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動画で見る世界人流・観光施策風土記 アセアン・インド編  2022年9月9日(153か国目185地域)パキスタン ラホール

公開日: : 最終更新日:2022/09/16 海外旅行感想, 海外観光

九月八日午後、パキスタンの旅行情報が少なく、両替情報は得られなかった。パキスタン用にATMから一万ルピーを引き出したが、インドルピーどころかパキスタンルピーへは、どの両替商でもできないとことわられ、米ドル120ドルに両替した。

https://photos.google.com/album/AF1QipOAmBgC-svjcpzYmCmG2NNIgCtkxD6ECsRsaYkc

アムリトサルからワガまではオート三輪タクシーで1200。朝の散歩途中で声を掛けてきた運転手に予約し、送ってもらった。CIQゾーンでは人をあまり見かけなかった。通常の陸上国境では、トラックが列をなし、賑わいがあるのだが、さみしい雰囲気。私がパキスタンに入国したのは、午後一時、イミグレバスの乗客は五人。

国境閉鎖式は賑わいのある時の雰囲気はYouTubeでみることができるが、この人流では信じられないほどさみしいだろう。施設も明らかにインド側が立派。白線が引いてある国境をまたぎ、写真撮影。他は撮影禁止と厳しい雰囲気だが、ここだけはれいがいみたいだ。

ワガ国境で見ていると、事前にはないといわれていたが、一台ATMを見かけた。パキスタン側に入ると、CIQゾーンに、違法両替人が三人組でたむろ。これだけで完全に後進国。しきりにドルを欲しがる。インドルピーもパキスタンルピーにかえられるというが、足元を見るだろう。百ドルが22000パキスタンルピー。イミグレでタクシー料金を聞いたら、最高3000という。

タクシー運転手にラホール塞などを周り空港まで10000で合意。外国人がすくないのか、やたらと声をかけてくる。道中パキスタンの大洪水を連想させる濁流をみる。踏切番の操作も懐かしい。世界遺産のシャラマル公園は300ルピー、ラホール塞は中に入れずで外から写真、ジャハーンビル廟は外国人500で地元20。ラホールは、街の勢いはあるが、インドほどの勢いは感じられない。

空港に五時に到着。少し早いがラウンジで休憩したいところ、チェックインが始まらないと中にいれないといわれた。イミグレーションでは電子搭乗券を取り扱わないので、チェックインカウンターで紙を発券してもらった。両替があったので最後の10000パキスタンルピーを出すと、米ドルは駄目、ユーロもないというのでポンド30にかえる。出国時に両替ができるならあまり考える必要はなかったのだ。

計画作成時、ラホールから日帰りでハラッパー遺跡旅行も調べたが、情報が少なく現地のホテルなどで判断しようと思っていたが、結果的に欠航もあり時間的に無理だったのだ。空港には充電設備もなく、wifiもない。逆に客引きはやたらと多いので、疲労感が出てしまう。

ラホールから東行きは、ドバイ、イスタンブールなど複数あるが、西行きはこのバンコク行きだけなので、深夜便でも大混雑。タイ航空なので、機内食が出た。





◎アフガニスタン国境 デュアランドライン

デュアランド・ライン(Durand Line)とは、およそ2,640kmに及ぶパキスタンとアフガニスタンの国境線である。デュアランド線デュランド・ラインと表記されることもある。

デュアランド・ラインは1893年にイギリス領インド帝国の外相であったモーティマー・デュアランド(英語版)(Mortimer Durand)とアフガニスタン国王のアブドゥッラフマーン・ハーンの間で調印されたデュアランド・ライン条約の結果、生まれたもので、この地域での大英帝国の勢力圏を示すものであった。 この条約の結果、この地域に領土的野心のあったイギリスとロシア帝国の間で争われてきたグレート・ゲームの緩衝地帯が作られたことになり、両国の利権の範囲が決定した。

