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🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2023年2月26日 エリトリア 国連加盟国161か国目 

公開日: : 最終更新日:2023/06/12 シニアバックパッカーの旅

アジスアベバ空港はアフリカのほぼ主要都市に路線があり、空港の混雑も半端ではない。未訪問国のジュウバ、バンギ、バマコ、ンジャナメ、ニメア、マラボ、ワガドゥーグー、コナクリ、フリータウン、モンロビアにも繋がっている。
夜間 トランジット乗客用に、長椅子が大量に用意されている。顔つきもアフリカ系が大半であり、大きな荷物を運んでいる女性は、年末の上野駅を思いださせる光景で、アフリカ全域がこれから高度経済成長に向かうことを予感させる。その一方で局所的な内戦が勃発して、難民を発生させているが、内戦などしていると周りに取り残されてしまうと、住民が気がつき出すであろう。
アスマラ到着、乗客にコケージャンはまばら、バックパッカーらしき西洋人女性達。東洋人はわたしだけ。スマホ片手にクリスタルホテルまで歩くつもりで、あるきだした。あまり暑くもなく、いい運動。途中タクシーが相乗りだけど10ドルでOKといわれ、乗り込んだ。
クリスタルホテル到着、オンラインで振り込みの人といわれ、オンラインが珍しいのかと思う。90ドルにしては、シャビーで、アメニティなし。wifiは劣悪。ただ、雰囲気は悪くない。アスマラのホテルは二万円超のものばかりだから、仕方がない。
世界遺産の街路を見学、五千歩。遠目には素晴らしい。しかしメンテが行き届かず、近くで見るとほころびが見られる。ただ石造りだから、日本の廃屋とは違う。メインストリートには、物乞い女性、多くが子連れである。
朝五時半ホテルの車が20ドルで空港まで。朝食は6:30からで、食べられない。ランチボックスもなし。空港で、予想通り電子チェックインは役に立たない。
 

ホテル周辺の動画

 
動画 街の様子
 
 

旅行準備資料

◎歴史

アスマラは1870年代までは小さな村であった。1880年代にエチオピアに併合されてからは、重要都市となり行政機関が置かれた。1900年にイタリア領エリトリアの首都となり、イタリア首相であったベニート・ムッソリーニが第2のローマ(ピッコラ・ローマ)を目指し、1920年〜1930年代にイタリアの新進気鋭の建築家達により奇抜なアール・デコ建築や未来派建築が多く建設された。1935年に第二次エチオピア戦争が始まると、イタリアによって軍備が強化されたが、第二次世界大戦開戦後の1941年に連合軍がエリトリアに侵攻・占領し、1952年までイギリスの軍政下に置かれることとなった。現在もイタリア時代に作られたヨーロッパ風の美しい街並みや、イタリア語の店名などが多く残っている。1952年から1962年までエチオピアと連邦制を布いたエリトリア国の首都だったが、1962年にエリトリア議会をエチオピア帝国の軍隊が取り囲み、エリトリアはエチオピアの一州であるエリトリア州となった。その後アスマラはエリトリア州の州都となった。エチオピアからの独立戦争の際、アスマラ空港は重要拠点となり武器や物資がここから流入した。その後エリトリア人民解放戦線(現在の民主正義人民戦線)によりアスマラは解放され、国民投票により1993年にアスマラは正式にエリトリアの首都となった。

◎ホテル

https://youtu.be/RjzbYhEvy-A

 

 

 

 

◎両替

エリトリアの国の通貨「ナクファ」は両替レート確認のアプリ「Currency」に登録されていない。エリトリアにはATMはない。クレジットカードは使えないので、USドルやユーロを忘れずに持参。エリトリアの通貨「ナクファ」をUSドルなどに両替することはできないにで、両替のしすぎには注意(街にも両替できる店はあります)。

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アスマラ( Asmara)は、エリトリアの首都である。標高約2300mの高地に位置する。主な生産品は織物、衣類、ビール、靴である。アスマラにはアスマラ国際空港があり、エリトリア第二の都市マッサワとはエリトリア鉄道で結ばれている。モダニズム建築のならぶ街並みが2017年に世界遺産リストに登録された。

エリトリア国は、アフリカの角と呼ばれるアフリカ大陸北東部にある国。首都はアスマラ。元々はエチオピア帝国の領土だった海岸部をイタリア王国が植民地政策によって分離させた地域であり、エリトリア独立戦争を経て1991年5月29日に独立を宣言。国際連合監視下の住民投票に基づき1993年5月24日に独立が承認された。その後も両国はエチオピア・エリトリア国境紛争を戦ったが、2018年7月8日に関係正常化の合意文書に調印した。内政面では独立以降、中国に留学して毛沢東思想や軍事知識を学んだイサイアス・アフェウェルキ大統領が実質的に率いる民主正義人民戦線の一党独裁制が続いている。「アフリカのシンガポール」というスローガンを掲げて、同国を手本にした国作りを進めているが、「アフリカの北朝鮮」と批判・揶揄されることが多い。周辺諸国との紛争や兵役、抑圧的な政治体制により大量の国民が国外に脱出して国際的な難民問題になっている

1998年から2000年にかけてエチオピア・エリトリア国境紛争が発生。エチオピアとの関係が再び悪化した。2010年代後半、エチオピアの首相にアビィ・アハメドが就任すると、和解の機運が高まり、2018年7月9日に首都アスマラにおいて、エチオピアのアビィ首相とエリトリアのイサイアス大統領が首脳会談を行い、2018年9月5日にはエリトリアの首都アスマラで、エリトリアとソマリア、エチオピアの3カ国による「包括協力協定」に署名。さらに同年9月16日、サウジアラビアの仲介によりエチオピアとの間で「ジッダ平和協定」に署名した。

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