🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2022年4月23~24日 塔の街 サンジミニャーノ
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最終更新日:2023/06/12
シニアバックパッカーの旅, 海外観光
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◎事前調査資料 サンジミニャーノは一周遅れのトップランナー
標高324mの丘の上にあり、中世には多くの塔が造られたことから「塔の街」と呼ばれた。サン・ジミニャーノは、フランチジェナ街道(ローマへの巡礼路)とピサ―フィレンツェ間を結ぶピサーナ街道が交差する交通の要衝。9~12世紀にかけては、当時、染め物の材料として重宝されたサフランの生産と交易で発展。町には塔が林立。現存するのは14本、13世紀には72本の塔。塔は貴族たちが派閥闘争から身を守るために建てた。塔の上に見張りを置き、敵が邸を襲ってくると、その頭上から石を落したり、熱湯をまいたりして追い払ったと言われている。塔は富と権力の象徴となり、貴族たちは次々に豪華な塔を築き、高さを競い合うようになった。その競争があまりにも激化したため、1311年、町の当局は町の中央にあるポポロ宮に高さ54mのグロッサの塔を建て、これより高い塔の建設を禁じた。それ以前に建てられていた塔も、54mを超えるものは低くしなければならなくなった。14世紀半ばのペストの流行で町は衰退、さらに教皇派と皇帝派の対立から内乱が勃発し、街は衰退しフィレンツェ共和国に組み込まれた。以後、他の街が塔などを解体し新しい街並みを整えたのに対し、サン・ジミニャーノはあまりに衰えたため再開発さえなされませんでした。が、このことで中世の街並みがそのまま保存されることとなり、現代に伝えられることとなった。この一周遅れのトップランナー現象は観光資源の世界ではたびたび発生することである。
Poggibonsi Fs
バス停から宿
宿から広場
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