河口慧海著『チベット旅行記』の記述 「ダージリン賛美が紹介されている」
旅行先としてのチベットは、やはり学校で習った河口慧海の話が頭にあって行ってみたいとおもったのであるから、教育は重要である。
青空文庫でよめる。https://www.aozora.gr.jp/cards/001404/files/49966_44769.html
河口慧海の「チベット旅行記」これぞ旅行記であるが、観光学者があまり興味を示さないところが観光学らしい。
小乗と大乗の話が冒頭にでてくる。セイロン留学から帰ってきた釈興然が仏教徒は小乗であるとするが河口は理解していないことがみられる。江戸時代には小乗仏教は知られていなかったのであるから無理もない。
五体投地の動画 http://www.moviola.jp/lhasa/を見ると四国巡礼などつつましく覚えてしまう。間道を探してチベットに向かった河口慧海が利用した聖山カイラスとマナサロワール湖の道にも機会があれば行ってみたいとおもう。
以下面白いと思ったところを抜き書きする。英国、ロシア、中国の国際関係がよくわかる。その点でも河口慧海は洞察力の鋭い偉人である。
◎性風俗
性風俗につき「尼はもちろん男を持つことは許さないのでありますけれども五十名の尼の中で男を持たぬのは一人だけ、また女に触れない坊さんは二人すなわちその寺のラマとその弟子一人だけでその外は皆汚れて居るという話です。中には尼と坊さんと一緒になって居るのもあれば普通の娘と坊さんと一緒になって居るのもあり、また尼と在家の男と一緒になって居るのもあります。子が生れなければ別段人が何とも言わぬ。ところが子ができるといよいよ戒法に背いたということになるのです。実におかしい話ですけれどもその戒律に背いた時分にはシャクパすなわち懺悔ざんげをしなければならぬ。その懺悔の仕方がまた面白い。どっさりと酒を買うて百十四、五名のラマ及び尼さんを招き、銘々本堂の仏の前にずらりと並ならんで椀を持って居ります側からどしどし注ついで廻まわるのです。始めの間はいずれも殊勝らしくお経を読んで居りますがそろそろ酔の廻るに従ってお経の声は変じて管くだを捲く声となり、管を捲く声が変じて汚穢を談ずる声となる。その見苦しい事といったら何と評してよいか。始めて見た時分にはほとんど評のして見ようがなかったです。これが釈尊の弟子の集会日だとはどうしても思えなかった。で、その当事者たる尼と相手の男は別に寺に対して五円ずつの罰金を納めなければならぬ。しかしその当事者がもし男僧でありますとその男僧と相手の女は十円ずつの罰金を納めなければならぬ。これは同胞の間で犯したような者だから罰金が高いとのことです。その外ほかに酒と肉とバタ茶との供養費が少くも二十五円や三十円は掛かかります。少し派手にやると四、五十円も掛るそうですがなるたけ派手に酒を飲ますのを名誉とし、またよく懺悔が届いたと言って誉めるです。如来は酒はよくないものであると言って在家の人にさえ戒めた位でありますのにいかにツァーランの出家にもせよ、戒律を無にして仏の前で酒を飲み汚穢を談ずるというのは怪けしからぬ振舞でございます。私はこの有様を見た時ひそかに東方に向いわが堂々たる日本の仏教社会の僧侶諸君の多くも、あるいはこのツァーラン村の僧侶に対しどれだけの差をもって居らるるだろうかと思って実に悲しみました」と記述。日本の部分は多少建前か。「同胞一妻の習慣 そのカルマという人の家は実に奇態な家でチベットにはほとんど例の少ない遣り方の家でした。元来チベットでは大抵兄弟三人あっても五人あっても嫁よめさんは一人しか貰わんです。兄さんが嫁さんを一人貰ってその外の者はその嫁さんと一緒に居てやはり夫婦の関係になって居るです(婚姻についての面白い話は後にお話します)。いわゆる多夫一妻です。チベットの国は痩やせた国ですから兄弟銘々に妻を持つことになると、財産を分配しなくちゃならんというような関係からかかる習慣が仏教の入る前から形造られて居ったように思われるです。ところがこの家には妻君が三人ある。その主人は五十位の人で一番の女房は四十七、八の盲目めくら、次のが三十五、六の女、その次が二十四、五です。一番末の女房に子が一人ありました。こういうのはチベットでは類が少ないです。全く無い事はありません。娘が二人あるいは三人で養子を一人貰って済すまして居る家もその後見た事がありますから無いことはないが、こういう風に始めから自分一人で三人も女房を持って居るというような有様はその後私はどこでも見なかったです」
いずれにしろ一夫一妻制もそれが全体的には最も効率的ではあるが、人間社会が作り上げたフィクションである。
