台湾のこと
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最終更新日:2016/11/25
ジャパンナウ観光情報協会
台湾協会の理事高寛氏の話を聞いた。元三井物産台湾支店長を務めた方である。若い頃、中国語を教えてもらっていた郭先生の婚約者で東大の留学生に高さんという人がいたが、その方が日本に帰化するときに高田に変えたことを思い出してしまった。
台湾は1970年に、羽田から香港から回って入国した外国で、なつかしい所である。台湾を一周し、最南端のウーランピーまで行った。バシー海峡を望むところで、日本船が多く沈められた所として有名。今ではリゾート開発が進み観光地になっているそうだ。岬を鼻というのを認識したが、その後日本でも長崎鼻というを知り、日本語になっていることを知った。台南か台中か思い出せないが、旅行中に仲よくなった学生がいた。しかし政治向きの話を避けてほしいと懇願された。2.28事件の影響であった。国民党が台湾人、しかもインテリを大量虐殺した事件である。台北駅の裏側のドラゴンガーデンホテルを大学時代の先輩に紹介してもらい宿泊した。その神戸出身の先輩は、神戸新聞に勤務したが、勤務を止めてカンボジアかどこかで行方不明になってしまった。生きていれば、世の中に出てきたと思う。香港でメッシュのストッキングが売れているといって、日本でも売れると言っていたことを思い出す。マル公園で食べたカキ焼きのことは今でも思い出す。台北滞在中に知り合った林忠誠さんは、日本の早稲田大学にも留学し、一族には東大法科を出た者もいた。おばさんが宋美麗の秘書をしているとか言っていたが、本省人であった。夢は日本語で見るとっていた。林さんに連れられて映画を観た。反日スパイ映画と日本からの喜劇映画であった。上映前に国歌が流れ、観客が最敬礼していた記憶がある。思えば戒厳令下であった。
林さんは台北の発展で街路に名前が付けられたくらいの人だが、長女が生まれたばかりの頃狭い宿舎に奥さんと訪ねてきたことがあった。国土庁の審議官時代、末期がんであったと思うが、奥さんと訪日したおり、自分の部屋を案内し、見晴らしの良い霞が関を22階から見せてあげたのが最後である。このように親日の人が多い国であるが、日本人はそれに甘えているような気が当時からして仕方がなかった。日本の右翼に親台湾がいるのもおかしな話だと思っている。
台湾大空襲で2千人犠牲。でも、沖縄戦や朝鮮戦争のような地上戦を経験しなかったことが幸いしたのか、私はこれも親日的になった要素の一つではないかと思っている。
高氏の話では、尖閣は、日本統治時代台湾の港がある行政区(今のギーラン県)に含まれていたとのことである。従って、台湾はそれを根拠に領土を主張し、中国もそれによっている。日本はその前の琉球時代を根拠にしている。日本と台湾が漁業協定を締結した結果、台湾籍の漁船しか操業できなくなった。最近、香港や大陸の漁船が入ってこなくなった。結構なことである。石原元都知事は余計なことをしてくれたものである。
八田与一技師の話が出た。台湾の教科書にも載るくらいだから、立派な人であるが、どうも、貢献者は八田氏一人だけではなかったのだが、八田氏に収斂してしまった。名前を思い出せないがやはり若手技師がいたことが書かれた本を読んだ記憶がある。よくある話でもある。
金門馬祖の話になった。三回戦闘が行われ台湾側が勝利したようだ。その時に日本人の根本中将が、蒋介石の依頼を受けて密出国して参謀になったことを知った。ネットで見ると有名な話のようだ。悪名高き辻政信が中国大陸を無事通過できた話もそれに近いことなのだろう。それにしても蒋介石は不思議な人物である。毀誉褒貶はあろうが、これぐらい融通無碍な人物は日本のリーダーにはなかなか出てこない。むしろ組織の論理で動いてしまう。内乱状態の中国だから、いろんな人物がいておかしくなく、最終的には共産党が勝利したのである。民衆を味方につけなけれ場勝利はできなかった。国民党の敗残兵が台湾に来た時、民衆はそのレベルの低さに驚いた話も、高さんがしていた。逆の話は、北ベトナムがサイゴンを解放したときに、サイゴンの方が豊かであったことに驚愕した話も有名である。立場は180度違うのであるが。
朝鮮戦争が台湾経済の進展に大きく寄与したとの高さんの話であったが、日本経済においても、朝鮮戦争があってもなくても結果は同じであったという東大の産業経済学者も存在するくらいだから、検証が必要かも知れない。
