して多勢を殺したという疑いです。その人たちが本当にやったのかかどうか知りません。イギリス人たちは裁判を待っているのだと言っていました。狂暴で逃走や反乱の危険があるというので、そういうところへ収容したのだそうです。でもその必要はありませんでした。私たちは食糧がすくなく飢えに苦しみました。ああ、やはりあなたたちもそうでしたか。あの人たちも苦しみました。あそこには“毛ガニ„がたくさんいます。うまい奴です。それをとって食べたのです。あなたもあのカニがアミーバ―赤痢の巣だということを知っていますね。あの中洲は潮がさしてくると全部水に没し、一尺ぐらいの深さになります。みんな背嚢を頭にのせて潮がひくまで何時間もしゃがんでいるのです。そんなところですから、もちろん薪の材料はありません。みんな生のままたべました。英軍はカニは病原菌がいるから生食いしてはいけないという命令を出していました。兵隊たちも食べては危険なことは知っていたでしょう。でも食べないではいられなかったのです。そしてみんな赤痢にやられ、血便を出し血へどをはいて死にました。水を呑みに行って力つき、水の中へうつぶして死ぬ。あの例の死に方です。監視のイギリス兵はみんなが死に絶えるまで、岸から双眼鏡で毎日観測していました。全部死んだのを見とどけて、『日本兵は衛生観念不足で、自制心も乏しく、英軍のたび重なる警告にもかかわらず、生ガニを捕食し、疫病にかかって全滅した。まことに遺憾である』と上司に報告したそうです。なにもかも英軍の計算どおりにいったというわけですね」
 ・・・・・
 著者は、このあと英軍は、なぐったり蹴ったりはあまりしないし、殺すことも滅多切というような、いわゆる「残虐行為」はほとんどしなかったようだ。しかし、それではヒューマニズムと合理主義に貫かれた態度で私たちに臨んだであろうか。そうではない。そうではないどころか、小児病的な復讐欲でなされた行為さえ私たちに加えられた。
 しかし、そういう行為でも、つねに表面ははなはだ合理的であり、非難に対してはうまく言い抜けできるようになっていた。しかも、英軍はあくまでも冷静で、「逆上」することなく冷酷に落ちつき払ってそれをおこなっていたのである。
ある見方からすれば、かれらは、たしかに残虐ではない。しかし、視点を変えれば、これこそ、人間が人間に対してなしうるもっとも残忍な行為ではなかろうか。 と、著者自身の思いを吐露していました。

◎『ビルマ敗戦行記』荒木進

 動画で考える人流観光学 『ビルマ敗戦行記』(岩波新書)2022年8月27日  

東京帝大法学部を出て日立のエリート社員だった30代の著者が、太平洋戦争末期(昭和19年)に召集され、ビルマ戦線に最下層の初年兵として送られ、何とか生還する戦記です。大戦末期で、兵に持たせる銃も三人に一つしかなく、制海権を失っているので二十隻の移動船団の八割がたが敵潜水艦の魚雷で沈められてしまうなど、ビルマに到達できただけでも運がいいという惨状。

この戦記は不思議な味わいがあります。著者が冷静に客観的に体験を記述していること、英国人やビルマ人への偏見がなく、現代人と同じような公平な感覚、視点で、人々の暮らしや振る舞いを観察していること等々。さすがにインテリの知性を感じます。

読んでいくと、著者の、そういう知性とか知恵、工夫、要領が良いところなどが、周りに重用され、信頼され、そのことが著者の生還に繋がったように見えます。著者は、砲兵隊の中で戦果の記録係の叩き上げの下士官の秘書のような任務について、それを実に有能にこなすことで、最前線の危険な任務からは外され、終戦間際もいち早く安全な地帯への後退が可能になったようです。もちろん、前線での物資の移動作業に携わって英軍の銃弾に晒されたり、地図もない中で勘だけを頼りに長距離を少人数で移動したり、かなり危ない経験もしています。

栄養失調やマラリア、コレラで兵士があっけなく死んでしまう話、叩き上げの職業軍人が生きながらえる知恵を持っている話、いきがって後退もせず突撃ばかりしようとする危ない若手将校の話とか、戦場のいろんな面を知ることができます。ビルマの自然の美しさ、古い町の佇まい、日本人に親切なビルマ人の話とかも印象的。興味深いのは、下っ端の兵卒の著者を親切にもてなしてくれたビルマの農民が、威張っている(日本の)将校のことを「彼らはイングリ(英人)だろ」と言って日本人だとは信じない話。なるほど、将校から奴隷のように扱われる兵卒を自分たち(英国の植民地民)の仲間と考えてくれたのだ。

敗戦後の英軍の収容所での暮らしぶりの記述が、本書の後半のハイライト。英語ができるので英人将校に大事にされ、体力消耗の少ない日本刀砥ぎの仕事を任される話、インド兵との交流の話、英国流の収容所管理の話、当時の日本兵には職人が多く、大工仕事や家具作り、鍛冶、裁縫、楽器作りなど何でも器用にこなすので、英人将校らは驚きの目で見て重宝していた話など、興味深いエピソードが多い。

 

ビルマの捕虜体験記と言えば何といっても『アーロン収容所』が著名である。そこには、英兵の人種差別のすさまじさ、白人種以外を人とは思わないような態度が展開されており、熾烈な環境に身を置いた体験がいかに受け入れがたい現実だったかがわかる。奴隷体験記と言ってもよいような内容だ。

しかし、本書はあまりにも対照的だ。おそらく、会田著を意識したのであろう、必ずしも英兵がそこまでひどく日本兵を扱ったわけではないという事実や、その意外と公平かつ自由な対応が特徴的であったことが記されており、日本兵とは違う態度であったかが記述されている。ただ、時間が経ちすぎたためか記述がもう少し豊富ならばさらに具体的になったであろうと思った。

ではいずれが真実なのか?それは両方だと言わざるを得ない。荒木の体験からは強い恨みのような感情もなく、時間が経っているので生々しい記述もあるが客観的に突き放してみている点が印象的である。その点会田のほうが、恨みに似た感情を隠さずに正直でありいくらか主観的である。主観的が×で客観的が〇ということがいいたいのではない。この両方がなければ、歴史などは面白くも何ともないのである。併せて読んでほしいとはそういう意味だ。

この二つの著書は、一体験記の枠を超えて、なぜ日本が負けたのかを示唆する著作として語り継がれるだろう。

◎戦場にかける橋

https://www.reviewanrose.tokyo/article/450882163.html

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