ダライラマ選出についても、日本の封建領主のバカ殿を座敷牢に置閉める「殿押し込めの構造」と同じ(まったく逆なのかもしれないが)ところがあり面白い。現代でも創業者一族には適当に遊んでもらって、口を出されないようにきちんと配当すればいいという企業もある。「これまでチベットで八代から十二代に至る五代の法王というものは、歳二十五まで生きて居られたお方は一人もないのです。今の法王は十三代目でありますが、八代から前十二代までは十八歳で毒のために殺されたとか、二十二で毒殺されたとかいうお方ばかりです。それは全くチベットでは公然の秘密で誰もが知らん者がない位になって居るです。なぜそんな事をするかと言いますに、聡明そうめいな法王がその位に即きますと近臣の者がうまい汁が吸えない。己れの利益を完まっとうすることが出来ないからで、これまで出たところの法王もみな随分人物が出たらしく見えるです。その人達の中には二十二、三歳に至るまで特別の教育を受けたお方もあるそうです。それぞれの著書を遺して人民を導かれたということを見ても分るです。それは歴史によっても充分証拠立てられるのです。」ダライラマ選出の点では、中国共産党の思想の方に分がある。
余談だが、九谷焼がラサに出回っていたというのは発見である。郷里の作家さんに教えてあげたい。「ある日私はラサの目抜めぬきであるいわば東京の銀座通 とも言うべきパルコルという道を廻って参りました」「日本燐寸に圧倒 されて今は少ししかない。それから日本の竹簾たけすだれに女の絵などの書いてある物がやはり入って居る。なお陶器類でも九谷焼――それは店の売物としては出て居らんけれども――〔、物〕などが貴族の家に行くとあるです。また日本の画なども貴族の家に額面として折々掛けられてある。」
鎖国状況がわかりやすい
「(イギリス)婦人は「あなたの国はシナ皇帝の配下したではないか。しからばシナ皇帝の命令状を持って来た者は必ずここを通さなくちゃあならん訳ではないか」とこういって理屈詰めに出て来た。もちろん我が国はシナ皇帝の配下したであるけれどもすべての事をシナ皇帝から命令を受けない。殊にこの鎖国さこく主義 のごときに至っては、たといシナ皇帝がこの国に兵を向けて外国人を入れなければならんというても決して入れることをしないのは我が国の主義であると断言し、またその下僕しもべの者はチベット人であるからこっちに引き取って相当の処分をしなければならん。しかし後に戻るならば必ずしもその処分をせねばならんというのではないといってだんだん説諭せつゆしたので、その後半日程経てとうとう帰るということになったけれども、彼らは途中で泥棒に遇って物が無くなって大分に困って居る様子であるから相当の贈物をして後に還すということにしたという、一伍一什いちぶしじゅうの物語をしてそれから「どういう訳でしょう。外国人はこんなに来て見たがるのは」という話。で私は「さあどうもそれは分りませんが一体昔からこの国へ外国人が来て居るじゃあありませんか」と尋ねるとその事はなかなか現大臣はよく知って居られて「今より六百年程以前」といい掛けました。」
チベット社会の貧しさの描写
「俗人の貧乏人は女房がある。そこへ子供でも出来たらそれこそ大変です。どんなにその子供を育てても多少の金はかかる。その金はどこから借りるかといえば地主から借りるほかはない。借りたところで滅多めったに返せるものでない。返す見込みのない金をどうして地主(華族)が貸すかといいますと、その子が大きくなった時にその家の奴隷にするのです。それを見込みに金を貸してやるのです。というたところでどうせ沢山な金は貸さない。むろん少しずつ貸して十円位になり、その子供が十歳位になるとその十円の金のために十五年も二十年もただ使いをするという訳です。ですから貧乏人の子供は生れながらの奴隷で誠に可哀かわいそうなものです。」中国共産党が民衆の支持を受けた理由でもある。国民党は腐敗していたから支持されなかった。といって毛沢東のすべてを支持するわけでもない。毛沢東は共産主義者かもあやしいくらいである。
女性が強い社会(一妻多夫)
「お婆ばあさんとかごくの醜婦しゅうふでなければ後家で居る者は稀まれである。もう少し売れ口のあるような女なれば必ず良人おっとを持つ。チベットでは四十あるいは五十位までは嫁入をするです。というのは必竟ひっきょう独立心に乏しくただ他によって自分の幸福を全うしよう、今得て居る状態よりよい状態を得たいという慾望、これはまあ人として当り前の事で、そうあるべきはずでもありまたその心掛けがなくてはならんのでしょうけれども……。というてその操みさおをも守らず自分の身分をも考えずに、良人が死んでまだ四十九日経たたぬうちに最早お代りが出来て居るというに至っては、実に呆あきれ返らなければならぬのです。余程教育ある婦人でも後家ごけを立たて通すというような美しい意気をもって世を過すという婦女子はチベットにはほとんどないです。」
