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🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2022年9月1日~3日 コルコタ

公開日: : 最終更新日:2023/06/12 シニアバックパッカーの旅

https://photos.google.com/album/AF1QipMJeMper47y-Sla1YtKDlHxnmwjd29NtSIkB92p

夜中の11時到着し、プリペイドタクシーを依頼。宿では500ルピーだとメールがきたが、860ルピーだった。宿は夜中に到着するとわかりにくい。ドライバーも違うところに行ってしまったので、goole mapを見せて修正。しかし入り口がわからず、電話。それをドライバーに聞いてもらい、一件落着。宿は民泊だったのでドライバーもわからなかっ たみたいだ。

朝食前にカーリー女神寺院にゆく。歩いていったものだから、goole mapに表示された場所とガイドブックに出ている場所が違い、大混乱。最初刑務所に行ってしまった。カーリー寺院はそこら中にあるみたいだ。カーリー女神寺院では、毎日山羊を生贄にするらしい。流された血の跡がみえた。写真撮影と土足は禁止。女性の物乞いと男性のガイドの押し売りがはげしかった。宿には朝食を七時半と言ったが、一時間以上遅れてしまった。

刑務所

 

一休みして午後は地下鉄で観光。明日の空港までの交通手段を考えるため、地下鉄の最寄駅ダムダムまで行ってみた。国鉄との接続駅でもある。跨線橋の感じは、前回インド旅行した時の跨線橋と余り変わらなかった。駅から空港までのタクシー料金をドライバーに聞いたら400ルピー、皆同じ答えをしたので協定があるのかもしれない。

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地下鉄で戻り、ジャイナ教の有名寺院であるパレシュナート寺院にゆく。財力があるとみえる作りだ。次に東インド会社跡の建物を計画していたのだが、諦めて地下鉄駅でしばらく冷気にあたり体力を回復させ、沢木耕太郎が定宿にしていたパラゴンを見に行った。今でも地球の歩き方には現役の宿として上位に紹介されている。

次にマザーテレサ記念館に向かう途中、デモに出くわす。日本では最近めっきりみかけなくなった。聖人に列せられている。コソボを旅した時も、プリティシナに記念館があった。QUORAでは、中南米の独裁者との関係や、神の苦しみを体験させるため、死にゆく病人に鎮痛剤を投与しなかったなどの話がでているが、真偽はわからない。宿に戻った時、四万歩。

デモの動画2本

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ベンガルは英国植民地の第一歩、現地の争いに巻き込まれるうちに、徴税権などを取得し、インド大反乱(プラッシーの反乱)で、大英帝国の植民地にしたと解説される。日本も、中国植民地化の足がかりに、ベンガルに相当する場所として狙っており、重なる英国人襲撃を口実に、議会でも植民地化の決議がされている。幸いインド大反乱があり、政府は断念。しかし功を焦った軍人の一部が薩英戦争を仕掛け、失敗したおかげで、なんとか植民地化を免れたと、これもQUORAの解説に書いてあった。関東軍は英国にもいたのだ。シュリューマンの日本紀行記でも、薩長のテロリストがうようよしている記述がみられ、今で言えば、タリバンがのさばり、最終的に政権を奪取したという理解になるのだろう。

 

旅行準備資料

◎ジャーデンマセソン商会(グラバー邸)と東インド会社

前身は東インド会社で、元は貿易商社。1832年、スコットランド出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンにより、中国の広州(沙面島)に設立された。中国語名は「怡和洋行」。当時、広州は広東システム体制下、ヨーロッパ商人に唯一開かれた貿易港であった。設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われたアヘン戦争に深く関わっている。アヘンの輸入を規制しようとする清朝政府とイギリスの争いが起こった際に、当時のアヘン商人の一つであるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は9票という僅差で軍の派遣を決定した。

かねてより沖縄や台湾、長崎の中国人商人を通じて日本の物品を密貿易していた同社は[1]、江戸幕府が1853年の日米和親条約を皮切りに、1854, 1855, 1856年と立て続けに日英、日露、日蘭和親条約を締結し、長崎港と函館港を開港すると、1859年(安政6年)に、上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズィック(ウィリアム・ジャーディンの姉の子)を日本に派遣した。ケズィックは西洋の織物、材木、薬などを持ち込み、日本からは石炭、干し魚、鮫皮、海藻、米などを購入、ビジネス的には成功とは言えなかったが、日本製絹の品質の高さに将来性を抱き、1860年初頭に、横浜居留地1番地(旧山下町居留地1番館、現山下町一番地)に「ジャーディン・マセソン商会」横浜支店を設立した。長崎居留地ではデント商会に先を越されたが、横浜でその仇を返した形となった。後に吉田茂の養父・吉田健三が一時期、同社横浜支店長を務めていた。

鹿島によって建設された横浜初の外国商館である社屋は、地元民から「英一番館」と呼ばれた。跡地には現在シルクセンター(国際貿易観光会館)が建っている。

長崎でも、1859年9月19日(安政6年8月23日)に幕末・明治期の重要人物であるトーマス・ブレーク・グラバーが「ジャーディン・マセソン商会」長崎代理店として「グラバー商会」を設立。グラバー商会は、江戸幕府や西南雄藩の艦船・武器購入をめぐる取引に主要な地位を占めた。また薩摩藩の貿易計画や同藩士のイギリス留学の資金調達に重要な役割を果たした。また1863年(文久3年)の長州五傑のイギリス留学の際には商会支店長だったS.J.ゴーワー(Samuel J. Gower. 1862-1865滞日)が出航の手配をした。その他、神戸・大阪・函館にも代理店を置いた。

