🌍🎒2024シニアバックパッカー世界一周の旅 リベリア(国連加盟国179か国目)空港のみ
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最終更新日:2024/03/10
シニアバックパッカーの旅
https://photos.google.com/photo/AF1QipPm3RlxwgRf36R2QU-tt4pNQ7fGOuT98kQAmejG
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2024.2.23. 早朝ロイヤルエアモロッコで、フリータウンからカサブランカにゆく途中、国連加盟国179カ国目のリベリアはモンロビアに寄港。空港は市内から60キロ離れて不便な場所。
同じ飛行機に乗っているはずなのに、シオラレオーネからモンロビアまでの座席と、モンロビアからカサブランカまでの座席が異なっていた。ドアラでも同じことがあった。常識的ではないが、念のため、モンロビアで降機する準備をしてタラップに足をふみいれた。当然ここはカサブランカではないとアテンダントに注意されたが、搭乗券を見せて説明。違う席へともどった。一応船外に出たことにはなる。高等戦術。
FNA |
3:05 |
AT569 |
4:05 |
ROB |
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ROBタラップ(乗換がない場合、前方トイレのついでにタラップに出る) |
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ROB |
5:05 |
AT569 |
10:10 |
CMN |
特典航空券 |
$844 |
モンロビアは、アフリカにあるリベリア共和国の首都である。人口は1,010,970人。大西洋とメスアルド川に囲まれた場所にある港湾都市である。北緯6度19分、西経10度48分に位置する。 モンロビアはリベリア最大の都市であり、同国の政治、経済、金融の中心である
空港は、市内から60キロ離れたロバーツにロバーツ国際空港がある。この空港は第二次世界大戦中にアメリカが建設した空港である。
1560年代にポルトガル人航海士によってこの地域がメスラド岬(Cape Mesurado)と名付けられた時、既に先住民のクルー族などの部族が居住していた。 アメリカ人解放奴隷が自給自足できる、既存のフリータウンのような植民地を設立することを目的とし、アメリカ植民地協会の支援により、1821年にアメリカ合衆国からの最初の居住者がアフリカに到着した。同協会のロバート・ストックトンがクルー族の首長ピーター王との銃などの品物交換の交渉(と言うよりもストックトンはピーター王に銃で脅して売買しようとしていた)でモンロビアとなる土地を手に入れ、アメリカの解放奴隷の黒人達が現地のプロヴィデンス島(Providence Island:現在のシエラレオネ)に初上陸した。入植事業は困難を極め、多くの居住者が亡くなった。1822年、第2陣の船が先の居住者を救出し、彼らをメスラド岬に運び、クリストポリス居住区を創設した。1824年、アメリカ大統領のジェームズ・モンローにちなみ、居住区の名前がモンロビアに変更される。アフリカ系アメリカ人解放奴隷をリベリアに搬送したこの植民の有力な支援者達は、アメリカ大陸で奴隷を解放するよりも、アフリカ大陸へ入植させる方が好ましいと感じた。なお、アメリカ合衆国以外の国の首都名が、アメリカ大統領の名前にちなんでいるのはモンロビアだけである
◎ 旅行記
https://4travel.jp/os_travelogue_list-city-monrovia.html
- モンロビアのロバーツ国際空港はボーディングブリッジがある近代的なターミナルだ。ここも最近建て替えられたようだ。トイレもきれいだ。
入国審査に行く前の検疫が厳しい。日本をいつ出たのかとか聞かれるとドキッとする。コロナ肺炎の影響でなかなか旅行しにくい世の中になってしまった。
空港の外に出た。南の島に来たような雰囲気で湿気はあるが埃っぽさがなくホッとする。
到着ロビー前からタクシーで市内へ向かうことにした。乗り合いバスもあるらしいがリベリアの滞在時間は限られているので余計なことに時間は使いたくない。しかしモンロビアの国際空港は市内からずいぶん遠い。土地は余っているはずなのになぜこんな不便な場所に建設されたのか理解に苦しむ。
