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🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2022年9月3日 🏳‍🌈㊵ポートブレア(アンダマン諸島)

公開日: : 最終更新日:2023/06/12 シニアバックパッカーの旅

GOOGLEPHOTO ポートブレアの写真動画

https://photos.google.com/album/AF1QipNN-Egs9-5exmHCEcJfV7nSQZpDoO5mZRryDBKP

9月2日~3日 

CCU 9:45発 SG8263 12:15 IXZ着 10800円

   

コルコタの朝 宿で朝食を済ませ、空港へ。しかし、地下鉄が七時からだとは知らず、シャッターが閉じておりあせった。タクシーと交渉600ルビー。スパイスジェットのポートブレア便は満席。十二時到着。外国人だとわかったのか、入域審査らしい儀式。渡された紙に注意事項。北センチネル島に文明を拒否する種族がおり、かってにあるき回らない配慮もあるようだ。

次にワクチンパスポートのチェック。接種済のスタンプを手の甲におされた。

 

ドコモの海外パケ放題が使えないようだ。事前チェックもれ。宿のwifiがロビーだけしかつかえない。蚊が飛んでくるので長くはいたくなく、なんとか明日のエアインディアのチェックインだけはすませた。

一休みして、観光見物。通りで適当に手を挙げたらバスが停まってくれた。10ルピー。スマホの地図は、データ通信が使えなくても、GPSで現在位置が表示され、goole mapにお気に入り登録をした表示だけがでてくる。不思議だが、歩く方向だけはわかる。バスに乗り、スマホ画面とにらめっこ。方向は間違っていないので、終点まで。バスターミナルだった。降りずにそのまま来た道をもどり、ガンジー公園に行く。観光事務所があったので詳しい地図はないかと聞いたがないとのこと。国と名前をきかれたので、スシ テラマエだとつたえた。覚えやすいだろうし、報告しやすいと思う。

https://photos.google.com/album/AF1QipNN-Egs9-5exmHCEcJfV7nSQZpDoO5mZRryDBKP/photo/AF1QipNM7yJBf9dTQwisU5CrORvpu1d8Dvl-rHIeEsiO

ガンジー公園に日本寺院があった。戦争初期海軍がイギリスを追い払い占領したからゆかりがあり、誰かが建立したのだろう。慰霊碑は別の場所にあるのだろう。

公園出口で初めてオート三輪に乗った。旧監獄までいくらかときいたら、40ルピー。着いた時は閉館、事前に写真を見てきたので、あまりこだわりはなかった。インド人の独立運動家がイギリス政府に収容されて、拷問にあい獄死している。監獄の前の公園には、獄死した英雄の銅像がならんでいた。帰りはバス。空港近くを通るバスを教えてもらう。10ルピー。昨日と違い、バスを活用したので今日は足が軽い。

https://photos.google.com/album/AF1QipNN-Egs9-5exmHCEcJfV7nSQZpDoO5mZRryDBKP/photo/AF1QipOMQ9F-tcUdDWEuhE3uUch5f_Y7ZxaSio8XGBPq

Amazing view of flight Landing at Port Blair, Andaman Islads

ポートブレア観光(大監獄・セルラー刑務所、日本軍慰霊碑)宿 6:30 1.2km

9月2日 IXZ 8:00 発AI550  10:10 MAA 12300 着

https://youtu.be/RnAlWHWG5Xs

 

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◎アンダマン諸島

アンダマン諸島(Andaman Islands)は、インド東部のベンガル湾に浮かぶ、インドに属する島々。南の方にあるニコバル諸島と共に、インドの連邦直轄地域アンダマン・ニコバル諸島を成している。中心地はポートブレア 特筆する産業はほとんどなく、熱帯モンスーン下におけるジャングルが最大の資源である。チェンナイおよびコルカタがインド大陸への窓口

外国人は入域許可証みたいなのを受け取る為に何かを書かされる

旅行記 https://4travel.jp/travelogue/11216800

航空機にて、アンダマン諸島の最大の都市ポートブレアへ。着後、ホテルへ。午後、ポートブレア観光独房監獄、貴重なアンダマンの民族の展示がある人類学博物館日本軍のバンカー掩蔽壕)と慰霊碑があるガンジー公園)。 アンダマン諸島には320を超える島々があるが、そのうち人が住み、観光客に解放されているのは26島のみ。その地理的な重要性と先住民の保護の観点から外国人の立ち入りが制限されている。アンダマン諸島はイギリス植民地時代の流刑地としての歴史を持ち、1942年には日本軍が上陸し、3年にわたり占領。首都ポートブレアの独房監獄、かつては「東のパリ」と呼ばれたロス島のイギリスの植民地跡を訪問。

