🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2022年9月5~6日 🏳🌈㊶シッキム(錫金)フライトキャンセル
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最終更新日:2023/06/12
シニアバックパッカーの旅
googlephotoの一連の写真・動画
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九月六日 旧シッキム王国首都ガントクの朝、小雨。旅の醍醐味は、朝の物流事情、物資の配送や産業廃棄物処理の一端がかいまみえること。視界も悪く、谷底への下りロープウェイはとりやめて、徒歩で上りの王宮へ。シッキム王は廃位され、妃はアメリカに帰国。二千万の大国ネパールから人口流入して社会構造も変化、国民投票でインド併合が決められた。中国インド間でチベット、シッキム問題の政治的合意されているものの、外国人は入域許可が必要。
ホテルへ戻り、iPhone操作。充電可能、どうも電力事情が影響か?でもアンドロイドはこれまでも大丈夫で不思議。気分が良くなりレストランで朝食、トーストとオムレツにコーヒーで430ルピー。高いが、チップがわりだ。
10:30に約束のドライバが来ない。前を通過するタクシーを止め、1500で合意。パクキョン の山岳空港は霧、フライトキャンセル。カウンター女性は電話がつうじなかったと説明。ネットエージェントからは、直ぐの対応は期待できない。これからは出立時にもフライトステータスを確認する習慣が必要。
明日のバドグラド発デリー行きに変更。タクシーで麓にもどる。ランポで、パスポートに出境スタンプが押される。
https://photos.google.com/album/AF1QipPdFXn8yoDtNCMIEN1SrSbHZLrtcb7Vgu7TeyrW/photo/AF1QipMGhNsa0N_rKLPyePt551JYrMXfZMU01NwLfFdP
大型の乗合バスは、350ルピー。シリグリまでの山岳道路はところどころ落石落盤事故があり、大混雑。。夜八時にようやくナシアバスターミナルまで戻り、バスターミナルの直ぐ隣の安宿にチェックイン。900ルピー。チェックイン後、周りを散策。ダージリン鉄道の出発駅だから、周りには得体の知れない雰囲気がある。
シリグリの朝、空港までタクシー500。人力車だと35、興味はあったがやめた。高速道路が出来ている。ヒマラヤを挟んで中印が開発を進めている。
中国におけるチベット(ゲルク派)問題を考える際に、独立国であったシッキム(ニンマ派)が国民投票によりインドの22番目の州になったことが参考になる。また、ネパール、ブータンをどう評価・認識するかにも参考となる。
◎ネパール人口 3000万人 豪州2千5百万人
◎ブータン人口 90万人 「民族衣装着用の法的義務付け」については、北部は可能だが南部は暑くて無理であり、シッキムの失敗を参考にした、ネパール人対策である。幸せの国ブータンという日本の報道では得られない情報である。
◎シッキム
1642年 ゲルク派に対抗したニンマ派 チベット人の一部(ブティア人)がシッキムに亡命、プンツォ・ナムゲルを擁立して、ヨクサムを首都にシッキム王国(ナムゲル朝)を建国 チベットはシッキムを属国とし、チベットを属国としていた清朝もシッキムを自らの属国と看做すという複雑な状況
イギリスの保護国化、領土の割譲
イギリスとの関係悪化、ネパール人の大量流入
1947年、インド連邦が独立すると、シッキムにおけるイギリスの地位はインドが継承することとなった。1950年にはシッキムはインド・シッキム条約を結び、外交と防衛、通信をインドに委ねる保護国になった。
1975年時のシッキム王国の基礎情報
人口 | 194,000人 | 面積 | 7,107km2 | 首都 | ガントク(12,000人) |
民族構成 | ネパール人(75%)、レプチャ人、ブティヤ人 | 言語 | ネパール語、レプチャ語、ヒンディー語(文盲率 84%) | 宗教 | ヒンドゥー教(60%)、仏教 など |
◎カンチェンジュンガ
まさにヴァーチャル旅行

◎ シッキム入域手続き
<入域許可証(パーミット)>
シッキムに入域する場合は入域許可証が必要。ビザ申請と同時にとれると聞いてたが(HPにも書いてあった)、ビザ申請を外注化したためか、受け付けてもらえず。で、シッキム州政府のHPを信じてRanpoの州境まで行ったら、あっさりとれた。なお、申請は無料、顔写真が必要。(写真はRanpoのチェックポスト)パーミットはあちこちで確認。シッキム州政府(http://sikkim.gov.in)

◎ガントク Gangtok

シッキム州の州都。急峻な尾根の斜面に、ビルが張り付くように建っている。荷物を持って移動することは極力避けたほうがいい。MG Marg.という中心街は整備された歩行者天国になっており、ジープスタンドも近いのでとても便利。

◎シッキム(錫金)歴史
シッキム州(Sikkim)は、ヒマラヤ南麓のネパールとブータンの間に位置する。かつてシッキム王国だった歴史的な経緯により、インド28州のうち人口最少、面積はゴア州に次いで2番目に狭い小さな州。1947年にインド連邦が独立すると、シッキムにおけるイギリスの地位はインドが継承。1950年にシッキムはインド・シッキム条約を結び、外交と防衛、通信をインドに委ねる保護国になった。1975年4月9日、パルデン・トンドゥプの退位を求めるデモ隊に宮廷親衛隊が発砲して混乱し収拾がつかないと、カジ・レンドゥプ・ドルジ首相からのインド軍派兵の要請に基づき、混乱を収束させるためインド軍が介入、王宮軍は武装解除され、パルデン・トンドゥップは幽閉された。翌日の立法議会は王政廃止とインドへの編入を全会一致で議決、14日に行われた国民投票でもインドへの編入が賛成多数で承認された。15日にはシッキムをインドの第22番目の州とする憲法改正案がインドの国会に提出され、26日に両院を通過した。同年5月16日、大統領が憲法改正案を認証し、ここにシッキム王国は滅亡、シッキム州としてインドに編入された。中華人民共和国政府は、シッキムが清の属国であったチベットの属国であったという歴史的経緯から、インドによるシッキムの併合を認めていなかった(中印国境紛争)。このため、中国で発行される地図には長い間シッキムが独立国家として描かれていた。2003年、中国の温家宝首相がインドのアタル・ビハーリー・ヴァージペーイー首相と会談した際、両国の辺境問題 (インドが中国のチベット支配を、中国がインドのシッキム支配をそれぞれ認めていないこと) について議論された。この結果、インドと中国はチベットにおける中国の主権とシッキムにおけるインドの主権を相互承認し、中国で出版される地図でシッキムは独立国家としては描かれなくなった。2005年、中印両国は、チベット・シッキム間のナトゥ・ラ峠(Nathu La)とジェレプ・ラ峠(Jelep La)について、その開放を提案した。ヒマラヤ山脈に囲まれ、高度280m以上で、カンチェンジュンガ (標高8586m)はインド最高峰、世界第3位である。75%がネパール人で、イギリス保護国時代の移民である。15%がブティヤ人(チベット系)、7%がレプチャ人。ネパール人の宗教はヒンドゥー教で州の最大宗教だが、ブティヤ人とレプチャ人の宗教は主にチベット仏教である。
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