🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2022年9月8~9日 アムリットサル
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最終更新日:2023/06/12
シニアバックパッカーの旅
アルバム
https://photos.google.com/album/AF1QipNqUTxzB_GA0_zx-fccUzWBVG95WykBtS3xOIvd
九月八日アムリトサル朝の散歩。シーク教徒の黄金寺院と英国アムリトサル逆殺事件記念碑に行く。寺院に入るにはターバンが必要、現地に沢山ある。最初の入口では、ニカボカは駄目といわれた。帰りに別の入口もあり、試しに入ると大丈夫だった。ポケットからイスラム教の帽子と取り替えている人もいた。
現地の正式な名前は何度聞いてもすぐわすれる。勝手に、英国アムリトサル大虐殺記念公園と呼んでいる。実名が刻まれている英国人准将が、警告なしに機銃発射をネパール人グルカ兵に命じ、四百人近い死者が出た。これ以降独立派が勢いを増したようだ。
https://photos.google.com/album/AF1QipNqUTxzB_GA0_zx-fccUzWBVG95WykBtS3xOIvd
九月八日午後、パキスタンの旅行情報が少なく、両替情報は得られなかった。パキスタン用にATMから一万ルピーを引き出したが、インドルピーどころかパキスタンルピーへは、どの両替商でもできないとことわられ、米ドル120ドルに両替した。
アムリトサルからワガまではオート三輪タクシーで1200。朝の散歩途中で声を掛けてきた運転手に予約し、送ってもらった。CIQゾーンでは人をあまり見かけなかった。通常の陸上国境では、トラックが列をなし、賑わいがあるのだが、さみしい雰囲気。私がパキスタンに入国したのは、午後一時、イミグレバスの乗客は五人。
国境閉鎖式は賑わいのある時の雰囲気はYouTubeでみることができるが、この人流では信じられないほどさみしいだろう。施設も明らかにインド側が立派。白線が引いてある国境をまたぎ、写真撮影。他は撮影禁止と厳しい雰囲気だが、ここだけはれいがいみたいだ。
ワガ国境で見ていると、事前にはないといわれていたが、一台ATMを見かけた。パキスタン側に入ると、CIQゾーンに、違法両替人が三人組でたむろ。これだけで完全に後進国。しきりにドルを欲しがる。インドルピーもパキスタンルピーにかえられるというが、足元を見るだろう。百ドルが22000パキスタンルピー。イミグレでタクシー料金を聞いたら、最高3000という。
パンジャーブ州に属する。人口は約100万人。アムリットサル、アムリッツァー(英語読み)とも表記される。 またサンスクリット語で「生命の水の貯水池」という意味がある。約50キロ西にパキスタンのラホールが位置
16世紀後半にシク教の信徒によって建てられた街である。1604年、スィク教の総本山であるハリマンディル・サーヒブ (Harmandir Sahib) が建てられた(19世紀初頭に屋根が金箔で覆われたことから、現在はゴールデン・テンプルまたは黄金寺院という通称が定着している)。
植民地時代の1919年には、逮捕令状なしでの破壊活動容疑者の逮捕・投獄を認めたローラット法に抗議する大暴動が発生して、インド軍の治安部隊が投入された。その直後、非武装の抗議集会が開かれたが、インド軍が発砲し、多くの市民が殺害された。この事件はアムリトサル事件、アムリトサル虐殺事件などと称される。ジャリアンワーラー庭園
戦後、インディラ・ガンディー首相がスィク教徒の反政府勢力に対して強硬策をとった結果、ハリマンディル・サーヒブに立てこもった1000人以上のスィク教徒を武力鎮圧した(ブルースター作戦。黄金寺院事件ともいう)。この時の死傷者は数百人にものぼった。これに対する報復として、スィク教徒のボディガードらによってインディラ・ガンディー首相はまもなく暗殺された。
◎シーク教
16世紀にグル・ナーナクがインドで始めた宗教。スィクはサンスクリット語の「シシュヤ」に由来する語で、弟子を意味する。それにより教徒達はグル・ナーナクの弟子であることを表明している(グルとは導師または聖者という意味である)。世界で5番目に信者の多い宗教で、約2400万人の信者がいる。印僑として欧米諸国や東南アジアで暮らすシク教徒も多い。少数だが、日本にもコミュニティが存在する。
シク教の最終目標は、輪廻転生による再生を繰り返した末に、神と合一するムクティである。ムクティに至れるかどうかは他人への奉仕とグルの恩寵にかかっており、ムクティと個人の性やカーストは無関係とされている。人の一生を精神の超越への行程と考えるヒンドゥー教に対し、自分の事ばかり考える人間は5つの煩悩(傲慢、欲望、貪欲、憤怒、執着)に負けてしまうため、真のシク教徒は一生を常にグルに向け、神を真実の師(サット・グル)として仰ぐ。
教祖ナーナクが他宗教の影響をどれだけ受けたかという問題は、現在に至るまで議論が続いている。ナーナクはヒンドゥー教と同様に輪廻転生を肯定しているが、カーストは完全否定している。これにはイスラームの影響もあると考えられている。
◎ダラムサラ
https://atsushiyoshida.com/amritsartolahore2019/
ダラムサラはインドのヒマーチャル・プラデーシュ州にある都市ダラムシャーラーの一角にあるチベット亡命社会の中心地。亡命チベット人の多数が暮らす「マックロード・ガンジ(McLeod Ganj)」地区と、チベット亡命政府の官庁がたちならぶ「カンチェン・キション(Gangchen Kyishong)」地区からなる。
チベット亡命政府の駐日代表機関である「ダライラマ法王日本代表部事務所」は日本語版Webサイトで「ダラムサラ」というカナ表記を使用、チベット亡命社会の中心地としてこの町を知る人々を中心に、日本ではダラムサラという表記がひろく用いられている。
中国人民解放軍がチベットを軍事制圧したチベット動乱によって、1959年3月にラサを追われたダライラマ14世に対し、インド政府はダラムシャーラーの一角にあった避暑地「マックロード・ガンジ」の地を提供し、1960年に当地でチベット亡命政府が発足した。ダラムシャーラーはヒンドゥー教と仏教が盛んな土地で、19世紀にはチベット人による僧院の建立がはじまっていた。数万のチベット難民も当地に移住した。ダライ・ラマの宮殿はマクロード・ガンジ、カシャク(内閣)、議会をはじめ、チベット亡命政府の各種官庁はカンチェン・キションに築かれた。
マクロード・ガンジはダラムシャーラーの郊外の標高2,082mの山間にある。マクロード・ガンジ地区の人口はおよそ6万人。マクロード・ガンジという名はイギリス領インド帝国のパンジャーブ州の州準知事であったドナルド・マクロード(Donald Friell McLeod)にちなんでいる。
旅行記 https://4travel.jp/travelogue/11558427
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