🌍🎒シニアバックパッカーの旅 モーリシャス 国連加盟国123か国目(143) 2019年2月15日
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最終更新日:2023/06/14
シニアバックパッカーの旅
セイシェルの宿にいたとき、エアオーストラルからメールが来た。オンラインチェックインの案内である。こちらの方は入力も円滑であった。ただよく読むと、プリントアウトしろとある。空港でスマホを見せればいいのだろうと勝手に解釈。それでもチェックインしているだけ安心である。席は窓際に変更した。レユニオンを空から見たかったからだ.後でわかったが、ビジネスからエコノミーに変更してしまったので失敗であった。
空港で、タクシー運転手と交渉したが、なかなかまとまらなかった。最後に交渉した運転手は70ユーロを60にしてくれた。 道は整備されている。高速道路もあり、ポートルイスにはクルーズも寄港していた。人口が約130万人だから、セイシェルとは、一桁大きい島である。
ネットの書き込みでは汚い街の印象が強かったが、そんなこともなかった。インド文化に対する認識の差ではないだろうか。 モーリシャスは1968年英国から独立、2013年一人当たりのGDPは9,165ドルで、世界平均のおよそ90%の水準である。
アアブラバシガードは入場無料。これだけでも先進国の文化である。書き込みとは違い、説明はよくできているが、資料がすくないのだ。これから発掘されるだろう。奴隷制度はなくなったが、年季契約労働も、かなり奴隷に近い。しかし、故郷のインドの村にいても、生活はサトウキビ畑の労働者とあまりかわりはなかったのだろう。少しはマシになると思って契約したのだろう。日本の外国人労働者も、中間搾取が厳しく逃げ出す者がいることを思い出した。
セブンカラードアースの入場料金は250ルピー、カードで支払うことができた。最初に二筋の滝。自由の女神と同じ高さがあることを説明ガキに書いてあったので、記憶に残る。七色とは虹。六色とする文化もあるが、七色と思えば七色だ。しかし、土の色だから、あまり鮮やかなものではない。ネーミングがよかったのだろう。外国人が多く集まっていた。もちろん中国人もだ。しかし私はもっとあざやかな鳥がいたので、そちらに気を取られてしまった。帰りの沿道では、ヒンドゥー寺院が目につく。モーリシャスは七割がインド人。でも夜はコーランのお祈りが聞こえた。インド人には、イスラム教徒も多くいるのだ。 タクシー60ユーロだったが5ユーロ余計に欲しいというのであげた。もともとチップを出そうと思っていたので、構わない。
宿は看板がない。運転手に連れて行ってもらわないといけなかったと思う。地図ではわかりやすくなっているのだが。ケンタッキーフライドチキンみたいな店の二階であり、案内されないとわからないが、なかは書き込みにあったように、こぎれいで文句はない。店でチキンふた切れと水を買って、全部で1311ルピー、約四千円。空港まで2キロなのだが、グーグルはどういうわけか、徒歩で六時間タクシーで七分とでる。
(アアプラバシガード等の動画)
https://photos.google.com/album/AF1QipPU9AYMi9LAJRZ3Jf1j-rwChu-iI4fZLZHMgxeQ
(七色の大地の動)
![](https://jinryu.jp/blog/wp-content/uploads/2018/12/2018-12-12-5-1024x576.png)
![](https://jinryu.jp/blog/wp-content/uploads/2018/12/2018-12-12-6-1024x576.png)
![](https://travelzaurus.com/wp-content/uploads/2017/04/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%B9%EF%BC%98.jpg)
「神はモーリシャスを最初に創り、そしてモーリシャスを真似て天国を創った」と『トム・ソーヤーの冒険』の著者として知られるマーク・ トゥエインに言わしめたモーリシャス。民族構成は多様だが、19世紀にサトウキビ農園の労働力として移入されたインド系住民が過半数を占める。イギリスの植民地時代は、モーリシャス島から北東へ約2000km先にあるチャゴス諸島島と併せて統治されていたが、独立直前の1965年11月に分離され、チャゴス諸島の住人約1800人はモーリシャス島へ強制移住させられた。
アープラヴァシ・ガートは、ポートルイスにある移民受け入れに使われてきた建造物群の総称。2006年にモーリシャスで初となる世界遺産産に登録された。アープラヴァシ・ガートは、1834年から1910年まで主にインドからわたってきた労働者の迎え入れに使われた場所で、現存する施設は1849年に作られたものである。現在のモーリシャスでは、このインド系労働者の末裔が全人口の68%を占めている。1849年に作られた建造物群のうち、現存するのは15%である。波止場、入り口の門などが、部分的に残っている。1835年2月1日に、モーリシャスでの奴隷制が廃止された結果、製糖業での人手不足が深刻なものとなった。イギリスたちは、労働力調達のための新たな仕組みを取り決めた。1834年からフランス系モーリシャス人やイギリス人の農園主たちは、インドからの労働力の調達と輸送を整備した。この仕組みは「クーリー貿易」と呼ばれ、やってきた労働者は「クーリー」と呼ばれた。この受け入れ施設から製糖所に送られたインド人、あるいは中継してレユニオン、豪州に送られたインド人などは、全部で40万人に上ったとされる。1970年代になると、「クーリー」には差別的な含意があるとして、「クーリー・ガート」は「アープラヴァシ・ガート」と改称された。これは、ヒンディ語語で「移民発着所」などの意味である
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