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🌍🎒シニアバックパッカーの旅 10月14日東チモール(国連加盟141か国目) DIL

公開日: : 最終更新日:2023/06/14 シニアバックパッカーの旅

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朝でもダーウィンは生暖かい。窓側の6A席をもらった。ディリの写真がとれる。水はやはり国際線はだめ。中身を捨てたが、ラウンジでまた給水機から補給。LCCだけど朝食に飲み物もコンプリメントだといってでてきた。運賃が往復四万近いから当然かもしれない。窓から満月が見える。月は西に、日は東に。 ディリとの時差は30分。インドネシア時間を使いたくないのだろうと勘違いした。ダーウィンが30分ブリスベンとずらしていたのだ。 東チモールは、ポルトガルのアゾレス諸島の旅行計画を立てていた時、興味を抱いた。東チモールは、アゾレス諸島を支配している貴族が支配している構造だからだ。 ディリには、6:35到着。30米ドルのビザ代。 パケ放題が使えない国だった。私の勘違い。位置関係だけは頭に入っていたので、タクシー運転手を振り切って歩いて街にでた。一言で言えば、ホコリとゴミと乗合タクシーの街。とてもバケーションで訪れるところではないだろう。空港アクセス道路と幹線道路の分岐点に、機関銃を持った独立の英雄の銅像が立っている。そこから一時間の徒歩。信号機は一箇所だけ。皆器用に道路を横断している。ゴミ収集車がでていたが、街を見る限りとでも満足に収集しているとは思えない。そのゴミの大半は、東チモールで製造されたものではない。 軍隊の施設は遠くから撮影。豪州大使館の写真を撮っていると中から怒号。コモロ諸島での似たような事件を思い出した。 中国の影も感じる。偶然イスラム寺院をみつける。参道街らしいものがあるが、店は閉まっている。地元の若者がパラダイスだよと言っているが、意味がわからない。売春宿にはとても見えないから、何なのだろう。野菜売りのおじさんが賑やかな音楽を奏でながら商売していた。 一緒の飛行機に乗っていた人々が、英語教室の集まりに参加するためなのだろう、それらしき建物に集まっているのを偶然に発見。それでもメインストリートを外れた道は、おっかない。犬がほえついてくる気がするので、ほどほどにしておいた。 唯一信号機のある交差点の一画に別天地がある。チモールプラザ、スーパーマーケット、病院。プラザの中にあるバーガーキングで食事。コーヒーはないので、隣のグロリアジーンズで飲む。都合15米ドル。シスターらしき二人も来ている。最近マザーテレサの独りよがりな面を書いた記事を読んだばかりなので、宗教家も大変だ。スーパーには庶民には無関係なものの在庫の山。家具から冷凍まで何でもある。先進国のご婦人には、料理の材料も一通りあるのはありがたいだろう。しかし庶民には知られたくないのか、写真を撮っているとダメだといわれた。ホテルもプラザビルの5階にあり、やはり別天地だ。オーナーは中華系の人だ。有名人を迎えた時の写真が飾ってあるところは、どこかの温泉旅館と同じ。リゾート開発もしているようだが、あまりにも街の汚なさとバランスを失しているような気がする。 道中、生きた鶏を販売している現場に遭遇。四羽の鶏の足を結んでいるので、それぞれがバラバラに行こうとすると、足の引っ張り合いになり、身動きが取れなくなっている。写真に撮ると何か言っている。撮影料を払えとでも言っているのだろう。すぐに退散した。 空港には二時に到着。出発が17:05だからいくらでも時間はあるので、公園で一眠りしていたら、お巡りがベンチから滑り落ちるのではと心配して、起こされた。一応礼を言っておいた。やたらと喉が乾き、飲み物に4ドル支出。東チモールにはビザ代含めて都合50米ドルの支出。 東チモールの空港セキュリティは多少ルーズの印象。空港が小さいのか、航空会社のカウンターが制限区域内にあり、わかりづらい。待合室には電源があり、早速充電。座席は窓側を頼んだが10A、羽の上だとわかっていたが、面倒なので変更は頼まなかった。しかし10Aは本当に窓がないに等しい。私より後ろの席は誰もいないので変わろうとしたが、駄目だといわれる。豪州はこの点は厳しいというか石頭。ナウル航空と言い、どうも規則がそうなっているのかもしれない。ウェイトアンドバランスは、肥満が多いので大事なのだろうと、あきらめた。客はガラガラだった。おかしなことに先に用意された食べ物がたりなくなり、急に探してきたのか、私には代わりに、サンドイッチにサラダもついてでてきた。 ダーウィン到着。半日ぶりのネット環境。発は1:30 深夜だ。シンガポール航空なのでスターアライアンスのラウンジがあればいいのだが、行きに確かめたところ、有料のラウンジしかなかった。ただ、ダーウィンは立派な24時間空港で、アコモデーションは一通り揃っている。水もレストランも、不十分ながら充電設備も、仮眠用ソファもある。2回目なので、手際が良くなった。シンガポール航空の電子搭乗券も準備してあるので、そのままトランジットができる。