ロシアの影響 地図を見ると確かにモンゴルが近く、ソ連とも近い。
「露国の外交政略 ところでロシアがチベットを手に入れて居る事は今に始めぬ事で、これはもはや三十年も以前からぼつぼつやって居るのです。あるいはもっと前からやって居ったかもしれないけれども、その形跡の著明に顕われて来たのは三十年以前からで、着々成功の歩を進めたのは誰によってやり来ったかといいますと、チベットの北に当りシベリアの中でモンゴリヤ人の住して居る所がある。すなわち青海湖より少し〔余程〕北東に当って居る所に、もとシナ領のモンゴリヤのブリヤッドという部落があった。それを露国が征服して今はロシア領になって居る。」「ロシア贔屓ひいきの原因 それからロシア贔屓ひいきということが余程盛んになって来たですが、それにはなお他の原因がある。ロシアから輸入されるところの西洋小間物は皆上等の物ばかりである。その上等な物とても売るのでなくって皆人に遣るのです。英領インドから輸入される物は皆安いつまらない物ばかりである。それはその筈でチベットの商隊なり一個人の商業家がインドに出掛けて、高い物を買って来たところがほとんど売ることが出来ない。売れたところで利益を見られんものですから、なるべく安い物を仕入れる。安い物を仕入れなくては運送費が高く掛るからとてもしてみようがない。ところがロシアのは売るつもりで持って来るのでなく、始めからただ遣るつもりで持って来るから、どんな良い物を持って来てもよい訳で、そこでチベットでは、どうもイギリスのはじきに毀こわれてしまうけれどもロシアの物はなかなか堅固である。同じ西洋品ではあるけれども余程ロシアの方がよい。これによって見てもロシアの国の確実なることを信ずるに足る、というような議論をして居る人間もある。」「シナの無勢力 その上まだチベットをしてロシアに頼るの心を深からしめた所以ゆえんは、日清戦争以来シナの勢力が日々に衰えて、チベットの方へは全く及ばぬようになったからでもある。これまではチベットの法王が少し変った事をやるというと、シナ政府からじきに異議を唱えられ、あるいはそのシナ皇帝の命令の下に罰せらるるという虞おそれがあった。全く君と臣の関係程になって居ったです。ところがこの頃は余程変った事をやっても手を着けることが出来ない。すなわちテンゲーリンを滅ぼし、そしてテーモ・リンボチェを亡き者にするというようなああいう大騒動を起しても、シナはそれに対して一定の責を問うことも出来ない。」「露国とチベットとの関係 がだんだん深くなって来ましたから全くロシア政府の外交はここに成功し、そしてこのチベットを踏台にしてヒマラヤ山上から英領インドに臨んで、インドの全権を掌握しょうあくしてしまうだけの土台は確かに出来たかというに、今日はそれだけの見込はないです。なお仔細しさいに観察すると、チベット政府部内でも真実にロシアに対して心を寄せて居るのは法王と長官宰相シャーター二人くらいの者である。その他の者はまず盲従の有様で、訳が分らず仕向け次第でどっちにでもなる人ばかりです。
もしロシアがこの上非常の勢力を得て行けばむろんチベットはロシアに付くでしょう。しかしロシア政府がその願望通りこのチベット国を踏台として、天然の万里の長城ヒマラヤ山上から、英領インドに臨むというような大望を成就じょうじゅしようというにはまだ大分に時間があるようです」
鎖国の原因 英国植民地比較、中国との比較
「鎖国の原因 チベット人は非常に外国人を歓待する気味がある。今日は英国人に対し非常な怨憎心を懐いだいて居りますけれども、その実チベット人はどの国民に対しても非常に歓待する性質である。だから英国政府が少しく恩を施すという方針に出てたならば、今日ロシアがチベットを踏台にして英領インドに臨むという憂いもなく、充分に成功することが出来たのである。これは過ぎ去った事で今さらいうて見たところが到底駄目な訳ですけれども、英領インド政府がチベット国の人情および政府の意向をよく知らなかったから、つまりこういう過ちに陥ったと断言するに憚はばからない。かくのごとくチベット国民は戦争以来一般に英国に対して非常な悪感情を懐いて居るのみならず、チベットで名高い学徳兼備の高僧センチェン・ドルジェチャン(大獅子金剛宝)という方は、サラット・チャンドラ・ダース師が入蔵事件に座して死刑に処せられたことから、チベット国民は一層英領インドに対し悪感情を懐いだいて、全然鎖国主義を執とるようになった。」
