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🌍🎒2024シニアバックパッカー地球一周の旅 ブルキノファソ(国連加盟国174か国目) OUA 

公開日: : 最終更新日:2024/09/17 シニアバックパッカーの旅

https://photos.google.com/album/AF1QipN5yt2Pw5NbqIQAvR9loKg0l1BTCrGO_1vXBHOp

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2024.2.17 ブルキナファソはワガドゥ。国連加盟国174カ国目,

   ニアメからワガドゥへの客は乗り込んでこなかったから、ルール上、三国間輸送がみとめられていないからだろう。電子ピザのため、ダミーの宿を準備のあと、キャンセル。滞在半日、しかも深夜出発のため、機中泊にする。街を少し歩いてみた。想像以上に活気がある。長年クーデターが発生しておらず、安定している。クーデター未遂の226事件は国内史上は大事件扱いだが、当時の日本株価は国際取引市場、変化がなく、昭和天皇は安堵されたという。つまり国際歴史上はあまり重要視されていなかったということになる。西アフリカ諸国のクーデターも、旧宗主国フランスの利権に対する不満が背景にあるからと思えば、人流活動にはなんら変化をもたらさないのだろう。

 

 

 

事前資料

ブルキノファソはHPで「当面観光ビザは発行しない」(2023年9月現在)とあり、OnLineでトランジットビザを入手(5341円)。その場合には、自国のビザを見せなければならないが、次の目的地はモロッコでビザは不要であるから、その次のギニアのビザを添付した(Onlineで受け取られた)。

 

NIM 

15:10

ET937 11A

15:25

OUA

$751

OUA入国(大聖堂、市場 FESPACP徒歩)登録上 宿 HOTEL NAZALI MEDINE

OUA

2:15

AT544 未定

6:50

CMN T2

 

ワガドゥグは11世紀から存在する都で、フランスの植民地化後にはオートボルタの首都になり、独立後はオートボルタ、そしてブルキナファソの首都として今日に至っている。街の規模も首都らしくなくこぢんまりとしている。ワガドゥグを最も有名にしているイベントは、奇数年の2月から3月にかけて開催されているFESPACO(ワガドゥグ・パンアフリカ映画テレビフェスティバル)。ワガドゥグのロータリーもなかなか面白く、国連広場のロータリーには青と白(国連の色)で地球儀が作られていたり、その他のロータリーにはFESPACOのモニュメントがあったりする。ワガドゥグ中心部には、巨大で複雑に入り組んだグランマルシェ(市場)が有名。しかし、数年前の失火で燃えたままで、未だに再建はされていない。

モスク前は路線バスの停留所になっているらしく、大型のバスが停まっていた

ホテルに面するクアム・ヌルマ通りを北に進むと、地球のモニュメントがある交差点に到着。

ホテルに面するクアム・ヌルマ通りを北に進むと、地球のモニュメントがある交差点に到着。

ブルキナファソはかつて、ガーナで大西洋に注ぐボルタ川の上流にあったことでオートボルタ(Haute Volta/上ボルタ)と呼ばれていた。ブルキナファソの国土全域がサバンナ地帯にあるため、季節によっては気温が45度くらいまで上昇する。しかし、湿度が少ないので、日陰にさえいれば快適そのもの。また日中は暑いものの、朝晩は冷え込む。

第二次世界大戦後、1960年にオートボルタ共和国として独立した。独立後、フランスから離れて非同盟路線を歩み、東側諸国と友好関係を築いたが、1987年以降はフランスとの関係を最重視している。現在の国名ブルキナファソは1984年に旧来の国名のオートボルタから改称された。

ブルキナファソには、60ほどのエスニックグループが存在。主なグループはモシ、グルマンチェ、ヤルセ、グルーシ、ボボなど。非常に牧歌的な国で、国民の多くも穏やかでまじめ、親しみが持てます。また国民の多くがコートジボワールへの出稼ぎや移民として暮らしており、その多くが、警備員、雑用係、お手伝いさん、農民として生計を立てている。ブルキナファソの主要な産業は農業と畜産。農業に関しては、ヒエ、米、ヤムイモ、豆などを生産、また日本では石鹸で有名なシアーバターの実も生産・輸出されている。畜産に関しては、羊、ヤギ、鶏、牛などが飼育されていて、牛は陸路で、コートジボワールその他の周辺諸国へ輸出されている。

第5代大統領トーマス・サンカラは、キューバのチェ・ゲバラとも比較される革命家で、精錬潔癖な人柄のカリスマ性のある人物。1960年以来クーデターが頻発した祖国で、国民本位の政治をしようとした。まず国名をそれまでのオートボルタからブルキナファソ(公明正大な人々の国の意味)に変更。そして汚職や腐敗を、まず本人自ら否定し、質素な生活を送った。政治的には非常にリベラルで、左派的な理念の持ち主だった彼は、教育と社会保障制度の改善、砂漠の緑化事業などを主な政策として、発展途上国から脱却する事を意図した計画経済的、かつ社会主義的なプロジェクトを実践。また、政府の中枢に多くの女性を彼の起用した事でも知られている。政策も住民本位を基本に、労働力を提供させるなどしてインフラの整備に努めた。国民からは多くの支持を得る事に成功したが、その急進的な政策のために側近の反感を招き、1987年にクーデターで命を落とした。しかし、それ以降ブルキナファソでクーデターは起こることがなく、よい意味で彼が残した伝統を守る、文字通り公正明大な人々の国として現在に至る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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