シニアバックパッカーの旅 2022年8月28日 インド最大の観光資源・ヒンドゥ教
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最終更新日:2023/05/24
シニアバックパッカーの旅
インド最大の観光資源はヒンドゥ教。海外客にとって最も刺激の強いもの、アトラクティヴなものが、訪問対象となる。カーストもイスラム教、仏教、シーク教との関係も、イギリス植民地支配も、全てヒンドゥ教に通じる。その場合のヒンドゥー教とは、インド人が理解しているものではなく、外国人が認識しているヒンドゥ教であり、観光ビジネスはそれが誤解であってもその誤解を活用して成り立っているものである。メディアも読者に迎合して、インド農村部のおぞましい事件をことさらのように取り上げる。しかし時間が経過すれば次第に冷静に事実が認識されるから、日常と非日常が接近し、刺激が少なくなるのである。
バングラディッシュとインド国境を流れるガンジス川では、人目を避け夜間に、双方から大量の家畜が船で運ばれることを、ダッカで旅行業者から聞かされた(本ブログ2013年5月参照)。インドからは牛が、バングラディッシュからは豚がである。インドでは豚は、バングラディッシュでは牛が、それぞれ食用になっており、タブー視されていないからである。時間はかかるかもしれないが、いずれ合理的な理由のない宗教上の教義はすたれるはずである。旧ソ連邦の時代、イスラム教徒は無理やり豚肉を食べさせられ、酒を飲まされ、女性はスカーフを被ることを禁止されたと伝えられ、それが影響して、現代では、イスラム教徒であっても、ハラル処理しないものが日常的に食されている。
https://jinryu.jp/blog/?p=28729
教科書によれば、古代のバラモン教は農耕牛を生贄にするので農民は仏教にシフトしたが、教義が難しく、ヒンドゥ教が普及。北から色白の支配階級アーリア人が侵入し、色黒の先住民を支配。その支配のため、ヒンドゥのカースト制度が活用された。支配階級にイスラム教が入ってくると、仏教も教義の整備等(大乗)仏教にウェイトを移して対抗したとある。
昔のカーストは、職業と共にあり、職業が変われば名前もかわり、流動的だったから、日本の士農工商と同じで、身分制度ではなかったようだ。しかし、イギリスはインド支配の道具としてカースト間対立を活用したので、職業変更もなくなりカースト間の対立が深まったとのこと。現代の差別ほイギリス支配前より激しいといわれる。インド以外の地域でのカースト差別は激しくない。
今回のインド旅行は二度目である。前回は高崎経済大学教授時代に、黄金のトライアングルを回った。我が家の近くにインド旅行専門店があったので、そこに頼んだ。インド航空ビジネス席を利用し、日本にいたことのあるインド人ガイド付きの一人旅であったから、贅沢な旅であった(本ブログ2009年1月参照)。バナラシに行く前に秋吉久美子主演の映画「深い河」を見たが、そのガンジス川に彼女が潜るシーンを見て、女優魂に感心したことを覚えている。今回はすべて自己手配のシニアバックパッカーの旅である。

事前知識
◎太平洋憲章の民族自決
ドイツとの戦争に備えるため 一九四一年にルーズベルトとチャーチルは大西洋憲章を締結した。その第三条で民族自決をうたっているものの、インド国民会議派の質問に、チャーチルはインドには適用されないと答えている。この憲章に対して植民地支配の否定と有色人種に対する人種差別撤廃を掲げ、日本が提唱したのが大東亜共同宣言であった。その日本も朝鮮独立運動は弾圧し続けていた。
ガンジーがノーベル賞を授与されなかったのは英国が反対であったからだとされる。大半の英国民もガンジーを好意的に見ない世論調査がでていた。第一次大戦では延べ百万のインド兵が繰り出された。その結果もあり一九三七年にはインド地方政府は全てインド人に委譲されていた。第二次世界大戦では植民地の意思を問うことなく戦争はできなくなっていた。
◎ 食事と衛生
観光の指南書には必ず食べ物の話が出てくるが、一人旅での食あたりは致命的であるから、機内食、ホテル食とマクドナルドに限定することが賢明である。水はペットボトルで購入。
◎カースト制度の理解 英国により社会体制が破壊されたため、昔であれば職、職位が変われば変化した「名字」が変化しなくなってしまい、各家系の仕来たりも変わらなくなった。
https://youtu.be/P8idvu5zJ8c
プラニク ヨゲンドラ · フォロー茨城県立土浦第一高等学校附属中学校の副校長(2023年4月校長就任予定)月インド人の方の名字でカーストがわかってしまうというのは本当ですか?名字を聞くことは失礼に当たりますか?