https://photos.google.com/photo/AF1QipNyoRPB5-h4g0VPt5sxquacBnf7TOpWRVLCnydJ

四国とおよそ同じ面積の国土に100万人強の国民が暮らしており、首都のディリにそのうちのおよそ20万人が集中。

東ティモール入国に際しては,入国査証を取得する必要
Tourist & Business Visa は空港到着時に取得可能!
手数料はUS$30、30日まで滞在可能
イミグレーションカードは機内で記入
東ティモール到着後、
税関でカスタムカードをもらいますのでその場で記入

東ティモールを訪問した際に利用したシンガポール人経営のサクラタワーホテル。

https://youtu.be/QQWMho_SQls

http://yukokunoshi-akira.com/?cat=874

「ファツカマ岬」の画像検索結果

ディリ市最大の観光名所といわれているのがディリ市郊外ファツカマ岬の丘に建つ巨大なキリスト像(クリストレイ)。東ティモールの国民の99パーセントがキリスト教徒。東ティモール国内には数多くの教会。27メートルもの高さが立派。キリスト像は丘の上に建っている。脱水症状をおこさないように水のペットボトルを持参する事をお薦め。ディリ市街地からクリストレイまでは8キロ程の距離で所要時間は20分程、路線バスはなくタクシー利用。料金は交渉制ですが片道の相場は5ドル

「東チモール」の画像検索結果

陳千武著『生きて帰る』明石書店 舞台は東チモール。豪州空軍の爆撃機は毎日フィリピンかボルネオ等の島へ飛び、日本の基地を爆撃。毎回の復路では余った爆弾をチモール島の海岸に落とし・・・・豪州空軍のこの毎日の時刻通りの空襲は、紳士協定のようなものであった

通貨に関してはアメリカドルによる通貨代替(ドラリゼーション)が行われている IMFによると、2013年のGDPは61億ドル。一人当たりのGDPは5,177ドルでインドネシアの1.5倍ほどであり、東南アジアではタイに次ぐ水準である。  2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は77万人と推定されており、国民の過半数を占めている。国際連合による基準に基づき、後発開発途上国に分類されている。 東ティモールの通貨ですが、US$+独自のセント(コイン)となります!

