*

リンチェン・ドルマ・タリン著三浦順子訳『チベットの娘』を読んで

公開日: : 海外旅行感想, 海外観光

河口慧海のチベット旅行記だけではなく、やはりチベット人の書物も読まないとバランスが取れないと思い、標記図書を読んでみた。
河口慧海の旅行記に出てくる日本人から見て不潔である日常の風習や性風俗に関する感覚が大きく異なることがわかる。このことは明治期の日本の風習も、イサベラバード等の欧米人から見れば不潔で野卑であったことから、相対的なものなのであろう。そういうパリやロンドンの不潔さも現代人から見れば耐え難いもので、江戸の町の方が清潔であったかもしれない。

著者は、父親は日本でいえば総理大臣や大老に当たるような人であるが、政争の中で暗殺されている。12歳くらいの時にダージリンに留学(一週間以上歩いていかなければならなった)して英語ができる教養人である。夫もダライラマ13世に重用された田中角栄のような立身出世をした人であった。姉二人もその夫の夫人である。姉の夫の秘書をしている間に、自身もできちゃった婚でその夫の子供を産んでいる。面白いのは、夫は歳の差があり、妹に縁談があった時に、著者にその縁談を回して推薦しているところである。シッキムの総理大臣の家柄に当たる夫であるが、政争でチベットの荘園に避難してきていたようであるが、ダライラマ14世と結局インドに亡命している。自身の子供を産むときに、ダライラマ13世が死亡した時期であり、男の子のばあい、14世になる可能性もあったと記述しているから、やはり「転生」というのも神話なのであろう。小作人の悲惨な状況は河口慧海とは異なり記述が見当たらないのは、仕方がない。

中国共産党初期の北京、成都等の様子が記述されており面白い。チベットから見ればやはり先進地域として描かれている。共産党の規律の問題も多少わかる。国民党のようにいきなり野蛮行為を行ったわけではなさそうであるが、はやり人間社会であることもわかる。

「1642年にダライ・ラマ5世が宗教上の指導者とチベット政府の最高指導者を兼ねるようになってから、1950年に共産主義者がチベットを侵略するまでの長い年月、歴代のダライ・ラマは、2つの勅任官組織の助けをかりて政治を行なってきました」。
「(父と兄が暗殺された1年後の1913年に)母は(3歳の)私たち全員をひき連れて、デープン僧院からラサに戻りました。ちょうどダライ・ラマ法王が帰還なさった時で、中国人が駆逐され、チベットの独立が宣言されたことを誰もが祝っている最中でした。残念なのは、祖国のためにあれほどつくした父が、生きてこの喜びに加わることができなかったことです。しかし、ダライ・ラマ法王は父の忠誠心を憶えておいでで、母に対して惜しみのない同情を示されました」。「1940年代も後半、私たちは中国人民解放軍がチベットに迫りつつあるとの噂を耳にしました。・・・デリーでは、中国との交渉が開始されていましたが、『チベットは中国の一部であることを認めよ』というのが、中国側の主張でしたから、チベット側も一歩も譲るわけにはいきませんでした。・・・1951年5月、これらの高官たちは、(16歳の)法王およびチベット政府になんら諮ることもないまま、無理やり十七条協定に調印させられたのです。国連からも他の国からもなんら援助をえられなかった私たちは、この屈辱的な協定を呑むほかなく、ダライ・ラマ法王は、ヤトゥンに5ヵ月滞在した後にラサに戻られました」。国連は蒋介石政権が参加しているから中国領としている。「当時、ラサには張経武将軍の一行をのぞくと中国人は、ほんの一握りしかいませんでした。けれどもそれから1年もたたないうちに、1万もの人民解放軍(男性も女性もいました)がラサに進駐してきました。・・・中国人がくるまで、チベット人は幸せな民族であり、それなりに快適な生活をおくっていました。チベットは決して富んだ国ではありませんでしたが、衣食は足りていましたし、不作の折にも、政府が備蓄していた穀物を放出してくれるシステムになっていました。・・・チベット人の生活様式にはさまざまな欠点もあったでしょうが、人々は心みちたりてのんきに生きていました」。

関連記事

保護中: ヴァーチャル旅行アフリカ篇①又は② Sao Tome and Principe サントメプリンシペ(TMS)ビザは不要 €現金準備

ATMの機械はあるがサントメ・プリンシペの銀行カードのみに対応していて、クレジットカードは使えない

記事を読む

no image

モンゴル調査の写真

調査団の一員である姫路獨協大学教授の佐野智行氏からいただいた、本人(寺前)の写真です。

記事を読む

no image

3⃣ 6 2018.8.19 サンモリッツ、ティーラーノ、ルガーノ

サンモリッツ 人口は5千人であるから、2万人の軽井沢町、1.3万人の箱根町より小さく、6千人の草津

記事を読む

1⃣ 6 2018.8.6 ② ジャージー代官管轄区 (Bailiwick of Jersey)(122カ所目)

ガーンジ島GCI を12:40発 frybe6420便(予約番号AT4BK6) ジャージー島JER着

記事を読む

no image

ヴァーチャル旅行 中国編➀ 厦門・コロンス島・船屋

◎宿泊 フェリーの予約、中国語土楼ツアーの案内のため、それな

記事を読む

保護中: ヴァーチャル旅行アフリカ編➂ギニア CKY コナクリ ビザ2万円

コナクリからシオラレオーネ・フリータウンまでの陸上移動の手配ができれば、両手は格段と組みや

記事を読む

保護中: 平壌、開城、板門店(4)

◎米軍へのこだわりが観光資源にも反映されている。 まず朝鮮戦争。金正恩第一書記になってから建てられ

記事を読む

no image

3⃣ 4 2018年8月17日 エッサウィラ

https://photos.google.com/album/AF1QipPZxydGB-DYGU

記事を読む

2-⑧ 2018年9月20日 タシケント朝の地下鉄とキルギス共和国(138)ビシケク空港からホテルに向かう騒動

タシケントでは50年前に大地震があったそうだ。私は全く記憶がない。 地下鉄に乗ってみる。アルマトイに

記事を読む

CUBA ➀

 8th Nov. 2016  I left Kingston early in the mo

記事を読む

no image
豪州の旅行業対策

http://www.travelvision.jp/news/de

コマンドル諸島ベーリング唯一の居住区ニコリスコエ村人口600人)

https://jinryu.jp/blog/wp-content/

no image
マルタ騎士団

https://youtu.be/M5BOAmMFkmM

no image
ファン・フェルナンデス諸島ロビンソンクルーソ島

ファン・フェルナンデス諸島(Juan Fernandez Islan

no image
スヴァ―ルバル諸島 スピッツベルゲン

スヴァールバル空港、ロングイェール(IATA: LYR, ICAO:

→もっと見る

PAGE TOP ↑