*

ジャパンナウ観光情報協会7月号 ミャンマー散骨旅行記(1)

公開日: : 最終更新日:2023/05/16 ジャパンナウ観光情報協会, 戦跡観光, 歴史認識

九十六歳の父親がイラワジ川散骨を希望して旅立った。子供の頃モールメンライターやシャン族の話を聞かされたことを思い出す。父の手記『両忘』の前半の中国戦線は勝ち戦、余裕ある記述に対しミャンマーは死を覚悟していた。現に日本人死亡者の八割はサイパン陥落後であるから戦争指導者の責任である。中国戦線を離れたのは陸大入学のためだが、ミャンマー行は陸士教官からの赴任、大きな違いだ。1944年10月、台北、サイゴンに各一泊してシンガポールに到着。護衛のない飛行機での移動だから敵に見つかれば即死。それでも潜水艦の餌食になる輸送船よりははるかに安全だった。ラングーンからの迎えのトラックに乗車してジャングルに隠れて夜間運行を繰り返して、爆撃にあいながらマンダレーを通過して56師団に急行したと記述。16倍の優勢な敵との交戦が始まった。

散骨はマンダレーに決めた。軍司令部で辻政信参謀から歓待を受けたと記述がある。雲南省にたどり着く過程で、米英からの膨大な軍需物資を輸送する援蒋ルートを夜間走行し、完全舗装の道路に驚いたようだ。
英印軍が1945年3月にマンダレーを解放した。日本軍は敗走中マンダレーを障害物とした。父親は両軍が無防都市宣言をしてもよかったと記述している。戦争も状況で変化するから結果論だが、世界遺産ビガンを美化するならマンダレーは反省すべきである。

記憶に残ることを記述。一つは多数の戦場忌避者。勇敢な日本兵もいればずるい日本兵もいたようだ。二つ目は虐殺事件。某少尉が夜陰に乗じて土着民部落を包囲し一人残らず殺害。報告を受けた父も驚愕したようだ。少尉は坊主になって弔いに専心すると述べたそうだ。この事件は戦後情報では英印軍の残虐行為とされた。三つめはナンバッカの戦闘。参謀長自身が敵の急襲にあい驚いて父親の大隊に無謀な夜襲強行命令をかけた。参謀長自らの退却のため多くの部下を死なせた。防衛庁資料では参謀長の手柄になっているが、大勢の兵士が無駄死しており父親は憤慨して記述。いまでも防衛庁作成戦史を頭から信じている国粋思想の人が見受けられるが、そんなに単純なものではない。

関連記事

no image

Quora6に見る歴史認識 イギリスが中国にアヘンを売ったのは有名です。あるイギリス人の言い訳が、アヘンを売り始めた頃中国には麻薬の売買を禁止する法律が無かったから問題ない。これ真実ですか?それにしても犯罪者の理屈ですよね?

アヘン戦争に対する一般的なイメージ。それは以下の様なモノです。 「大英帝国が清国を麻

記事を読む

no image

東アジア観光(文化)を論じる際の共通基盤(漢字、儒教、道教、仏教、律令、科挙等)

○ 東アジア圏の観光を論じる背景(漢字、儒教、道教、仏教、律令、科挙等)  観光研究のテーマとして

記事を読む

no image

JN原稿 言語と二元論

人類は二足歩行により手を獲得したが、骨盤が発達し難産になった。石器が使用できるようになり、出産に協

記事を読む

no image

『二・二六帝都兵乱』アマゾンの書評

著者は軍制、軍事面からアプローチしていると言っているが、それだけではない。当時の社会の通念、雰囲

記事を読む

no image

Quora 物語などによくあるように、中世ヨーロッパの貴族たちは国民から搾取してすごく贅沢な暮らしをしていたのですか?

中世に今日と同じ意味での「国民」はまだ存在しません。領主が農民を支配し、領主同士に主従関係

記事を読む

no image

QUORA 日本の歴代総理大臣ワースト1は誰ですか?

日本の歴代総理大臣ワースト1は誰ですか? 近衛文麿でしょう。彼は首相在任中に国運を左右する二

記事を読む

no image

Quoraに見る歴史認識 日露戦争の勝利を日本国民はどれくらい喜びましたか?

実際には、ロシアの極東での圧力を押し返して講和が結ばれただけだから、講和によって得られたのは、遼

記事を読む

no image

Quoraなぜ、当時の大日本帝国は国際連盟を脱退してしまったのですか?なぜ、満州国について話し合ってる中で軍事演習をしてしまったのか、なぜ、当初の目的である権益のほとんどを認められているのに堂々退場したのか。

日本の国際連盟脱退は、満州事変に対するリットン調査団の報告書を受け入れられないと判断して席を蹴った

記事を読む

no image

JN原稿 観光資源反応譜(音譜に相当)の作成 観光資源の進化研究手法

 利己的遺伝子の理論がドーキンスによって提唱され話題になった。社会現象の進化のプロセスを遺伝子の視

記事を読む

no image

『骨が語る日本人の歴史』を読んだAMAZON感想文のメモ

「歴史は後からつくられるから、観光資源なぞいつでも作ることができる」と常日頃主張させていただいている

記事を読む

PAGE TOP ↑