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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1993年 JR東時代 ロシア(国連加盟国17か国目) 松田昌士JR東・副社長随行 モスクワ

公開日: : 最終更新日:2023/06/11 シニアバックパッカーの旅

橋本内閣時、北方領土の対応振りから、ロシアとの経済協力に政府は極めて消極的であった。その穴を埋めるため、民間企業であるJR東は、ロシア国鉄に経済協力を行うことになった。実際、中古のディーゼル車を寄贈している。旧樺太のサハリン鉄道は日本の狭軌であり、そのまま活用できたからである。

松田昌士副社長を団長に、安藤JAL常務、旅客本部長、宮本ジューロコンテナサービス社長(シベリアランドブリッジ)、富田JR東企画課長(のちに社長に就任)といった面々に、私も加えてもらった。運輸省から出向しており、行政との関係の調整ができ、加えて、民間企業の社員でもあったから、便利な立場であったからであろう。今は亡くなった日経新聞の小河記者の推薦もあったのかもしれない。

全員ファーストクラスに陣取った豪華な旅行、担当本部長が同乗しているから、客室乗務員も緊張していただろう。ファーストは我々だけだった。

モスクワでは、数少ない経済使節団ということで、公使が対応してくれた。ロシア国鉄は、ぺレルスブルグまでの夜行寝台列車を準備していたようだが、時間がなく残念だった。国鉄の施設をいくつか見学したが、いずれも資材不足で古老していたようだ。それでも、一般市民と比べれば、国鉄は独自の資材調達手段を持っており、ましであった。国鉄従業員は3百万人とか。

ロシアの経済はどん底状態で、市場が機能しておらず、道端にはコーラ便を手に持って販売している者があふれていた。通貨も機能しておらず、ドル不足から、たばこのマルボローの赤一箱が一ドル紙幣替わりを務めていた。百貨店GUMは、壁が崩れており、案内してくれた大使館員は、ロシア共産主義経済には減価償却概念がないから、メンテができないのだと言っていた。それでも、ボリショイ劇場ではヴァレーを見学できた。案内嬢にまろぼろーの赤を差し上げたら、喜んでいた。

宮本氏の案内で、土産店。キャビアに絵画。安藤氏は絵画を購入。ロシア当局は、iconの流出に気を付けている。尾端さんの依頼で、新体操でモスクワに留学している者に、土産を渡す。

 

移行経済下ロシアの貧困・不平等:効率から公正へ | 時代の論点 | 一橋大学 HQウェブマガジン

●ソ連の崩壊とエリツィン時代の経済的苦境

幽閉されたゴルバチョフを救出するとともに、その間に全く新しい体制をつくろうということでボリス・エリツィンという人が立ち上がりました。彼はロシアの国会を戦車に乗って砲撃するという派手なことをやって、大統領になりました。

大統領になって何をするかというと、彼は市場経済の信奉者というのですが、市場経済をほとんど分かっていないのです。「皆、私有制にすればいい」と思ったらしく、国民に財産チケットを配り、それでロシアの国有財産をどんどん買っていいといったのですが、一部の大変ずる賢い人たちがそのチケットを大量に入手し、多くの国有財産を手に入れたのです。この人たちを「オルガルヒ」といいます。特権階級です。特権階級がその資産を蓄積してしまいました。

しかし、経済はすでに大混乱をしており、やがて崩壊しました。その結果、所得は激減。インフレは年間数1000パーセントになりました。すごいことに1990年代、ロシアの国民の平均寿命が数年間短くなっているのです。この時代はよほど厳しい時代だったのだと思います。薬が手に入らなくて多くの人が死んだということです。

ロシアは、国際社会に対しては1998年に債務不履行でとうとう崩壊したのですが、かつてアメリカと肩を並べて冷戦の一極を担っていた国の国民所得がこの時代、新興国、かつての途上国並みになっていたのです。非常に苦しい時代でした。

QUORA ゴルビーはソ連を潰したのにも関わらず、なぜ評価されているのか?

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