1988年、持株会社制度を導入し、関連会社を含め大幅な改組を実施。ケズウィック・ファミリーがロンドンの持株会社を支配し、ロンドン証券取引所とシンガポール証券取引所で上場。現在の持株会社の会長(別称:大班)は、ケズウィック・ファミリー6代目当主のヘンリー・ケズウィック。兄弟のサイモン・ケズウィック(Kwik Save社元代表)が7代目になる予定。同社の組織構造はほぼ完全に変わったが、ウィリアム・ジャーディンの一族が秘密トラストと共同株主による複雑な株式持合いにより企業支配を続けている。近年ではマンダリン・オリエンタルホテル等の経営で知られる。

◎東インド会社

◎アンボイナ島

◎キャラコ使用禁止令

◎1905年 ベンガル分割令 1911年撤回 ヒンドゥとイスラムの対立激化

◎アヘン、お茶、たばこ

 

◎空港アクセス

チャンドラボース国際空港から徒歩でmetro駅DUM DUM

 

◎宿から徒歩 1時間半

 

,◎路面電車

 

◎サドルストリート、マイダン公園東側 パラゴン 深夜特急

 

◎ベンガルの風土病 コレラ

コルコタは、我々の世代はカルカッタで覚えたから、この方がなじみがある。しかもまだヘア解禁前の時代であるから、オーカルカッタが話題になっていた。

The show sparked considerable controversy at the time due to its extended scenes of total nudity, both male and female. The title is taken from a painting by Clovis Trouille, itself a pun on “O quel cul t’as! ”, French for “Oh, what an arse you have!”

コルコタは地下鉄が発達しており、市内移動は便利、観光は下記4か所

セントポール寺院 カーリー寺院
ビクトリア記念堂 マザーハウス
セント ポール寺院 クチコミ・アクセス・営業時間|コルカタ (カルカッタ)【フォートラベル】
内部は写真撮影は禁止、入場無料 ゴシック様式の英国国教会の教会。1839-1847年にかけて建設され、1934年の大地震で大きなダメージ、修復

カーリー寺院は市内の中心地から南に4〜5キロ離れている場所にあるので、公共交通機関を利用。日本人宿であるサンタナゲストハウスからの行き方を説明。https://life-traveller.com/santana-india

https://indiasantana.net/kolkata/

最寄りバス停の名前は「ノナプクル(Nonapukur)」宿泊料金の中に朝食が含まれている。夕食は希望者のみ有料で食べることができる。近くにはいろいろ買えるスーパーマーケット「more」。千円しない。

行き方は簡単で、サンタナゲストハウスから大通りに出ましょう。大通り沿いで45B 18B 204 のどれかのバスに乗れば、カーリー寺院の近くまで行くことができます。乗るときに、集金係に「Kali temple」と言っておけば、降りる時に言ってくれる人が多いです。カーリー寺院の近くには、地下鉄もあるので、その場合は、「Kalighat Metro Station」か「Jatin Das Park Metro Station」で降りてから、歩いて行けます。荷物がある場合は、近くに預かり場があるので、そこに預けなければなりません。また、寺院内はカメラの使用は禁止されています。ここカーリー寺院では、ある一定の場所からは、靴を脱がないと、入ることができないことは知っていました。靴の預け代をどうにか払わないでいいように、靴を置いておける場所を他に探してもありませんでした。それを見ていた入り口近くの警備員が、「ここに置いていいよ、見とくから」と言ってくれたので、無料で靴を預けることができました。途中までしつこくついてきていたおじさんはどこかに行っていました。あのおじさんは誰だったのでしょうか。偽ガイドだったのかもしれません。実際にカーリー寺院では、偽ガイドの被害が多いので気をつけてください。

https://youtu.be/IloCc7Y4asM

ヤギを生贄として殺す儀式は、黒っぽい石でできた小さな建物の中で行われます。僕らが行った時には、ヤギが花束をかけられて、水で清められてました。ヤギは、生贄になるのが分かっているのか、大きな声で「メェー」と鳴いていました。人が言っているかのような鳴き声で、すごく耳に残りました。正面には何人かの人がいたので、そこから離れて、太鼓が置いてある場所に移動しました。すると、すぐに、その太鼓がなり始めました。小学生ぐらいの子供が勢いよく叩いています。これが儀式の始まる合図です。暴れるヤギを男が押さえて、足をのばし、処刑台に首を固定します。一人の男が、大きな刀を持ってきて、一気に振り下ろしました。一瞬でした。ヤギの頭と胴体は分かれました。驚くべきことに、切断されたヤギの胴体は、生きてるかのように、しばらくジタバタしていました。

◎マザーテレサ

マザーテレサは、スキピオを旅行した時に、そこの出身であることを知った。ノーベル平和賞受賞者である。功績は偉大であるが、批判も出ている。人間だから仕方がない。評価はまだ定まっていないのであろう。

◎ベンガル飢饉

◎ベンガル大飢饉(300万人死亡) チャーチルにより人為的に発生した飢饉

1943年のベンガル飢饉(英: Bengal famine of 1943)は、第二次世界大戦中の1943年から1944年にかけて、イギリス領インド帝国のベンガル地方において発生した大飢饉である。この大飢饉により、およそ300万人が死亡した。この飢饉は、インドにおける暗黒の歴史となった。なおこの飢饉の原因は、干ばつや猛暑などではなく、ウィンストン・チャーチル元英首相の政策による影響が大きかったためとされている。チャーチルが、インド人に対し人種的嫌悪感を抱いていたため、飢饉にあえぐインドに援助をせず、多数の人々が餓死したとされている。いわば、人為的に発生した飢饉といえる。

◎ 世界の総人口の半分は黄色、残りの半分は黒で表示されている。

この地図では、赤いエリアの人口と、青いエリアの人口が同じです。それは正気の沙汰ではありません。

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