1857年以後、アンダマン諸島はイギリスに対して反乱を起こした政治犯の流刑地となり、インドやビルマから多くの流刑者がこの地に送られたことにより人口が増加した。イギリスは、1896年から十数年かけて、今も建物の残る大監獄・セルラー刑務所を建設 のちにビルマ人、インド人の移民が加わり、原住民との混血を繰り返し、現在の住民構成となった。人口は34万3125人(2011年)。住民の多くは第一次産業に従事している。現在では住民の大半がインド人移民であり、アンダマン諸島先住民(大アンダマン人、ジャンギル族、ジャラワ族、オンゲ族、センチネル族)は外部との接触による疫病等で激減または絶滅した。彼らは系統不明のアンダマン諸語を話す。1942年(昭和17年)3月下旬の日本軍によるアンダマン諸島の占領に始まり、1945年8月に大日本帝国が連合軍に無条件降伏し、同年9月にイギリスが両諸島を再占領するまで続いた。

◎ロス島

密林に埋もれた「東のパリ」と呼ばれた町、ポートブレア沖ある小さな島がロス島。英国領時代のこの地域の行政の中心であり、「東のパリ」として繁栄したが1941年の地震により破壊され、続く日本軍の侵攻を受け放棄された。現在も60ほどの建物が当時のまま残り、人工物が樹木に飲み込まれていくさまは、カンボジアのアンコール遺跡群を髣髴とさせる。島内は歩きやすいトレイルで結ばれており、樹木に覆われた植民地都市跡、日本軍のバンカー(掩蔽壕)を見ることができる。  アンダマン諸島の島巡り ニール島・ハヴロック島・バラタン島 https://matome.naver.jp/odai/2138555855358089601 

北センチネル島

https://jp.quora.com/%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%8D%E3%83%AB%E4%BA%BA%E3%81%AF%E5%A4%96%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8D%E3%81%86%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A7

なぜセンチネル人は外の世界を探ろうとしないのでしょうか、そしてなぜ彼らは自分たちの島を一度も出ることがないのでしょうか?わずか10マイル離れた南アンダマン島には行ったことがありますか?

センチネル人が外の世界と完全に隔絶されているというのは誤解です。北センチネル島の孤立は非常に現代的な現象です。彼らは漁師、政府の役人、兵士、密猟者、冒険家、人類学者、宣教師などと頻繁に接触してきました。

しかし、数十年にわたる外部の人々との関わりから彼らが学んだことは、外部の人々は常に病気をもたらし、魚を奪おうとしたり、女性を強姦しようとしたり、単にランダムに人々を撃ったりするということです。そして、彼らは侵略者が問題を引き起こす前に、暴力的に攻撃する唯一の方法はそれだと決めたようです。

そして他の島の先住民のわずかな生存者を見ると、彼らの戦略が成果を上げているように思えます。侵略者を暴力的に撃退しなかったら、彼らの島は植物園になってしまい、彼ら自身は奴隷にされてしまっていたでしょう。そして、外部の病気の流行で人口が減少してしまったでしょう。そして、植物園が閉鎖された後は、島に土地所有権がないため、彼らは乞食になるしかなかったでしょう。

北センチネル島との接触の頻度を十分に強調できません。90年代に至るまで、インド政府は人類学者を何度も彼らを訪れるために派遣しました。

北センチネル島の人々との接触の証拠写真です。

インド洋東部のベンガル湾内にあるインド領アンダマン諸島を構成する572の島の1。アンダマン島の西、約30kmに位置する。島には先住民でありセンチネル語を話すセンチネル族(Sentinelese)が50ないし400名程度居住していると考えられている。彼らは現代文明を有さず、他民族との接触を拒否しており、アンダマン・ニコバル諸島自治政府も干渉する意向を持っていない。 これまで何度も平和的に接触する試みがなされたが、いずれも島民に拒絶されている。2004年のスマトラ島沖地震に際しては、救援物資輸送のヘリコプターに対し、矢を放っている。2006年には同島に漂着した2人の漁師が、島民に殺害される事件が起きている。

街並み
2017年二発目の旅は、何となく前から気になっていたインド領、アンダマン・ニコバル諸島の中心都市、ポートブレアと南インドの大都市、チェンナイ(マドラス)を巡ってきました。<br /><br /><br />表紙の写真はポートブレアの中心地にそびえ立つガンジー像。

旅行記 https://4travel.jp/travelogue/11216800

 

お約束の時計塔。
19世紀に出来て、英国からの独立を願う政治犯がインド内地から収容された場所です。<br /><br />日本人にも関わりがあります。
監獄跡
ほこら。生まれた時代の違いだけでこんな遠くまで来させられて。<br /><br />自分は旅行で来れて。<br /><br />合唱。<br />

 

 

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