*

🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2023年3月6~8日 カタール・ドーハからケニア、タンザニア(航空)航空の欠航でエンテベへ  

公開日: : 最終更新日:2023/06/11 シニアバックパッカーの旅

 

GOOGLEPHOTO アルバム 長いドーハ滞在からナイロビ

 
六日朝のドーハラウンジ トランジット空港だけあって、朝六時は満席、しかし8時にはがらんとしている。私のフライトは夜六時だから、まだ先は長い。特典航空券なので、効率的な座席の確保は無理にしても、少し無駄があるか。
余裕があるので、ブジュンブラからアジスアベバ経由ナイロビ行きのエチオピア航空の電子チェックインを試みる。途中までスムーズだが、ナイロビのビザ番号を要求される。電子ビザの番号を入力するのだが、受け付けない。申請書受け付け日と、入国予定日が3カ月を超えているので無効なのかもしれないが、それであれば、受け付け日に排除するのが一般的、ビザ承認日はまた別だろうと思っていたが、20ドルだけぶんどられたのかもしれない。ナイロビは入国しなければビザは不要とあるから、入国しないことにして、viatorのランドの、スラムツアーはキャンセルした。8000円程度だが全額戻ってくる。
問題はチェックイン。トランジットカウンターがあれば、全く問題ないが、ない場合、電子チェックインができないので、一旦入国しないとできない。ガボンやコンゴ共和国と同じ状況である。
一抹の不安はあるが、なんとかなるだろうと、念のため、タンザニア航空のチケットを、ラウンジでプリントアウトしてもらう。やはり、小さなスマホで交渉するより、紙を見せる方が効果的だろう。
準備を整え、本日の運動不足解消のため、ターミナル内を散歩、6000歩。
16:30 ようやくゲートがしめされた。ラウンジに近いA1。17:30搭乗開始。長い長いドーハ滞在だった。
23:50ナイロビ到着。日本のコロナワクチン証明書をみせ、簡単に乗り換えターミナルにいれてもらえた。パケ放題も繋がりやれやれ。
 

ナイロビ空港の1泊、タンザニア航空便の欠航、エンテベ空港の1泊

ナイロビ空港で一泊、標識にあるようにゲート4に、早めの六時には行く。搭乗券を出してもらうよう頼むと、フライトはキャンセルされたと伝えられる。ゲート4にいた他の乗客はウガンダ航空に乗る人みたいだ。係員の話では、タンザニア航空のダルエスサラームゆきは、夜にならないとないらしい。肝心のブジュンブラ行きが飛ぶのかも怪しい。これまで、tripcomが度々送ってきたスケジュール変更はなんだったんだろう。朝のキャンセルに関するメールは届いていない。
 
 ゲートの係員が、ブジュンブラ行きは今日ならケニア航空が昼に飛ぶという。680米ドルだというが、売りたがっているのは手数料が良いのだろう。しかし、今日ブジュンブラについても、出発は明日の16:55だから、ビザなしではトラブル可能性がある。
ネット検索で、ブジュンブラゆきを調べると、ウガンダ航空が398米ドルで販売している。今日の夜出て、エンテベで一夜を過ごし、明日午後13:00発13:15着だからエチオピア航空乗り継ぎにちょうど良い。
 
 さて、航空券購入のため、ケニアに入国することにした。事前に手に入れていた電子ビザを使ってみると問題がなかった。ただ後で入国した理由をかなり詳しく聞かれた。ぐるっと回ってまたナイロビに戻ってくる理由が飲み込めなかったようだ。最後は面白がって親切にしてくれたのは、こちらが年配者だからか?
 
 まず、タンザニア航空のカウンターを探すが、誰もいない。明日のブジュンブラ行きは運航されるのか、その時間はどうなのか、聞きたいが、また変更されるかもしれず、三万円を返してもらうことを考える。tripcomだから比較的やりやすいかも。
ウガンダ航空のカウンターに行く。ザンジバル見学ができなくなったことは残念だが、ブジュンブラ行きのついでに生まれた計画だから、宿代が無駄になった程度の被害。
   