インドの社会制度はワルナ(会社でいうと部署)、ジャーティ(会社でいうと部署内の細かい職位)とゴートラ(血筋)の組み合わせになっている。ワルナとジャーティは適性によって変わることがあったので、それらが変わっても血筋が分かるようにゴートラを把握する。
名字は、ワルナとジャーティ、つまり職と職位の組み合わせ。基本的に子どもが8歳満から全寮制の学校に預けられ、先生が適性を確認し、職と名字を与えた。例えば、私の名字は今プラニクですが、ワルナはお坊さんで、ジャーティは聖典を読み聞かせするもの。この名字は18世紀に頂いたもので、その時から先祖が聖典を読み聞かせする職についたそうです。その前は別の職と名字だったそうです。
よって、インドの名字からワルナとジャーティが分かるようになっていますが、ゴートラな部分は本人に確認しないと分かりません。また、イギリス人によってインドの社会制度やインドの教育制度が壊されてしまい、19世紀半ば以降はワルナ・ジャーティ・名字が変わらなくなりました。その時についていた文字が、職が変わってもそのまま使われ続きました。例えば、私の会系ではもう3世代前から聖典を読み聞かせしていません。なので、昔の社会制度であれば、名字が変わるはずでした。
名字が変わらなくなったのと同時に、各家系のしきたりも変わらなくなりました。よって、私の家系では職が変わっても、昔もままのしきたりを継続しています。しきたりというと、言葉遣い、年中の儀式、切る衣装、食べるご飯などを指します。父は工場で働き、私は会社で働くようになっても、うちのご飯はお坊さんの家のご飯のままです。
イギリス人による社会分断によって改宗する人も多く、新時代の名字も誕生しました。あまり意味のない名字です。北インドではKumarなどの訳の分からない名字も多く使われています。このような名字の場合はワルナもジャーティも関係ないです。
さて、ご質問の後半ですが、人に名字を聴くのは大丈夫です。全く問題ありません。世の中や政治が騒ぐほど、ワルナ・ジャーティはタブーではありません。みなさんは自分の名字を誇りに思っています。
◎カースト制度 植民地支配の道具に使用
◎バラモン教、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教
農業に必要な牛をいけにえにするバラモン教きらい仏教が普及。しかし内容が複雑で底辺にはヒンドゥー教が普及。あわてて仏教も大乗仏教を創るが、そこへイスラム教が侵入、上流階級はイスラム教へ。
民間発生の開祖がいない多神教 ヒンドゥー教と神教の共通
◎ダーダーバーイー・ナオロージー Grand Old Man of India (インドの老偉人)
19世紀に英国に移住し、ロンドン郊外の選挙区で英国の国会議員に当選してなった「インドの老偉人」ダーダーバーイー・ナオロージとかもいます。
ナオロージ氏は英国統治のボンベイ地区(現ムンバイ)に1825年に裕福なゾロアスター教・インド人の家庭に生まれた。聡明な少年と言われ、ムンバイの名門エルフィンストーン大学より卒業し、「ボイス・オブ・インディア」(「インドの声」)等の地域新聞を創業し、20代の頃から地域の知識人として知られて行った。なお、ナオロージ氏はインド独立運動の早期運動家ともなって行き、インド国民協会等の初期独立グループの一員でもあった。ナオロージ氏のキャリアは成功し続け、英国白人教授しか雇わなかったエルフィンストーン大学の初のインド人教授(数学)を経て、1855年に貿易会社のパートナーとして、英国に移り住み、ロンドン郊外に住居を置いた。英国の植民地に生まれた人物は国籍は「英帝国国民」と言う扱いであったので、英国植民地に生まれたナオロージ氏は何の問題も無く英国に移住できた。ナオロージ氏は英国で「英国のインド統治は悪行であり、インドの富を英国が奪い取っている」と説いて、インド独立を支持する様に主に左翼思想の英国人に働きかけた。経済学や統計学を利用した合理的な論理は一部の英国人に強い支持を得て行き、1892年総選挙には僅か5票差で英国自由党の議員として当選した。アジア生まれの英国国会議員は二人目、インド人議員は初めてであった。英国国会議員としてはナオロージ氏はインド統治の摂取と帝国制度の悪影響について演説を頻繁に行い、帝国制度の改善等に尽力した。英国では大幅に「最も有名なインド人」となり、インド独立を認める事が正義と言う視点に支持を集めて行き、多くのリベラル思想の英国人より尊敬を集め、Grand Old Man of India (インドの老偉人)と知られて行った。
19世紀の多くの英国の知識人は「英国はインド統治を通して野蛮で発達の遅れていたインドに多大の投資を行って鉄道や近代的な工場を作り、効果的な政府や議会、教育をもたらし、インドを救ったも同然。感謝されるべきである」と主張していた。現代の一部の日本人が日韓併合に関して同趣旨の主張をしていることが想起される。この視点に猛烈な反論を行い、「英国のインド統治の本質は搾取であり、インドは独立を得られなければ発達できない」と言う理論的な主張を行い、大きな支持を得て行ったのがナオロージ氏である。
1901年に大変に英国社会やインドで影響力を及ぼした「Poverty and un-British Rule in India 」(貧困と非英国的なインド統治)と言う経済学視点よりどの様に富がインドから奪われ(Drain Theory)、英国へと搾取されていて、インド人が貧困に苦しまされているのかと言う本を書いた。インドの英国統治は搾取的であり、インドに鉄道や工場等を設立を始めとする多大な現地投資をしたりしていても、その利益は個人の英国在住のオーナーや貿易等を通してインドより搾り取られる様に設定されていて、インドの市民の貧困の原因となっていると言う「インド独立の大義名分・思想的必要性」を示した思想家を見られていった。その後インドへと帰国し、インド独立運動のリーダーとして活動を続け、インド独立運動の中心となっていく「インド国民会議」の議長を務め、91歳で1917年に亡くなった。現在ナオロージ氏はインドでは独立運動の父の様に見られていて、例えばガンディー等はナオロージ氏を「インドの父」と呼んでいた1892年の手紙が残されている。初期独立運動の最重要人物として「マハトマ・ガンジー」と並んでインド独立の立役者の一人としてインドでは尊敬を集め続ける。
トルコもインドもロシアのミサイル防衛システムS400を購入。NATO加盟国であってもトルコは制裁をかけられたが、インドは「制裁などできるない」と自信満々。
インドは周辺国には上から目線。そこに中国が入り込む。
文化大国
3億7千万人のベジタリアンが存在
◎ 英国植民地支配のメリット
主権意識、英語、法整備が進んだこと
◎ジプシーとコブラ
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