🗾🎒 🚖シニアバックパッカーの旅 チームネクスト 石巻市大川小学校被災現場を見る
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最終更新日:2023/06/15
シニアバックパッカーの旅, 国内観光
11月15日、革新的タクシー事業者の集まりであるチームネクスト(概要は人流観光研究所HPに出ています)の集まりの一環で、仙台市のふたばタクシーさんのご高配により、石巻市大川小学校の被災地の現場を案内していただきました。全校児童108名の7割に当たる74人が死亡、行方不明となったところです。
論議があるところでしょうが、裏山をよじ登れば助かったかもしれないと思わせる全景です。
小学校写真の右側に津波で変形したコンクリート施設が移っていますが、自然の威力を示しています。
慰霊碑の遠景です。写真撮影は控えてほしいという案内が出ていましたので遠景をアップしてあります。
多くの人を引き付ける慰霊碑ですから、当然写真を写す人も多くおられると思います。
この写真に写っている橋が、引率された児童が被災したところです。手前は小学校のグランド(上記パノラマ写真に映っているところです)です。助かった児童は写真には映っていませんが、左側にある山にかけのぼって助かったと思われます。
本日でもこの大川小学校を訪れる人が少なからず存在しました。東日本大震災の被災を物語るものは数多く存在しますが、時間とともに変化してゆきます。そしてその中から象徴的なものが長く人々の記憶に留まってゆくことは仕方がないことでもあります。
多くの人を引きつける人流資源として考えた場合、ダークツーリズムとカテゴリ化されるものがあります(拙著「東京オリンピックを迎える学生・社会人のための観光・人流概論」66頁参照)。我が国では原爆ドームがその代表です。世界遺産登録をめぐって地元も政府も当初躊躇したようです。アメリカとの関係に配慮したからです。隣国韓国では、植民地時代の朝鮮総督府撤去をめぐって、移築か破壊かで議論がなされ、結局破壊されました。このように当事者にとって思い出すことが苦痛なものを、時間が経過した後、人流資源として存続させる措置をとることが広く行われています、国際的にはビルケナウのユダヤ人収容所等が知られています。
地元紙は「大川小学校を襲った津波の悲劇・石巻」と題してインターネットに掲げています。その中で「大川小学校に集まった人々のほとんどに危機意識が欠けていたためであり、そのように仕向けてしまった一因は行政にあったと推察できる」と記述しています。一因は行政にあったのでしょうが、行政を監視する役割を持つマスコミは行政の作成した避難対策を、作成当時検証しなかったのでしょうか。公式発表をうのみにしてそのまま読者に報道する姿勢にも一因のように思われます。すべてを行政に責任にせず、喉もと過ぎてあつさを忘れないようにしてほしいものです。
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