 一息ついたところで、tripcomのアプリでタンザニア航空のキャンセルをする。全額返金できるらしいが、申し込むとシステムが混雑して承認に失敗しましたとでる。iPhoneだと何度やってもダメ。アンドロイドで試したら一発でキャンセル受付。再度iPhoneで試したら、既にキャンセル済みとのメッセージ。メールで三万返金手続きに入ったと連絡あり。といっても、半分は税金だから当然戻ってくるもの。
 tripcomの通知で、ブジュンブラ到着がいつのまにか8日18:00に変更になっていた。この時間ではブジュンブラ16:55発のエチオピア航空が出発した後になってしまう。そういう意味では、タンザニア航空の欠航は、キャンセル全額戻るとすれば、私には好都合だった。塞翁が馬の典型。
 
 ウガンダ航空のチェックインは七時間前からのはずだが、カウンターに職員は誰もいない。一時間程度カウンターの周りで待ってみて、その間に電子チェックインを試みたら、大成功。イミグレに行くと紙の搭乗券がなくても通してくれた。朝から一日中建物内にいる私はイミグレ職員にはかなり目立つ存在だったのだろう。なによりもブジュンブラまでの搭乗券↓をてにいれたのだから、一安心。
 

 

 

関連記事

🌍🎒シニアバックパッカーへの道 2007年8月11、12日 ジンバブエ 国連加盟国35か国目 ビクトリア滝

大学の夏休みを利用して、南アフリカ旅行を計画。家族の同行希望者はいなかった。息子に頼み、日本旅行のビ

記事を読む

🌍🎒シニアバックパッカーの旅 5月10日 マケドニア(国連加盟国91か国目、北マケドニアに名称変更)

FACEBOOK投稿文 マケドニアはスコピエ。BBCでは 国会の乱闘を報道していましたが、ドライ

記事を読む

no image

🗾🚖 2017年7月22日 チームネクスト 柳川 北原白秋は文化勲章を受けていない

2017年7月22日柳川を初めて訪れた。水郷柳川として、西鉄が大牟田線の旅客誘致に力をいれてきたとこ

記事を読む

🌍👜シニアバックパッカーの旅 ⑥の3 2月21日 セントルシア(国連加盟国103か国目)、バルバドス(国連加盟国104か国目待合室)、グレナダ(国連加盟国105か国目飛行場着陸のみ)

〇 セントルシア 2月21日に、カリブ海は、マルティニークのFDFからセントルシアにフェリーでわた

記事を読む

🗾🎒三重県一身田 父親の納骨と道中の読書  『マヤ文明』『英国人記者からみた連合国先勝史観の虚妄』 2016年10月19日、20日

父親の遺骨を浄土真宗高田派の総本山専修寺(せんじゅじ)に納骨をするため、山代の妹のところに行き、一晩

記事を読む

🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1999年国土庁 ベルリン ポツダム(旧東ドイツ)ロンドン環状道路

国土庁計画調整局担当審議官時代に、国土計画論につきいろいろ学んだ。ボンには訪問したことがあるが、旧東

記事を読む

🗾シニアバックパッカーの旅 2014年2月17日、18日 沖縄 西表島など

米軍占領下の沖縄貨幣経済 B円 B円(ビーえん)は、1945年から1958年9月まで、米

記事を読む

🌍👜シニアバックパッカーの旅 2018.8.8 ロンドンからボルドーへ

https://photos.google.com/share/AF1QipOZv6X0GNAdB5

記事を読む

🌍🎒シニアバックパッカーの旅 5月17日 クウェート(国連加盟国96か国目)

https://photos.google.com/share/AF1QipMu9yoSjG0q-C

記事を読む

🌍🎒シニアバックパッカーへの道 2008年2月 南米(ヴェネズエラ、パナマ、コスタリカ)旅行全体計画

  成田 NY MAIAMI カラカス

記事を読む

no image
🌍🎒2024シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 福建省(24番目)厦門

中国渡航にビザが必要な段階で計画したので、金門島から廈門に渡る

🌍🎒シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 台湾省🏳‍🌈 金門島

  昨夜桃園空港から台北駅に鉄道で移

no image
🌍🎒シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 台湾省🏳‍🌈 台北

国連加盟国第一か国目は中国。1970年に香港、台湾と旅行した。当時は、

🌍🎒2024シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 パラオ共和国(国連加盟国188か国目)

    2024年12月4日早朝マニラから

🌍🎒2024シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 セブ・マクタン島

youtubeで、マゼランの世界一周を 取り上げた動画があり、船

→もっと見る

PAGE TOP ↑