🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2022年8月31日 エローラ 外国人差別入場料金
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最終更新日:2023/06/12
シニアバックパッカーの旅, 世界人流観光施策風土記
GOOGLEPHOTOアルバム2022年8月31日エローラ全体
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エローラは月曜日が休みなので火曜日の本日になった。VIATORのランドツアーにはアジャンタ、エローラを一日で回るものがあったが、昨日時間を持て余したくらいだから、知識の少ない観光客には一日で十分だろう。ドライバーも9時に迎えに来るというぐらいのんびりしているのも無理はない。
途中で山頂に砦がみえる。有名観光地らしいが名前をすぐわすれてしまう。観光地としてなら覚えやすいものがいい。
上記動画
https://photos.google.com/photo/AF1QipPujCbksQNnpLdYz-VL8auSmucZhHXrTimQd6Yt
エローラまでは一時間。入場券はアジャンタと同じく異国人は600ルピー、インド人の40ルピー。中国も昔は人民元自体が外人はレートがちがったが、いまでは有名観光地は高齢者は無料で、外国人もパスポートを見せればよいから、日本より進んでいる。
正面にエローラを代表する16窟がみえるが、ガイドブックに従い後回しにし、右側の仏教の第1窟から始める。仏像があるから、原始仏教ではない。八窟では僧侶がお経をあげていた。ヒンドゥ教は真ん中で、ジャイナ教は左だが、メインの32窟までは距離があり、シャトルカートが30ルピーで往復していた。
石窟からは正直三者の違いはわからず、退屈する。16窟だけは一つの岩山から寺院全体を作り上げたもので驚いてしまう。3Dプリンターでも難しいのに、人力だから百年かかったようだ。行ったことのない人に映像で説明するのが難しいことを改めて理解し、YouTuberも大変だということがわかった。
ヒンドゥの神がここにいるということらしいが、ご神体はリンガ。道祖神であった。
https://photos.google.com/photo/AF1QipNMk2Zchu-yYIfLQs7VfPsklTcxXT-ndoy3c65A
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早めに空港に行き良かった。インディゴのカウンターに行き、まだ搭乗券が届かないというと、デリー行きはキャンセルになったという。代わりにハイデラバード経由コルコタ行きをすという。もし、遅く空港についていたらもう一泊アウランガーバードにすることになり、しかも宿泊費用は出さなかっただろうから、早めに来てよかった。ネット旅行会社とLCCはいろんなことがあり、しかも連絡が悪いので気をつけないと危ない。
追伸 今回のネット旅行会社はtripcom,いつもきちんと連絡をくれるので、他のネット旅行会社より信頼していたのでおかしいと思っていたら、ハイデラバードに到着時点で電話が入っていた。急に欠航したインディゴに責任があり、tripcomのせいではなさそうだ。
◎旅行前準備資料 石窟寺院
エローラにある岩を掘って作られた石窟寺院群はその典型的な遺跡として知られている。34の石窟が、シャラナドリ台地(Charanandri hills)の垂直な崖に掘られており、5世紀から10世紀の間に造られた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院や修道院(あるいは僧院、僧坊)などから構成されている。仏教寺院(仏教窟)の数は12窟で、石窟寺院群の南端に位置する第1窟から第12窟がそれにあたる。ヒンドゥー教寺院(ヒンドゥー教窟)は第13窟から第29窟までの17窟、北端に位置する第30窟から第34窟までの5窟がジャイナ教の寺院(ジャイナ教窟)となっている。それぞれ石窟は近接している上に作られた時期も重なっている。石窟寺院群は南西方向に面した崖に掘られている。東に掘られているものほど古く、西に行くほど新しい。東のものはほとんど仏教石窟で、中央付近のものはヒンドゥー教、西の方のものはジャイナ教の石窟寺院となっている。年代も、仏教の石窟がもっとも古く、次にヒンドゥー教、ジャイナ教の順で新しくなっていく。仏教の石窟寺院はまさに石窟で、狭い導入部と広い奥の空間という構造のものが多い。
