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5月14日 西安の糸繍群像、敦煌の月牙泉、鳴汲山 15日 莫高窟、玉門関、夜市

公開日: : 最終更新日:2018/05/23 海外旅行感想

14日 月牙泉、鳴汲山
https://photos.google.com/photo/AF1QipP7Fjsq2yfmlMcUUPp-IB-8kZLKv1HzrflwKXb1

 西安の糸繍群像を見て、敦煌に向かう。糸繍群像のある門の前で、フォークダンスをしている一団にあう。中国ではよく見かける風景で、日本ではラジオ体操や盆踊り大会の練習風景みたいなもの。ハルピンでは寒空の中ソーシャルダンスをしていた。駒回しも大掛かりで、日本人の旅行者がトライしたがうかくまわせないようだった。銅板にシルクロードの地図がかいてあり、南沙諸島が中国に入っていた。尖閣はどうかとみてみたが、図面からは東シナ海はうまいぐわいに外れていた。賢い。ベトナムでは、中国人観光客が南沙諸島の地図を描いたTシャツを着ていて問題になったと報道されている。

 飛行機の窓からシルクロードの雪山が見える。敦煌空港に到着。敦煌は人口20万人、ガイドさんの李さんは小さな町というが、日本では都会である。一人当たりのGDPは甘粛省の数字でみると、2015年26165元(約45万円)と中国の中でも低額である。月牙泉と鳴汲山に向かう。砂漠の中のオアシスで、駱駝が観光用に飼育されている。童謡「月の砂漠」のモデルになったようなところだ。細かい砂が靴の中に入ってくるので、砂除け用にカバーをレンタルもできるが、使わなかった。ビデオでは赤い長靴で映っている。駱駝に乗っているときに「チョウ、チョウ」と声をかけているのは、モンゴルのトナカイと同じであった。砂山はかなり急こう配であり、ラクダごとひっくり返ったら大惨事だが、ラクダは慣れたものである。駱駝がだめな人ようにランドクルーザーも用意されていた。ウルトラライトプレーンが飛行する滑走路が見える。駱駝の後、息が切れたが砂山の縄梯子階段がある一番上まで行った。それ以上は砂で足をとられてしまうので用心して上らなかったが、それでも全景が見える。湖畔にある寺院は最近建立されたものらしいが、写真用には不可欠であろう。夕食の後、翌日用に莫高窟研究所の日本語のできる学芸員の方の講義を一時間聞く。折角だと思って講師の目の前の席に座ったのだが、砂山を登った疲れが出てしまい、ついつい居眠りをしてしまった。でもユーラシア旅行社の試みは大賛成である。願わくば、参加旅行者の興味を引きそうな話を強調してするといいと思う。

加藤まさを作詞 佐々木すぐる作曲「月の砂漠」中国人にはこの歌はどう響くのかわからないが、日本人にはしみじみとした感じが伝わる。満洲里小唄もそうだが、私は森繁節が好きである。なお、ネットでは「月の沙漠」のモデルは御宿海岸だとあるが、はるばると行く感じは想像力のたまものであろう。
https://www.youtube.com/watch?v=CMU07ioy9ZY
https://youtu.be/Lh8u9-1Yq8U

15日 莫高窟、玉門関と夜市

 https://photos.google.com/photo/AF1QipO65d0E4H6CS3UAoep3CmCe2JHU_1vsxfakLBpZ

 元の支配下に入る頃になると中国と西方を結ぶルートがシルクロードから南方の海の道へと移行し始め、敦煌の価値は下落し、寂れた町へとなっていったらしい。いま日本で地方再生と叫んでいるが、古代からルートから外れれば寂れるものだということの認識も大事なのである。

