シニアバックパッカーの旅 2023年2月25日 ソマリア・ソマリランド国連加盟国160か国目
公開日:
:
最終更新日:2023/05/24
シニアバックパッカーの旅
旅行準備資料

ソマリランド共和国は、旧イギリス領ソマリランドを領土とする。1991年のソマリアからの分離・再独立宣言後、実質的に独立国家として機能しているが、国際的に国家の承認はされていない。イギリス領ソマリランドは1960年6月26日にソマリランド国として独立した。ただしこれは同年7月1日に予定されたイタリア信託統治領ソマリアの独立を見越して同地域との統合を目的とした措置で、この独立は5日間だけであった。そして予定通り7月1日に両地域は統合され、「ソマリア共和国」が発足した。ところがモガディシオの中央政府は南部出身者が主導権を掌握し、南部優遇の経済政策などを推し進めた結果、北部地域ではソマリア中央政府および南部地域への反感が強くなり、ソマリアからの分離独立を求める声も高まっていった。1991年1月にモハメド・シアド・バーレによる政権が崩壊した後、それまでの南部優遇政策と混迷を極めるソマリア情勢に失望したイサック主体のソマリ国民運動(SNM)は、1991年5月に旧イギリス領ソマリランド地域の分離・再独立を宣言し、新生ソマリランド共和国を発足させた。見方を変えると、1960年に5日だけ出現して消滅したソマリランド国が31年ぶりに復活したことになり、ソマリランド政府も「独立を回復した」という立場をとっている。ソマリランド側はソマリア暫定連邦政府(後に正式な政府に改編)に対して激しく反発しており、ソマリアとの再統合は、もはや不可能な情勢になっている。現地住民の中でもソマリランドとソマリアは全く別の国であるという認識が強いようで、ソマリアと比べて治安も格段に安定している。2008年にソマリランド軍が東部の町サナーグを攻撃し、マーヒルとプントランドの民兵を駆逐した。
正式名:ソマリランド共和国面積:約17万㎢(日本の半分ほど)人口:約400万人(2015年)首都:ハルゲイサ 言語:英語、ソマリ語、アラビア語宗教:イスラム教独立記念日:1991年5月24日(ソマリアより独立)通貨:ソマリランド・シリング ソマリランド・シリングも国際的に認められていない通貨なので、USドルとの比率は決まっていない。2019年8月時点では10USドルが80,000ソマリランド・シリング。ソマリランドではUSドルが使えるので両替はしなくても問題ないが、街のいたるところに大量のお札を持った両替商
◎ハルゲイサは、ソマリアから事実上の分離再独立を遂げたソマリランド共和国の都市で、同国の首都となっている。イギリス領ソマリランド時代からこの地域の中心都市として機能してきた。人口は454,365人(2004年)とされるが、80万人から100万人の人口を有するという説もあり、定かではない。市民の大半はソマリ族のイサック氏族である。
ハルゲイサ ソマリランド西部のオゴ高地中央部に位置し、標高は1,260m。平均温度は摂氏23~32℃。気温はアデン湾の沿岸地方に較べて比較的温暖で、夏季は過ごしやすい気候である。降水量も多く、かつては森林地帯だった。都市が標高1000mを超える位置にあるため、冬季は10℃以下になることも稀ではない。冬の期間は日中に30℃を超えても深夜から早朝には10℃ほどの気温になる。

2014☆10/15 アディス→ハルゲイサ、観光
☆10/16 ラスギール、ベルベラ観光
☆10/17 ハルゲイサ→アディス
小さい空港のイミグレへ。どこでビザ申請するのかわからないので整列の整備をしてたイミグレオフィサーに「アライバルビザ」って言ってみるとおじさんはビザ用紙を探しに行ってくれ、持ってきてくれた。ささっと書いてイミグレオフィサーに写真と一緒に提出。3日しかいないけど7日のビザをくれた。アライバルビザ取れた!よかった。イミグレを出たら空港税を払う。USD33。そして出てみるもどこにタクシースタンドがあるかわからん。ドライバーらしき人がいたけど言い値が20ドル。それは高過ぎるだろ。とネゴりにネゴるが、「OK Lets go」ってさっさと行ってしまう。ああ本で書いてあったな、せっかちな国民性って。せっかちすぎて値切れない(泣)。泣く泣く払う。帰りは10ドルだった。
ビザは100USドルをオフィスで指定された銀行口座に振り込み、証明写真1枚とパスポートのコピーを渡せば即日発行。


