🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2022年8月30日 アウランガーバード アジャンター
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:
最終更新日:2023/06/12
シニアバックパッカーの旅
Googlephotoアルバム 2022年8月31日
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アウランガバード
昨夜、アウランガーバード空港から宿まで頑張って、途中まであるいた。ヒンドゥー教のお守りのようなものが屋台で売られていた。幸いCITYバス19番が来たので飛び乗った。バスは行き先が大丈夫かとか、心理的負担があるのでつかれるが、交通事情はよくわかる。運転手に確認して安心できた。
アジャンター
アジャンタとエローラは、世界史の教科書等で仏教徒の多い日本人には馴染みが深く、ムンバイのホテルの受付も、次はアウランガーバードに行くのかと、聞いてきたくらいだ。 しかし名前は知っていても、私には両者の違いはわからない。案内書では、アジャンタは古代仏教遺跡、エローラは仏教、ジャイナ教などの複合遺跡のようだ。
中国の文化レベルに頭の上がらない古代日本列島住民は、中国の上をゆくインド文化があることを知り、日本の神はインドの仏が形を変えて現れたと理解したと聞いていた。いわゆる本地垂迹説だ。今も中国の力に脅威を抱き始めて、日本政府はインドに接近を始めだしたから、先祖返りである。
アジャンタやエローラにはVIATORが二日間12000円のランドツアーを販売してたので、これを購入した。催行人員は二人だったが、一人でも一人料金で実施したので、専用車なみ。二時間で到着。道が悪いところがあり、自動運転の前に道路整備が必要ということを再認識。見学に90分、見晴台までの往復30分と、麓のレストランには12時半に戻ってきた。
古代仏教は偶像である仏像は禁止、初期の第十窟を見るとわかる。僧侶の瞑想の場だ。ただ、偶像は禁止なのに仏足跡は構わない理由がわからない。5、6世紀からの後期は仏像に壁画。富と文化力を表すものに変化。でも途中からわすれられ、19世紀に英国軍人に発見された。日本では、第1窟の壁画が切手の図柄になり知られている。中国の莫高窟はアジャンタをモデルにしているように思われたから、古代日本列島の住民の気持ちがわかる。
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◎アジャンターの事前資料
アジャンター石窟寺院は、1819年4月、イギリス人士官ジョン・スミスが虎狩りをしていたときに、断崖に細かな装飾が施された馬蹄形の窓のようなものを見つけたことが発見の契機となった。放棄されてコウモリのすみかになっていた。のちの第10石窟に自分の名前を記した。
仏教窟であるこの石窟の種類は2種類あって、平地に木造か煉瓦造で建てられていた僧院(ヴィハーラ)を石窟におきかえたヴィハーラ窟とブッダを象徴する「聖なるもの」(チャイティヤ)として仏塔などが据えられたチャイティヤ窟がある。アジャンターでは、9,10,19,26,29窟の5つがチャイティヤ窟で残りはすべてヴィハーラ窟である。平地では中庭を囲むように僧室をつくるが、ヴィハーラ窟では、一面を採光のために外部に開き、中庭を列柱で囲むようにして僧室との間に回廊をつくる。一方チャイティヤ窟は、2層分の高さに天井を高くして、天井は断面半円形をなし、平面プランは細長い馬蹄形で奥の半円形部分に仏塔を配置する。共通する特徴は、元来木造である僧院とチャイティヤ堂を模倣することにこだわり、柱や梁や垂木を彫り込んでいる。開窟年代は、前期(第1期)と後期(第2期)に区分される。前期は紀元前1世紀から紀元後2世紀のサータヴァーハナ朝時代に築かれている。ヴィハーラ窟としては第12窟、第13窟、第15A窟で、チャイティヤ窟では第9窟、第10窟で、おそらく比丘たちの生活、修行の空間であったためにいずれも装飾が少なく小型で簡素な造りであったと考えられる。6世紀半ばと考えられるアウランガーバードの石窟寺院に見られる特徴がアジャンターで見られないことを考えるとアジャンターの年代は6世紀半ばくらいまでに築かれて一部開窟途中のまま放棄されたと考えられる。
アジャンター石窟寺院の美術的価値は、やはり後期窟に集中しているといえる。第1,2,16,17窟は、入口柱や天井にミトゥナ像や飛天、蓮華や鳥獣の画像が描かれたりレリーフとして刻まれたりしている。またこれらの代表的なヴィハーラ窟の壁面には本生譚(ジャータカ)などの説話図が描かれた。これらは、悟りを開いたものとしてのブッダが送った模範的生涯を表現する絵解きによって、よりいっそうの信仰心をもつよう巡礼に来た人々を教育する目的ももっていた。
第1窟には、回廊左手にマハーシャーナカ本生譚が描かれている。これは、ブッダの前生(ぜんじょう)の姿であるマハーシャーナカ王子が世俗の快楽を捨て去る決心をして、妃シヴァリーが踊り子たちとともに出家を思いとどまらせようとするが、引き止めきれず、王子はゾウの背に乗って王宮を去り、残された妃は深く絶望し、奴隷たちに囲まれて快楽にうずもれてゆくという場面である。第1窟の天井には、想像上の動物や人間の姿が描かれている。猿の悪ふざけにうんざりした水牛が猿をころそうとするが、贈り物をさしだして水牛を説得する人間の姿などが描かれている。また有名な「蓮華を持つ菩薩像」が後廊の仏殿入り口付近に描かれている。第17窟には、裕福な商人の息子であるシンハラの物語が描かれている。シンハラは、父の忠告を聞かずに出航するが船が難破し、遭難してしまう。ようやくスリランカの浜辺にたどりつくものの、鬼女たちに襲われ、天を飛ぶことのできる白馬に助けられ、帰国を果たすことができる。シンハラは心を入れ替えて魔物たちを退治するという話である。これらの説話図の描写は、説話の舞台ごとに王宮、山中などにまとめられ、構図も楕円形に人物を配置する独特の遠近法で描かれている。前述したように寄進者はヴァーカータカ朝の君主であるが美術的には典型的なグプタ様式と言える。
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