グアム・沖縄の戦跡観光論:『グアムと日本人』山口誠 岩波新書2007年を読んで考えること
沖縄にしろ、グアム・サイパンにしろ、その地理的関係から軍事拠点としての重要性が現代社会においては認められる(サイパン陥落は東條内閣辞職原因になったくらいであり、沖縄基地問題は現在でも日米関係の歴代内閣の重要課題である)。航空交通の要所であるから、人流の要所でもあり、観光地しての優位性も有する。戦略拠点は観光拠点にもなるのは人流の視点からすれば当然交通の要所となり、移動させるモティベーションが高ければ観光地になるのである。
軍事拠点であることから、日米戦争においては激しい攻防が繰り広げられた。平和が回復した後、生き残った戦闘の当事者や家族が訪問する事から始まった人流(いわゆる慰霊「観光」)が、航空交通の要所であるところから、直行便も整備されリゾート観光とともに、当事者ではない学生を対象とした「修学旅行」の目的地にもなった。
本書は「戦争を埋め立てた楽園」というサブタイトルが著者の執筆姿勢をあらわしている。しかしながら、本文中の用語「観光」の使用方法については、予想通り私には満足の行くものではなかった。観光概念を展開するための著作ではないから当然でもある。慰霊「観光」なる用語の登場がその代表例である。慰霊に重きを置く立場の人からは、かつて文化観光都市に反発した梅棹忠夫流に言えば、「慰霊と観光を一緒にしてもらっては困る」と言うことになる。そこには観光は表面的な行動であり、遊びであるという考え方があるからである。
沖縄もグアム・サイパンも、島嶼部であり長くそこに暮らしてきた人々が存在する。高媛氏のゲストホスト論(*)を拡大すれば、グアム・サイパンのホストはチャモロ人であり、本書もその視点での記述も含まれている。拡大するというのは、中国においてはチャモロ人に当たる「満州民族」も中国人としてのホスト集団に含まれるからであり、その意味では不十分ながらチャモロ人はアメリカ人に含まれてしまうからである。いずれにしろ拡大したホストゲスト論で言えばゲストの位置づけになるアメリカ人及び日本人の立場からすると、1966年当時、慰霊碑設置をめぐり、両者は大きく立場がかい離していたことが紹介されている。日本人の建立しようとした慰霊碑に対して、当時、アメリカ在郷軍人会から強い異論が出されたからである。
その一方で、アメリカ合衆国において経済的に取り残されていたチャモロ人自身は、ホストゲスト論的視点よりも、純粋にリゾート開発的視点で日本人観光客の誘致を考えていたのである。
当時話題になった横井庄一氏(*)が28年もグアムのジャングルに潜伏した理由も理解できる。つまり、戦闘行為はもとより、日本人、アメリカ人、現地人の間で戦争法規とは別次元の殺戮も行われたことの影響である。その刺激性も当事者がいなくなることにより弱くなる。また、日中歴史認識のような現代からみての対立状況も存在しなくなったことから、慰霊碑を観光資源とする日本人も大幅に減少してしまった。本書はそのことに対する警告を発している。その場合においての「観光」の使用法に不十分な点があるのである。
なお、アメリカからは直行便がないことも地理経済的には当然であろう。アメリカ人には珍しくもないリゾート地であり、米軍の基地の島なのである。現在では日本からの直行便も最盛期ほどの勢いはなく、台湾、韓国からの直行便が増加している。中国人等からすれば、戦跡の意味も異なるものである。
観光・人流を考える視点では、対立が強ければその資源価値が高くなるのであるが、沖縄もグアムサイパンも現在では、それ以上にリゾート地としても価値が高くなってしまった。従って、ひめゆりの塔をめぐる修学旅行問題(*)も発生するのであろうが、観光・人流を論じる視点においては、刺激性が薄れるものであれば当然の帰結でもある。
観光・人流を発生させる元となる刺激を与えるガイドブックも、本書では日本人用とそれ以外での違いを分析している。この点は研究手法として参考になる。戦跡に関する記述があるガイドブックを読んでくる観光客と、そうではないガイドブックを読んでくる観光客では、見えるものが違うという記述は、その通りであるが、グアムに限るものもなく、また戦跡に限定されるものでもない。しかしガイドブックを情報源とする観光から、インターネット、スマホにより情報を得る観光になれば、観光客自身の選択による部分が大きくなる。その場合には、検索のアルゴリズムが問題となる。そのためにも強い刺激性のあるものが求められ、戦争等死者数の多いものの刺激が強いのであろう。
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