「ですからダージリンに居るチベット人は皆インド政府の処置に満足して、不平をいわないのみならず、実際心服して英政府のために働きたいという考えをもって居る者が沢山ある。もちろん半期あるいは一年位滞在して居る者にはそんな考えを持って居る者はないけれども、三年、五年と住むに従って、どうもイギリス人の遣り方は立派である、公明正大である、慈悲深い遣り方である。こういう政府の下に属するのは非常に結構である。チベットではちょっと盗みをしても、手を切るとか眼玉を抉くじり取られるとかいうような残酷な刑に処せられるけれども、英領インドではどんな重い罪を犯しても、それで死刑に処せられるということはまずない位で実に寛大な刑法である。道路なども非常に立派なもので、神の国の道のように出来て居る。また病気になっても施薬病院があって結構な薬を銭も取らずにくれる。それから貧苦に迫って食物がなくなればまた相当の補助をしてくれる。こんな結構な政府はどこにもない。チベットでは食物がなくなれば誰もくれる者がないから、餓死をしなくちゃあならんというて、一度足をダージリンに入れたチベット人の誰もが去るに忍びない心を起すです。もちろんチベットにおいて沢山財産のある者は、いったんダージリンに来たからといって永住する気にもならず、帰る者も沢山ありますけれども、その人間でもやはり英領インドの道路、病院、学校等の完全なる設備を見て大いに感服して帰って行く。なおチベット人の眼を驚かすに足るものは、鉄道、電信、電話その他諸種の器械類の敏速なる働きを見て大いに仰天して、これはとても神の知識でなくては出来得ない事である、という具合に感じて帰って行く者が多いです。国へ帰ったところで彼らは政府の人に対してそんな事はいえないけれども、内々は大いに英領インドを賛嘆して喋々ちょうちょうと吹聴ふいちょうするものですから、チベット人は我も我もと先を争うてインドへ出掛けて来て、相当の利益を得ては国へ帰って吹聴するという有様で、今日では民間のある部分すなわち運送商売その他商業上の用向きで出掛けて来る村々の者は、もはやインド政府に対して悪感情を懐いだいて居らない。しかし表面うわべは全く悪感情を懐いて居るように見えてあるです。なぜならばもしイギリス政府がよいとか何とかいいますれば、じきにその事をチベット政府に告げ口する者があるとその人は恐ろしい刑罰に処せられるから、内々は英国に心を寄せて居りながらも表向きは同情を表するどころではない、大いに憎んで居るかのようにやって居るです。」
「元来チベット国民はシナ政府に非常に心服して居るのです。その訳は今に始まったことでない。開国以来の事であるというてもよい位。それはこの国に始めて仏法を入れた大王ソンツァン・ガムボは、先に申した通りシナから王妃(文成公主ぶんせいこうしゅ)を迎えた位であるから、チベット国民の仏教的母親はシナから来られたというてシナを懐かしく思い、いつもシナに頼るという心を持って居る。今日シナが無力になったのは事実であるけれども、国民一般はシナに対する感情を少しも損じない。なおまたシナは文殊菩薩の国である。それはシナの五台山には文殊菩薩が居られて、その化身として世に現われて居るのがすなわち今のシナ皇帝であると信仰して居るのです。その信仰力が強いからして余程巧みに未来記に合わした説でも、保守的観念に富んで居るチベット国民一般の信用を得るということは困難である。同時に一般国民はチベットの政府部内で確実なる脳髄を持って居らるる誰それは、チベットに対する露政府の処置についてよからぬ感じを持って居るということを伝え聞くです。チベットにはもちろん新聞紙はないけれども、そういう事はじきに隅から隅まで伝わって行く。」「昔はシナ人はチベットにおいては非常に勢力のあったもので、大抵な無理をいってもチベット国民は盲従して居るという有様でしたから、シナ人の跋扈というものは非常であったです。しかるに日清戦争以後シナ人の勢力が非常に墜ちて、もはや今日ではチベット人はシナ人に対して敬意を表しないのみならず、ようやく軽蔑する気味が現われて来た。そこでチベットに居るシナ人等は大いにこれを憂えて、何とかしてみたいという考えを起して居ますけれども、何分チベット人が、どうせシナ政府は我が国を助けることは出来やしないと侮あなどり切って居るものですから、その儘泣寝入なきねいりになって勢力は次第に衰えて行くという今日の有様である。」
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