 敦煌はその後、長らく忘れ去られた町となり、莫高窟も見向きもされていなかった。しかし1900年、この地にいた道士・王円籙(おう えんろく)が偶然に莫高窟中の第16窟の壁の中に隠されていた耳窟(第17窟, 後に「蔵経洞」と命名)から大量の文献を発見した。この報告を受けた地方官と王円籙は学術的見識を有さず、この文書はしばらくの間は放置された。1907年にその噂を聞きつけてやって来たイギリスのオーレル・スタインが王円籙から数千点の文書・絵画を買い込んでイギリスへと持ち帰った。翌年にフランスのポール・ペリオが同じように約三分の一に相当する文献をフランスへ持ち帰った。これらが大英博物館とフランス国立図書館に蔵され、研究者の間で敦煌の名が広く知られるようになった。海外流出を知った清政府は、学部を派して北京へと文書を移動させた。移動中に現地収集家の手に流れ、一部が民間流出したが、これら敦煌文書北京京師図書館で保管されている。 後に入った各国の探検隊は、ロシア(1909-1910年)、ドイツ(1914-1915年)、日本の大谷探検隊(西本願寺の大谷光瑞によって派遣された)・アメリカ合衆国の探検隊が少量であるが、入手して研究を進めた。これら敦煌文献の発見が、後の『敦煌学』への契機となった。現代では、すべての敦煌文書をデジタル化して、若手研究者が自由に使用できるようにするといいだろう。AIを活用すれば、自動翻訳も可能になり時代が来る。そうすればさらに過去のことが明らかになるに違いない。

 二階以上の洞窟にはコンクリート製の階段を利用して観光客は見ることができるが、もともとはついていなかった。だから昔の人は見ることが大変であったろう。写真を見て階段が付いた莫高窟があたり前のように思うが、本当は全く違うものであったのだ。
 
 敦煌の壁画も二酸化炭素により変化するから、できるだけ観光客は入れないほうがいいのであろう。現在われわれが見学するとき、3Dを含み2回映画を見させられる。どうせ素人には本物を見てもわからないだけであるから、すべてヴァーチャルにしてもかまわないのであろう。難しいのは行き過ぎると自宅のパソコンで済んでしまうから、それではコスト回収が難しくなるかもしれない。いずれにしろ、ガラパゴスや敦煌遺跡は数を極めて限定したものにするといいであろう。その意味で、有料の洞窟は、学芸員から指定されたものに限定している点は素晴らしい。これぞ着地型観光であり、着地型というのは、来てくださいではダメなのである。

 文化大革命時代、莫高窟も危なかったらしいが、周恩来が阻止したとガイドの李さんは説明してくれた。黄土高原の遺跡は紅衛兵によりかなり破壊されたらしい。

 昼食後玉門関に向かう。私には南の陽関の方が、唐代の詩人王維の詩「西出陽関無故人(西のかた 陽関を出づれば故人無からん)」の句で覚えているから親しみがわくのだが、時間の関係上北の玉門関の方に向かう。どうせ見てみても私は区別がつかないから同じだ。敦煌~玉門関まで専用道路みたいなもの。途中に監視カメラがあり、スピード違反も簡単に見つかるから、皆慎重運転である。砂漠といっても、ラクダ草が生えている。葉が針上になっており、ラクダはそれを上手に食べる。キリンの舌と同じなのである。進化の過程で生き残ったものが駱駝であり、それをうまく活用したのが人間である。ここでも結婚衣装を着たカップルの写真撮影。雲南省でも見かけたが、プロのモデルかもしれない。

 帰りに、敦煌古城を見かける。80年代、映画「敦煌」の撮影用に作ったもので、古城ではない。日本人は敦煌が好きだから、敦煌では日本語表示の案内も見かけるが、西安ではハングルはあっても日本語はなかった。学芸員やガイドに日本語のスタッフがいるのも、昔の日本人観光客のおかげである。今では日本人観光客の力はなく、巨額費用のかかる映画の撮影など夢である。

沿道にブドウ園を見かける。敦煌ワインとして有名だそうであり、ホテル到着、夕食時に莫高窟ワインを注文。その後、夜市にでかける。一人でいても百度地図が使えるから安心であった。

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