市内までは50キロ以上離れている。タクシーと交渉する事にした。値段は40US$が30US$になった。結構な距離を走るから高いのは仕方ない。両替することにした。1ドル=190リベリアドルで固定されていてドルもそのまま使えるようだが細かい支払いの際はやはり現地通貨は必要になってくる。少し両替することにした。空港からモンロビアまでは1時間半かかった。結構遠く、車が多いと渋滞の可能性もある。明日は早めに宿を出たほうがよさそうだ。午後4時過ぎにモンロビアの中心部に到着した。明日のこと(25ドルで空港へ行く交渉済み)もあるので運転手が車を置いて一緒に宿までついてきた。宿泊先はコットンツリーか目印の「ミス・エミリーズ・プレイス」。民泊予約サイトのAirbnbで予約した。
モンロビアでの宿泊先である「ミス・エミリーズ・プレイス」は最初アゴダで予約していてシングルで6000円くらいと割高だったのだ。あとでAirbnbでも予約できることを知り、この場合ドミトリーに泊まることができて値段はシングルの半額以下の2500円になった。モンロビアの宿はどこも高いのだがずいぶん安く滞在できる事になった。
https://4travel.jp/travelogue/11575474
モンロビア市内観光(WaterSide市場 プロビデンス島・教会 フリーメイソン ドゥコールH)をして、モンロビア空港よりシエラレオネのフリータウンに向かいます。
④1月31日(金)
起床5:15し、朝食(6:15-6:45) H7:30発バスでモンロビア市内観光します。
1)WaterSide市場(7:50-8:05)(まだ、開店前でした。)
2)プロビデンス島・橋(歩いて渡る)(8:05-8:25)(コットンツリーや川を眺める。)
3)プロビデンス教会(リベリア独立の調印)(8:30-8:40)(隣の国立博物館 RedCross記念碑)
4)ドゥコールホテル(内戦で廃虚)(8:45-9:05)(灯台 ジョセフ・ロバート像 フリーメイソンのリベリア支部(外観)を見ます。)RedLightBTを通り、 10:25空港に着きます。
モンロビア12:30(AW324)13:30フリータウン9H(1SLL=0.01円1ドル=9655SLL)
(リベリアについて)
リベリア船籍の登録の船が多いですが、1940年に外貨を稼ぐために外国の船主に税金を安くしたために世界の船の20%が登録をして世界一でした。1990年代の内戦の為、今は、パナマが世界一だそうです。内戦後、金・鉄鉱石の輸出が減りましたが、船の登録料のお蔭で、国が立ち直りました。でも、国は貧しい為、3食食べている人は少なく、貧しい人はPM2:00頃に1食バナナのみ食べるだけの人もいます。
収入は公立学校の先生は130USD/月 私立学校の先生50USD/月 家賃は1DK100USD/月 郊外は50USD/月 携帯料10USD/月 水道代20USD/月 電気代40USD/月等です。でも、国民は割合、明るい事が救われます。
(リベリア内戦)
1980年頃、NPLF(反政府勢力)のチャールズ・テーラーがシエラレオネも巻きこみ、アメリゴ人リベリアンの政府を倒し、リベリアの泥沼の内戦のきっかけとなりました。
{旅程}
①1/28(火)成田20:40(ET673 ソウル)7:20アディスアベバ(機中泊)
②1/29(水)7:20ADD8:40(ET921)11:20アクラ14:10(アスカイ)16:10モンロビア(泊)
③1/30(木)リベリア北部ボング地方(バンダ クパタウェの滝 民族の村訪問)モンロビア(泊)
★④1/31(金)モンロビア(市場 フリーメイソン プロビデンス教会 ドゥコールH)(AW324)フリータウン(コットンツリー 国立博物館)(泊)
⑤2/1(土)フリータウン郊外(バンス島(要塞跡) タクグマ・チンパンジー・サンクチュアリー)(泊)
⑥2/2(日)8:00フリータウン観光(4WD 途中部落訪問)16:20カマックウィー(泊)
⑦2/3(月)8:00(4DW)オウタンバ・キリミ国立公園(ジャングルウォーク カヌーサファリ)20:15カマックウィー(泊)
⑧2/4(火)カマックウィー8:00(4WD)シエラレオネ(国境バス乗換)ギニアー花嫁の滝18:30キンディア(泊)
⑨2/5(水)H7:50(バス)フータジャロン山地のダラバ( ハイキング)(泊)
⑩2/6(木)H8:00仏植民地政府の総督の別荘(バスーマムー(モスク見学)22:25コナクリ(泊)
⑪2/7(金)9:00コナクリ(バスーグランドモスク 市場 国立博物館 漁船の港)グリオ演奏(泊)
⑫2/8(土)コナクリ8:00(ET934-アビジャン)20:00アディスアベバ22:25(機中泊)
⑬2/9(日)ADD22:25(ET672-ソウル)19:20成田
エボラ出血熱
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