*

🌍🎒シニアバックバッカーへの道  JR東時代 1992年6月14日~27日 ブラジル(国連加盟国16か国目)

公開日: : 最終更新日:2023/06/11 シニアバックパッカーの旅

JR東出向中、視察候補地を聞かれ、ためらいもなくブラジルはマナオスと答えた。マナオスは、高校の地理の時間その場所を知った。アメリカ大陸のど真ん中にあるにもかかわらず、海抜が50メートルというのが驚きであったからだ。日本航空の47年東大法卒組板垣氏(役員になられたが現在故人)や日本郵船の前田氏もサンパウロ勤務をされていることは後から知ったが、縁があるのだろう。

ブラジルでのアテンドはJALの方にお世話になった。当時はまだ日本航空サンパウロ線があった。ビジネス席は2階になっていた。リオ、サンパウロの治安は最悪で、イパネマの海岸は、ピストルを構えたガードマンがビーチの見張りをしていた。現地駐在員の話題は、いつ強盗にあったかという話ばかりであった。定番の観光地巡りを済ませ、ゴルフをさせてもらった。ホテルの有線テレビで、カリギュラのノーカット版を見ることができ、驚いたが、いまとなっては、日本のAVに比べたら、穏やかなものだ。

アメリカ合衆国が、人種のるつぼというのは間違いだとグレートジャーニーの 語っている。いろいろな人種があつまってはいるが別々にくらしているからだ。それに比べて、ブラジルはいろんな人種がまじりあって暮らしているから、こちらこそ、人種のるつぼであるという。JALの支店長も、愛人には白人と黒人のハーフが最高と思われているといい、白人、黒人、インディオの混血がいろいろ存在することをかたっていた。

イグアス滝は日帰りで訪問、ヘリで上空から参加国の国境沿いを眺めた。ナイアガラの滝が気の毒になるということ。飛行機の便が変更になり、JRから一緒に来た随行の者が困惑していた。マナオスはでは、アマゾン川とネグロ川の合流地点へ。コーヒーにクリームを流し込んだように、川の色が違う状態に圧倒された。ピラニアのから揚げが、ランチの定番。あまり食べるところはなかった。アマゾン川の水位の変が激しく、川岸のポンツーンの調整用の施設がダイナミックであった。ゴム景気に沸いたころの名残か、豪華な昔の劇場が観光資源化していた。

 

 

関連記事

🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2022年5月3日日中 バジリカータ州 マテラ

  2022年5月3日バーリからMateraへ           旅

記事を読む

🌍🎒シニアバックパッカーへの道 資料 トルコ風呂騒動

当時、在日トルコ大使館の文化担当参事官や留学生が、日本ではソープランドのことをトルコ風呂と表

記事を読む

🌍🎒2024シニアバックパッカー地球一周の旅 人口問題とアフリカ諸国

縦軸の人流(人口減少と増加) ◎22世紀はアフリカの時代 今回の旅は、旧仏殖民地6か国を中心

記事を読む

no image

🗾🎒シニアバックパッカーの旅 1995年 小笠原諸島 父島、母島

父親を誘い、小笠原に行く。片道27時間かかるので、往復1週間みなければならない。先輩に小笠原海運にお

記事を読む

🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2009年1月31日 ニューデリー、デリー

日本大使館そばのレストランのタンドリーチキンが美味しかったことを覚えている。 Isa Khan'

記事を読む

🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2022年4月29日夜~30日 シチリア島(イタリア特別自治州🏳‍🌈㊱)パレルモ

パレルモの宿 マクドナルド無料wifiでつないだgoole mapのログを

記事を読む

no image

🌍👜シニアバックパッカーの旅 2018年5月13日 兵馬俑、始皇帝陵

13日午後 兵馬俑と始皇帝陵 https://photos.google.com/photo/

記事を読む

no image

🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2019.10.11 フィジ―(国連加盟国18か国目) ナンディ見学

https://photos.google.com/photo/AF1QipMGxtv0x4s6

記事を読む

🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2022年5月13日、15日リヨン 命名観光資源(サンテグジュベリ空港 ポールボキューズ市場)

facebooK投稿文 2022年5月13日 リヨンに到着。ライトレールが空港まで乗り入れ、

記事を読む

🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1978年12月 新婚旅行 英国(国連加盟国4か国目)、アイスランド(国連加盟国5か国目) 米国(国連加盟国6か国目)(⑴アラスカ州アンカレッジ)

1978年12月9日に神田の学士会館で結婚式を挙げ、東京プリンスホテルに宿泊し、新婚旅行に叔母夫妻が

記事を読む

PAGE TOP ↑