🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1992年12月30日~1993年1月3日 JR東時代🏳🌈❹サイパン家族4人旅行 JR旅行業の難しさ
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最終更新日:2023/06/11
シニアバックパッカーの旅
◎ビューワールド
窓口販売商品の品揃えのため、JALと提携。当時はANAとは関係が深くなかったが、大学同級生のANA社員の太田君と後に社長にまで出世した伊東さんと山形を旅。伊東さんが社長時代に、全日空機内誌に加賀片野の坂網猟を取り上げてもらい感謝している。伊東さんの郷里の宮崎にも同じ坂網猟がある縁であった。
JR東日本の社員時代に、正月を家族でサイパンで過ごすことになった。子供がバンブーダンスに興じていたことを覚えている。JALと提携したJR東の商品であるVIEW WORLD商品を購入したのであるが、家族4人で一部屋を割り当てられたので、窮屈であり、帰国後クレームを申し立てておいた。
JR東日本の旅行業への取り組みは、民営化にともない駅構内からJTBの店舗に退去してもらい、自前のビューの店舗を構えたのであるが、最終的には旅行業単独では採算が合わないということになり、鉄道事業の中で行われることとなった。
JR東時代の家族旅行は、家族旅行券等を活用し、八幡平、松山、京都・神戸を旅行した。
◎戦跡観光
サイパンは戦跡観光で知られるが、
主要産業は、日本人を対象にした観光業であり、観光客のほとんど(7割以上)を日本人が占めている。かつて、JALグループは、グアム以上にサイパンの観光開発を重視しており、日本‐サイパン間の路線を毎週14便運航し、年間16万人を旅客輸送していた。ホテル経営にも積極的で、ホテル・ニッコー・サイパンを営業しており、最盛期には、大型ショッピングモールラ・フィエスタ・サン・ロケ・ショッピングプラザをオープンさせ脚光を浴びていた。ラ・フィエスタでは、日本航空のジャンボジェットで空輸した雪で雪まつりが行われ、観光客のみならず地元住民も楽しみにしているイベントであった。
しかし2005年後半以降、収益性の低いリゾート路線のコスト削減の観点から、日本航空の定期便運休やサイパン地点撤退の影響もあり、ピーク時に比べ30%減と日本人観光客が減少傾向にある。これに対して韓国人や中国人の観光客が増加しているが、日本人観光客減少の損失を補えるほどではなかったため、北マリアナ経済は大きな打撃を受けることとなった。マリアナ政府観光局は、再び日本人観光客を誘致するための政策を行っているが、2018年5月6日をもってデルタ航空がサイパンから撤退することが決定し、サイパンと日本を結ぶ直行便は途絶えることとなった。しかしマリアナ政府観光局の働きかけにより、2019年3月22日からスカイマークが成田〜サイパン間に国際チャーター便を就航させ、2019年11月29日より定期便化し、サイパンへの定期直行便が復活した[6][7]。だが、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い2020年3月26日以降運休しており、再開は未定となっている。再びサイパン直行便が途絶えることとなったが、2022年9月1日よりユナイテッド航空が成田国際空港~サイパン国際空港を週三回往復する定期便を就航することとなった。ユナイテッド航空は、統合相手であるコンチネンタル航空がかつて就航していた路線である成田-サイパン便を合併後に復活させたという形になる。
自治領
北マリアナ諸島自治連邦区( Commonwealth of the Northern Mariana Islands)、通称北マリアナ諸島は、ミクロネシアのマリアナ諸島のうち、南端のグアム島を除く、サイパン島やテニアン島、ロタ島などの14の島から成るアメリカ合衆国の自治領である。主都は、サイパン島のススペ。
北マリアナ諸島は、1945年まで日本の委任統治領である「南洋諸島」を構成していたが、戦後、米国の信託統治下の太平洋諸島信託統治領となった。その後、ともに太平洋諸島信託統治領を構成したパラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦が米国と自由連合関係にある独立国となったのに対し、北マリアナ諸島は米国の自治地域であるコモンウェルスとなった。北マリアナ諸島の住民は、米国の市民権を有する。州とは異なり連邦税の納税義務を持たず、合衆国大統領選挙の投票権もない。ただし二大政党の合衆国大統領予備選挙では州同様の代議員選出権があり、大統領候補者指名に加わることができる。合衆国議会の議員選挙権も無く、首都ワシントンD.C.に北マリアナ政府代表が常駐するにとどまっていたが、2008年よりオブザーバーの資格で合衆国下院の委員会に代表委員を送ることが認められるようになった。
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