鄧小平は客家出身で、失脚中も客家の支援を受けていた。リークァンユも協力し、経済特区構想が始まった。大陸中国は、毛沢東の方針で、省内で物流が完結していた。両岸貿易が始まり、商売は香港、製造は台湾が進出し、広域展開をした結果大陸を席巻した。現在でも中国の輸出企業のトップテンは、6社が台湾系である。赴任者は中国人であるから、帰国できないリスクがあり単身赴任。戸籍制度が事実上違うから、現地妻がいても重婚に該当せず、おおらかだったそうだ。
中国民衆は国を信用しない話も伝承されている。国は搾取する主体であるから、身内を信用する。華僑等も個人の付き合いを大事にすると言うことは、よく知られている。すでに勝海舟が同じことをいっている。清朝等中国の徴税制度等近年研究が進んでいるから、国が搾取する主体という見方はその内に見解が変更されるかもしれない。日本だって泣く子と地頭には勝てぬということわざがあったのだから。
台湾統治の話は朝鮮統治との比較で話題になる。台湾統治も最終的には持ち出しで終わったはずだ。帝国主義が見直される時代になっていたことと無縁ではない。しかし、日清戦争で、日本の国家予算の2倍の賠償金をせしめたのだからトータル黒字である。戦争は儲かるという概念を民衆に植え付けさせたものだから、日露戦争で米英にかったことにしてもらったため、賠償金をとれず、民衆が暴動を起こしてしまった。禍福はあざなえる縄である。清朝が負けたわけでなく、清朝の一部の勢力が日本に負けたのだが、欧米列強の進出が加速されてしまった。
原住民は、無文字社会だったので、耳がよいという話。無文字社会の文明がそれほど劣っていなかった話は、文化人類学の本で読んだことがある。日本の古事記も残せたくらいだから。
現在日本人観光客は160万人、台湾訪日客は270万人。日本の田舎にまで進出している。北海道がモノカルチャーのイメージで台湾人に受けた時代は遥かむかしのことである。
『「親日」台湾の幻想』 酒井亨 扶桑社新書 2010
p.168 フィリピンでは1930年代には米国統治の下で経済的に繁栄すると同時に、民主主義も導入され、独立も約束されていたのに、日本軍が侵略してめちゃめちゃにされたという恨みがあった。
p.169 ベトナムはフランス植民地支配下では、搾取だけでなく、インドシナの中心地域としてベトナム人を育成したり、サイゴンの街を建設したりしたのに対して、日本軍が入ってきたことで踏みにじられた。
日本の侵略軍が華人に対して行なったことよりも、中国政府が行なっていることのほうがもっとひどい」と云う認識が広まり、反日感情が弱まったのだ。もう一つの理由として、1990年代以降日本企業の進出や観光客が増大し、実際日本人と接触する機会が増えたが、現在の日本人はいずれも戦前の日本軍と対照的に、控えめで穏やかな人が多い姿を見て、改めて日本を見直すようになったからだ。
p.173 カストロやチェ・ゲバラら革命指導者たちが、かって米国と一戦交えたことがある日本に好意を持っているためだ。急場には日本庭園があり、昭和天皇が崩御した際にはカストロが率先して喪に服した
p.191 「アジア共同体」論にいたっては妄想というべきだろう。・・・・アジアというのはそれこそ欧州人が勝手につけた地理的な概念に過ぎず、欧州に匹敵するような文化的、歴史的な共通基盤があるわけではない。アジアで共通基盤があるとすれば、かろうじて東アジアの日本、南北朝鮮、中国、ベトナム、台湾を包摂する「漢字文化圏」くらいだろう
p.193 中国はしばしば過大評価される。特に日本人は日本のようにまとまりがあって、職務に忠実な人ばかりがいる状態を中国に勝手に投影するから、中国は経済的にも軍事的にもすごい国だと勘違いしてしまう。ところが中国は国民国家としてまとまりもなければ、中国人は口先で言っているほど愛国的でもない。
p.196 中国はこれまで日米同盟を否定したことはない。それどころか「日本軍国主義復活」に強い警戒をもつあまり、米国に日本を牽制してもらうという役割を期待している。・・・・社共が言うとおり、万が一日米安保条約が破棄された場合、どうなるか。現状では社共の力は弱く、保守派の声が圧倒的に大きいことを鑑みれば、社共両党が望むような「非武装中立」の方向へは進まず、保守派の主張どおりに日本単独重武装化が実現する恐れが十分にある。
p.200 おかしなことに、「平和憲法護持」を主張する日本のリベラル派や左派が、どういうわけか平和憲法の帰結として日本が世界で好感されている事実を認めようとしない。どうやら「日本を評価することが軍国主義につながる」と思い込んでいるかららしいのだ。
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