1999年8月30日に国連の主導で独立についての住民投票を実施。 インドネシアの占領から2002年5月20日独立した(国際法上はポルトガルより独立)。21世紀最初の独立国である。ポルトガル語諸国共同体加盟国。

1974年にポルトガルで左派を中心としたカーネーション革命が起こり、植民地の維持を強く主張した従来の保守独裁体制が崩壊すると、東ティモールでも独立への動きが加速し、反植民地主義のティモール社会民主協会(ASDT、9月に東ティモール独立革命戦線FRETILIN(フレティリン)と改称)が即時完全独立を要求、ポルトガルとの関係維持のティモール民主同盟 (UDT)、インドネシアとの統合を主張するアポデディの三つが政党として旗揚げした。この動きは、東ティモールの領有権を主張し、反共主義を国是とするインドネシアのスハルト政権にとっては容認できず、反フレティリンの右派勢力を通じた介入を強化した。

1977年 インドネシア軍が包囲殲滅作戦を展開。スハルト政権は東ティモールの抵抗に対し激しい弾圧を加えたため、特に占領直後から1980年代までに多くの人々が殺戮や飢餓により命を落とした。インドネシア占領下で命を失った東ティモール人は20万人にのぼると言われている。1991年、平和的なデモ隊にインドネシア軍が無差別発砲し、400人近くを殺したサンタクルス事件は、住民の大量殺戮事件として世界的に知られることになった。

「サンタクルス事件」の画像検索結果

1999年5月、インドネシア、ポルトガルと国連、東ティモールの住民投票実施の枠組みに関する合意文書に調印(ニューヨーク合意)。6月、国際連合東ティモール・ミッション(UNAMET)が派遣される。8月30日、独立に関する住民投票が行われた(投票率98.6%)。9月4日に発表された投票結果では、自治拒否78.5%で、特別自治権提案が拒否された事で独立が事実上決定。9月7日、インドネシア治安当局は、東ティモールに非常事態宣言を発令し国軍5,500人を増兵しインドネシア併合維持派の武装勢力(民兵)を使って破壊と虐殺を行う。

この背景として東部住民と西部住民の軋轢や、若者の失業率の高さが挙げられている。また、アルカティリ首相の独善的姿勢や国連の活動終了が早すぎた可能性も指摘されている。

オーストラリア軍は反乱軍を指揮する少佐と接触し、少佐の武装解除命令によって6月半ばに蜂起は終結したが、暴徒の方は反政府デモとなり、グスマン大統領の忠告によって、アルカティリ首相は辞任に追い込まれた。ディリは半ば戦場と化し、住民のほとんどは難民となって郊外へ脱出した。治安維持軍によって年内に暴動は鎮圧されたが、オーストラリア政府の支援による警察の再建など、治安の回復には時間がかかると思われる。

Archives & Museum of East Timorese Resistance(ティモールレジスタンス博物館)
空港 ホテルレサイダー 博物館

https://www.tripadvisor.jp/AttractionProductDetail-g295117-d11476357-Full_Day_Tour_of_Dili-East_Timor.html ¥7,163〜 ディリの宿泊施設で、午前8時から午前8時30分までガイドをご用意して、車で座って7時間のツアーを開始してください。まず、オーストラリアの第二次世界大戦記念碑と博物館に向かい、1942年から1945年の間に、占領していた日本軍に対して、ティモール人がオーストラリア軍をどのように支援したかを学びます。
その後、1991年11月12日のサンタクルス虐殺のサイトとして有名なサンタクルーズ墓地や、ティモーレ耐性戦闘機と政治家のアナグマ・グスマオの写真や絵画を展示するザナナ文化センターを含む興味深いサイトを訪れてください。ここでは、東ティモーセ抵抗アーカイブと博物館に40分のガイド付きツアーをご案内し、インドネシアの苦しい地域の占領についての洞察を得ています。
おいしいティモールのビュッフェ式ランチに続いて、女性が織物やバスケット織の伝統的な芸術を練習するアロカルクラフトマーケットを訪れてください。途中、国会議事堂や人気のチェガ!東ティモールで真実と和解を目指す展覧会。
沿岸に沿って東に向かい、ディリ彫像のクリスト・レイ(Cristo Rei of Dili statue)に到着します。ここでは、庭園を探索するか、十字架の駅をたどってパノラマの景色をご覧ください。
Dili像のCristo Reiであなたの時間が終わると、あなたのツアーを終了するためにDiliのあなたの宿泊施設に快適に戻ります。

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