初期の仏教は己の救済だけ追究する内向的な思想であったという。そのため瞑想室のような閉空間を必要とした。
時代が下がるにつれ、徐々に宗教は大衆を救う大乗的なものに変化し、それにつれて石窟寺院も開放的になっていく。ついには石窟そのものが必要なくなりエローラは放棄された、と言われている。第10窟はヴィシュヴァカルマ窟(Visvakarma)といい、一般的には大工の石窟と言われ仏教石窟の中でもっとも有名な石窟である。
第16窟はカイラーサナータ寺院(Kailasanatha Temple)、あるいはカイラーサ寺院(Kailasa Temple)と呼ばれ、エローラで最も重要な石窟寺院である。エローラすなわちカイラーサナータ寺院と思っている人もいるほどエローラを代表する石窟である。
この巨大な『彫刻』は、ラーシュトラクータ朝の君主クリシュナ1世(位756年 – 775年)の命により、カイラス山(須弥山、ヒンドゥー教ではシヴァ神が住むとされる)をイメージして掘られたものと考えられている。クリシュナ1世は、パッタダカルのバーダーミのチャールキヤ朝の建築をモデルにしつつ、岩山から寺院を彫りだすアイディアは、パッラヴァ朝のマハーバリプラムの「ラタ」にヒントを得て、それを凌駕しようとする寺院を造り出すことでシヴァ神を祀り、王朝の権威を示そうとするものであった。
カイラーサナータ寺院はアテネのパルテノン神殿の倍ほどの規模があり、石窟と言うより一つの高層建築物にしか見えないが、紛れもなく一つの岩から掘られたものである。
カンボジアのアンコール・ワットやインドネシアのボロブドゥール遺跡も同じくカイラス山をイメージして作られたものだと言われている。
第15窟ダシャ・アヴァターラ窟(Dasa Avatara)も印象的なヒンドゥー石窟である。広い中庭にはカイラーサナータと同じく露出した神殿がある。中には何も無いが、透かし彫りの窓があり、これも岩盤から彫り出された地球の一部である。中庭の周りにはマンションのような石窟がぐるりと囲み、ここには10柱のヴィシュヌ神の化身と雄牛の像、シヴァ神の像がある。
第29窟デゥマル・レーナ(Dhumar Lena)も印象的な石窟である。ヒンドゥー石窟としては最も西にある石窟である。この窟は丘の尾根の部分に作られており、大きな入り口が2つある。片方は川に面しており、テラス状になっている。もう片方は岩盤の大きな割れ間に通じており、いくつかの彫像が配置されている。青空の下にある他の石窟の入り口と違って、非常に神秘的な雰囲気がある。
ジャイナ教の石窟は他と比較してそれほど大きくはないが、繊細で複雑な構造を持ち、一種の芸術的作品となっている。
第32窟はジャイナ教の石窟でチョーター・カイラーサナータ(小カイラーサナータの意)と言われ、石窟の正面の中庭に第16窟と同様に外部に出現した神殿がある。第16窟と大きく違うのは、石窟のほうも充実していることである。第32窟の石窟の中はジャイナ教の神殿となっており、天井には蓮の彫刻が見られる。
また第34窟(第32窟、第33窟と繋がっている)には美しい女神が、豊かに実ったマンゴーの木の下で、ライオンの上に座り壮麗な姿態を見せている。もちろん神像はこれだけではなく数多くの神像が壁を埋めている。ジャイナ教石窟には豊富な天井画が見られ、今でも多くの天井画が残っている。ほかのジャイナ教の石窟も繊細な彫刻と、複雑な内部構造を持っており、互いに内部で繋がっている。そのため、訪れた人には境界がはっきり判らなくなっている。
ジャイナ教の石窟寺院は、中庭の神殿とそれを囲む充実した石窟寺院群から構成されるが、この構成は現代のジャイナ教の寺院の特徴となっている。現代のジャイナ教寺院は中央部に神殿があり、それを中庭をはさんで外郭がぐるりと囲っている。この外郭は仏教寺院の簡素な回廊と違って充実したもので、立派な塔や小神殿が付随した立派なものである。エローラのジャイナ教の石窟寺院は、まさにジャイナ教寺院の原形とも言えるものである。
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