ミグ戦闘機
◎洞窟壁画 ラース・ゲール
ラース・ゲール(ラス・ケール、ソマリ語: Laas Geel, Laas Gaal)はソマリランド首都ハルゲイサの近郊農村地帯にある洞窟。紀元前5千年頃のものと見られる洞窟壁画がある。2002年に発見された。内部には新石器時代の壁画がある空間が約10ある。この洞窟壁画の保存状態の良さは、アフリカ全体でも有数のものであり、輪郭や着色もきれいに残っている。その絵は洞窟の天井に描かれており、当時の住民が手を伸ばして描いたものと思われる。もっとも多いのは、大きな角を持った牛の絵である。人が着飾られた牛を引いている絵もあり、牛の首には胸当てのようなものが付けられている。牛以外にも、飼い犬やキリンを表したと思われる絵もある。ラース・ゲールはソマリア語で「ラクダの水飲み場」を意味する。この壁画の存在はソマリ族の間では数世紀前から知られていたが、当時その情報が国際社会に伝わることはなかった。こちらは入るための許可証の取得に25USドル。そして、車とドライバー、念のための護衛さんの手配が130USドル。合計費用は155USドルです。


その前に小屋にあるゲストブックに名前を書く。色んな国から来てるようだ、USだったりスイスだったり、もちろん日本人も。世の中には物好きがたくさんいるもんだ、私だけじゃなくて。

まぁよくも残ってたもんだねぇ。
◎港とビーチの海の町 ベルベラ
ベルベラの町に着いた瞬間からアデン湾(世界一暑い国「ジブチ」も面している海)沿い特有の暑さと、カラッとした陽気にテンションが上がります。

ちょっとしたホテルに寄って昼ごはん。なぜかここで私がドライバーと護衛のメシ代まで払うことに。合計USD17って結構するなぁ。じゃあこれでチップってことにしておくか。



https://note.com/frontier_travel/n/n1bc5b91c73e8?magazine_key=mce10048eca4e
関連記事
-
-
シニアバックパッカーの旅 2014年8月9日~12日 平壌、開城、板門店(3)
◎金さんはアントニオ猪木さんの一団数十人が訪朝するので忙しいが、朝鮮国際旅行社の金哲日本部長から頼ま
-
-
シニアバックパッカーの旅 2022年5月18日 スイス・Geneva~アブダビ(~東京)
2022年5月17日深夜~18日朝 ジュネーヴ ジュネーブは、ガットウルグアイラウンド時代
-
-
シニアバックパッカーの旅 アフリカ大陸中南部旅行 2019年2月10日から27日まで ドバイ 旅の始まりはドバイ、次いでナイジェリア 国連加盟国119か国目 ラゴスのトランジット旅行 2019年2月11日
ワンワールドのマイレージが10万マイル
-
-
シニアバックパッカーの旅 2023年2月20日早朝トランジット ガボン(国連加盟国155か国目)
abidjan出発が一時間遅れの22時になった。十時間近く空港内に滞在。
-
-
シニアバックパッカーの旅 2018年3月18、19日 ⓭プエルトリコのサンファン
〇 18日早朝サンファンに向かう。ジェットブルーからの連絡で早朝便に切り替えた。事前調査をしておけば
-
-
シニアバックパッカーの旅 マラウィ 国連加盟国129か国目(150) 2019年2月23日~24日
どういうわけか、JNBとBLZの往復の分が、直接エアラインにはネットで予約が入りにくく、expe
-
-
シニアバックパッカーの旅 中東・バルカン旅行を終えて(まとめ・未定稿)
〇一人当たりGDP とりあえず訪問国の、2016年IMFと2015年国連の一人当たりの名目GDPの比
-
-
シニアバックバッカーへの道 JR東時代 1992年6月14日~27日 ブラジル(国連加盟国16か国目)
JR東出向中、視察候補地を聞かれ、ためらいもなくブラジルはマナオスと答えた。マナオスは、高校の地理の
-
-
シニアバックパッカーの旅 ⑥ 5月21日夜22日朝のヤンゴン市内観光
21日夜6時 ゴールデンロックからヤンゴンに戻る。途中でシェッタゴンバヤーが見れた。 ガイドさ
-
-
Eswatini / Swaziland (148) Mozambique (149) February 22, 23, 2019
I arrived at Esuatorini. The fact that the stamp