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🌍🎒シニアバックバッカーへの道  1992年6月14日~27日 JR東時代 ⑻ペンシルバニア州アーミッシュ村 ⑼ニュージャージー州アトランティックシティ ⑽マサチューセッツ州ボストン

公開日: : 最終更新日:2023/06/11 シニアバックパッカーの旅

鉄道空港全線走破を思いつく

航空局経理補給課長からJR東開発事業本部担当部長へ出向

日本の空港は、東京離島、沖縄離島についで、鹿児島離島、長崎離島が多く、これらの離島を制覇すれば、日本の空港制覇は可能となる。石油公団時代に鹿児島、長崎離島に行く機会があり、航空局時代は、石垣空港問題対応や会計検査院の検査対応のため数多くの空港に出かける機会があった。東京離島は、周遊する航空路線があり割と簡単に回ることができるので空港制覇は目前の状態であった。JR出向の機会に、JR東日本路線が社員証での乗車が可能となることから、鉄道も全線走破をすべく心構えをした。

JR東の配慮による、リゾート関連海外視察

JR東日本(事業開発部、鉄道事業本部営業部)出向中に、リゾート開発に関するという名目で、アメリカ、ブラジルに出張させてもらった。手配はJALの中島さんにお願いをした。結果、ニューヨークでは JALが買収したマンハッタンの超高級ホテル、エセックスハウスに宿泊させてもらった。超高級ホテルなのだが、テレビの画面からは、エスコートクラブの宣伝がやたらと流れてくるのにも驚いた。

ニューヨークには、運輸省からJNTOへ出向していた佐々木所長と後輩の室谷君がアテンドしてくれ、希望通りニューヨークメッツの試合とミュージカルのミスサイゴン、そしてブルーノートへ案内してもらった。日本人選手が活躍する今では当たり前の観光資源だが、当時は日本人選手などいなかったが、日本人海外旅行者は、日本の野球には飽き足らなくなっていると思い、そのスピード感を肌で感じたいと思ったからだ。しかし、2023年の段階では、野球というゲームそのもののスピード感のなさに、ファンは離れていくような時代になってきている。

バブルははじけたが、まだまだ日本は勢いがある時代で、ニューヨークでは日本式のカラオケバーやクラブが流行していた。夜に佐々木所長が二次会に連れて行ってくれたが、全く東京と変わらない雰囲気で、女性だけが世界各国からきているという感じであった。

ニュージャージー州のアトランティックシティに日帰りをした。カジノがいずれ話題になるという予感がしていたからだが、アメリカではすでに下火になっているようだった。トランプさんはアトランティックシティで財を成し、そして失ったはず。

マサチューセッツに日帰りをした。JRから随行してきた職員が、ボストンの再開発をアレンジしていたからだが、ハーバード大学のキャンパスだけが印象に残っている。

ペンシルベニア州フィラデルフィアまで鉄道で行き、そこからアーミッシュの人々が暮らす地域まで車で出かけた。ジョンブックの映画「目撃者」を見て、興味をひかれたからだ。

 

独占に胡坐をかく?私鉄関連事業

小田急電鉄関連会社ににレストランジローがあり、社長が福井新聞東京支局長の義兄であったことから、知遇をえた。ジローのオーナーであったが、小田急傘下に入ることとなったようだ。小田急の関連事業百社近くある中で、唯一単年度黒字の会社がジローということを聞き、JR東日本関連事業本部の佐藤課長からもらった資料の裏付けが取れた気がした。民営化したJR東は、住田社長以下の徹底した採算重視主義で関連事業をすすめていた。JTBを駅構内から撤退してもらったのもその方針にもとづく。

私は、両国駅のホテル事業(当時ナポレオンハットと呼ばれていた)と立川のデパート事業が担当で、検討を進める立場になった。前任は国鉄の西垣さんという方であった。本省の課長からの移動であり、いささか気持ちの切り替えが必要であったが、次第に面白くなっていった。プロジェクト推進という観点では、石油公団時代に石油備蓄プロジェクトを学んだことから、その面白さは理解していたが、ビジネスプロジェクトという観点では初めてであり、戸惑いが多かった。立川駅にデパートを建設しても、施設建設費と駅用地の適切な評価に見合う賃料をJR東に支払うことができるだけの物販事業は成立が極めて困難であることが分かってきた。しからば、私鉄はなぜ成立しているのか大いに疑問がわくのであったが、そのからくりは、鉄道事業に助けてもらっているからであった。賃料をまけてもらっていたからである。従ってデパート事業実施には甘さが出ることになり、駅を離れた事業はできず、東急も近鉄もことごとく撤退していったのである。そのあたりのことをまとめた資料を佐藤課長から見せてもらっていたので、国鉄改革の見本であった私鉄事業のフィクションを知ることとなったわけである。古巣の運輸省鉄道局の課長連中にも話をしたが、あまり信じてもらえなかった。

JR東は当時上野駅に高層ビルを建設する構想をメディアに発表していた。適正なコスを賄えるものではないが、鉄道事業の駅改良の中で、鉄道に必要なもの以上に(つまり運賃で回収すべきもの以上)金をかけて強固な支柱を作って将来、その上にビルを建設するという発想は、決して間違ってはいないし、経営判断である。公共事業では説明責任があるから政治的に困難であるが、」民間企業であれば、長期投資への株主の理解があれば可能である。

立川プロジェクトについては、最初丸井百貨店とジョイントを組むこととなっていたが、私が担当する前にそれを破棄していた。その為丸井及び立川市(特に助役)とこじれていた。地元再開発組合の理事長であるオリオン書房の万田さんは、JR東の担当常務である新日鉄出身の網谷氏と一ツ橋の同級という間柄であった。丸井の担当者は鈴木さんという方であり、当時から今日の百貨店事業の問題点を理解されていた方であり、いろいろお教えいただいた。プロジェクトの途中、八王子駅ビルでお世話になっているそごう百貨店との提携の話ももちあがり、全国各地のそごう百貨店の立ち上がり等を視察する機会も得た。今振り返れば、そごうと水島氏の関係等うかがい知れないことがあったのだと、感慨深いものがある。私がはなれたあと、最終的に阪急百貨店の指導を得てJR東百貨店が設立された。

JR東としては、それまで駅ビルはテナント業であり、直接販売事業を行うことはなかった。逆に、羽田の空ビルは、テナント業ではなく、直接レストランや免税店を経営している。不思議に思い、常磐新線プロジェクト時代の公団総裁永井氏が退任後行かれた空港ビルの秘書の方に教えてもらったところ、羽田は開業当初、どこも進出してこなかったので、自ら事業を始めざるを得なかったのだということが分かった。その分ノウハウがたまり、今では羽田以外の空港等にまで進出しているのである。この点国鉄駅ビルは、政治的に進出が抑制され、赤字が膨らむとともに、駅ビルへの出資が徐々に認められるといった経緯があるから、事業の直営化などできなかったのである。

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