🌍🎒シニアバックパッカーのへ道 1980年 米国⑵ニューヨーク、⑶ワシントン ⑷バージニア州ウィリアムスバーグ、⑸イリノイ州シカゴ、⑹ハワイ州ホノルル
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最終更新日:2025/01/28
シニアバックパッカーの旅
1980年情報管理部内で、調査企画課から情報処理課に移動。日本電電公社からの出向者、松原(技術)、名和(事務)両氏に助けられ、下記文書を作成。その時の知識が、副政策計画官時代に、電気通信の自由化を巡る、運輸政策の樹立に役立った。NTTと国鉄の違いも感じた。いずれも、後年、観光学の博士論文を記述する際に大いに役にたった。
「情報化時代における交通産業 : INS時代への対応」運輸経済研究センター 1984年3月
https://rekion.dl.ndl.go.jp/pid/12063599
「生活と観光の情報化」観光文化第23号 財団法人日本交通公社 1980年9月5日

https://www.jinryu.jp/public/wp-content/uploads/2014/07/tourism_and_culture.pdf
コンピュータと交通 1980年10月22日

https://www.jinryu.jp/public/wp-content/uploads/2014/07/transportation_and_computer.pdf
情報処理課時代に、初めての公務出張、公用旅券をもらった。同時に外務省併任となる。しかし、外交旅券なら海外では治外法権の効果があるが、公用旅券では治外法権はない。併任発令により、外務省が他省庁からの出張者を公的にコントロールできる手段になるが、実際は実効性は乏しく、大蔵省の通貨外交などは全く情報から遮断状態であったように思える。日本が経済大国になる前は、国際的に数少ない発言力のある分野に造船があり、外務省プロパーの役人がOECD等で口を出したがったという話を船舶技官から聞いたことがあった。他省庁からの出向外交官が出身省庁からの公務に協力する際に、空港の出迎え、宿の手配等の路地を行う。あちこち案内もする。特に出身省庁の大臣が訪問する場合は、一世一代の晴れ舞台にもなり、接遇に工夫を凝らしたはず。総理候補者等の大物の大臣ともなると、大使が直接接遇を行う。
ワシントン、ウィリアムスバーグ(ヴァージニア州)
私の場合は、ワシントンでは運輸省から大使館に出向している書記官が自宅に泊めてくれた。ホテルは治安が悪いからだという。宿泊していた宿ではドアも明けるなと言われていた。出張目的は、米国運輸省関連団体との航空貨物の情報化の相談。JALの職員に通訳してもらう。休日を利用した書記官のヴァージニア州ウィリアムスバーグ行の家族旅行に連れて行ってもらう。昭和天皇がいかれたことで有名な場所。勿論ワシントンでは、ホワイトハウス等主要施設は、書記官夫人が案内してくれた。ジョージタウンでのソフトクラブシェルはおいしかった。出向者の家族には小さな女の子がおり、子守として若い日本人女性が同居していた。オペアガールというらしい。個人で雇用しているようだが、その費用は十分い賄えるくらいの家族手当てが支払われているから可能なのであろう。奥さんも外交の仕事があるから、子守も必要であろう。大使クラスになると、公用で料理人を雇用できるのも、外交として必要なことであろう。
ニューヨーク
ニューヨークの治安は最悪の時代で、マンハッタンの北側半分にはいかないように言われていた。タクシーの運転手に、町が汚いと言ったら、もっと汚くできるといわれた。それでも、ウィンドウショッピングをし、土産探しをした。日本では、まだヘアヌードが解禁されていない時代なので、プレイボーイ、ペントハウスを立ち読みし、無修正版を見た時代でもある。観光資源とは、差異、違いにあるのである。
ニューヨークではJNTOには予算が少ないのか、JNTO出向の先輩は愚痴をこぼしていた。確かに、出張者に羽振りよくご馳走ができないのは、残念であろう。ニューヨーク領事館出向者は、ブロードウェイに連れて行ってくれ、食事にミュージカルとお世話になったから、その差は感じている。後年、ESCAP会議の参加時、外務省本省からきていたロジ専門の責任者は、マスコミ対策を含め自由の予算が使えるようで、一緒にいてそれは豪勢な使いぶりであった。真偽のほどはわからないが、タイのテレビに出ている女優でも席に呼ぶことができると豪語していた。ロジの予算は外務省機密費として整理されており、一部は官邸機密費にも流れているという。、その後、競馬、愛人と外務省のロジ関係者の汚職が摘発されたから、改善されているとは思う。機密費というのは戦前の軍隊関係の歴史書にも登場しており、父親も時折話していた。当番兵が経理処理していたようであり、当番兵の腕が確かめられたのであろう。
ニューヨークではJALの方の勧めでコーチのハンドバックを家内用に土産として購入。自分用にはporoのブレザーを購入。
(参考)当時のNYの地下鉄の事を記述した記事
1982年頃ですからざっくり40年前。NYCが未だ世界有数の犯罪都市だった頃。当時中西部の片田舎に住んでいた私は友人数名とその場のノリで真冬のNYCを目指し東へと向かいました。その時の珍道中の模様はまた機会があればお話します。
滞在中に一回だけ地下鉄を利用しました。薄れゆく記憶を辿ってみます。
- 駅構内に立ち込める小便の臭い
- 神経を尖らせながら待つなかなかやって来ない電車
- グラフィティの重ね描きで汚いだけの車体
- 「甘臭い」としか表現しようのない車内の危険な臭い
- 背筋をピンと伸ばし神妙な顔で一言も喋らない乗客達
- 神経を逆撫でするブレーキの金属音。合間に聞こえる男の悲鳴
何とか目的地に辿り着いた私は、もう2度と乗らないと心に誓いました。
正にこんな具合でした。
画像: Time Magazine Archives
その後、ジュリアーニ元市長の尽力でクリーンになったNYCにも幾度となく訪れましたが、再び地下鉄に乗ることはありませんでした。
ハワイ ホノルル
帰りにシカゴ空港経由でホノルルへ。ダイヤモンドヘッド、アラモアナ海岸などへいってみたが、退屈なので、一日早めて帰国。当時の出張はフルフェアで支払っており、正規の航空運賃を取り扱えるメリットがあるのか、旅行会社は、成田送迎のハイヤーサービスまで提供してくれた。
ハワイ州の観光統計は、世界最高水準にあると言え、研究者としては宝の山である。いまなら、ハワイ州政府に調査に行きたいくらいである。
https://www.jinryu.jp/public/wp-content/uploads/2014/07/transportation_and_computer.pdf
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