今日ではアフガニスタンとパキスタン(カイバル・パクトゥンクワ州、バローチスターン州)との国境を成している。

この地はアレクサンドロス3世の時代からパシュトゥーン人が生活していた地帯であった。7世紀、アラブ人が侵攻し、パシュトゥーン人にイスラム教をもたらした。10世紀、パシュトゥーン人の生活圏はガズナ朝の治めるところとなり、ゴール朝、ティムール朝、ムガル帝国、ドゥッラーニー朝と支配者が入れ替わっていった。

1839年、第一次アフガン戦争が始めるとイギリス領インド帝国軍はこの地に侵攻した。1842年、英領インド軍は大虐殺されて戦火は終了した。しかし、再度、1878年の第二次アフガン戦争で英領インド軍はパシュトゥーン人居住地域に進軍、またしても敗北を喫し撤退を余儀なくされた。そこでモーティマー・デュアランドは1893年にカーブルに赴き、アフガニスタンとロシアの支配権を明確に区分するための領土交渉を行った。その結果、アブドゥッラフマーン・ハーンの間にデュアランド・ライン条約を結ぶことに成功する。それによって、イギリス領インド帝国は現在のパキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州や連邦直轄部族地域などをアフガニスタンから獲得、さらにパシュトゥーン人が千年にわたって生活してきたムルターンやバハーワルプールを領土に加えることに成功した。これらはその後、1970年までにパキスタンのパンジャーブ州に編入されることになる。デュアランドライン条約は英文でだけ書かれ、アブドゥッラフマーン・ハーンは英明な国王であったが英語が読めなかった。

パキスタンは1947年のインドからの分離独立以降、デュアランド・ライン条約を継承したが、アフガニスタンとの公的な国境線の合意は現在でもない。1893年に締結されたデュアランド・ライン条約は100年をもって1993年に失効したという主張がある。同時にデュアランド・ライン条約には条約の効力期間を示す文言はない、という主張もある。アメリカ国務省や英国外務省もデュアランド・ライン条約には失効はない、という立場を公的に表明している。

パシュトゥーン人の居住圏がデュアランド・ラインで寸断されており、アフガニスタンのロヤ・ジルガは1949年に一方的にデュアランド・ラインの無効を宣言した。1947年にパキスタン独立をもって英領インドの実体は消滅した、という考えからであった。しかし新しい主権国家は独立前と同じ領土を継承する、という国際法の観点から、パキスタンとの合意なしにデュアランド・ラインの無効・変更はあり得ない状況である。

パシュトゥーン人の分断は、パキスタン・アフガニスタンの二国間関係の緊張要因となっており、両国で議席を持つパシュトゥーン人議員はデュアランド・ラインの廃止を求めている。現状はパシュトゥーン人は両国の入管に管理されることなく国境を往来している。

またパキスタン軍は、過去数十年にわたって、デュアランド・ラインのアフガニスタン側に入った数キロの地点に軍事拠点を設け、両国の武力衝突は絶えない。2002年、アメリカの特殊部隊がデュアランド・ラインのアフガニスタン側数十キロの地点に派遣され、2009年からはアメリカ軍とNATO軍がアフガニスタン側からパキスタン勢力と戦火を交えている。

デュアランド・ラインは現在、世界で最も危険な地域となっている。

◎パルチスタン 

バルチスタンはパキスタン国土の4割を占めるが人口は5%に過ぎない。しかしバルチスタンは石炭、天然ガス、クロムなど豊富な資源に恵まれており、バルチスタンのバルーチ人はパキスタンと中国に富を収奪されているという意識を持っている。

1973年にイスラマバードのイラク大使館をパキスタン軍と警察が襲撃して武器が押収される事件が起き、イラクとソビエト連邦とインドはイランやパキスタンの領内で活動するバルーチスターン解放軍などのバルーチ民族主義(英語版)運動に援助を行ってるとパキスタン政府から非難された

電子ビザあり https://ja.ivisa.com/pakistan-visa

◎ワガ国境

ワガ国境  ラホールから東へ1時間。インドとの国境ワガでは毎日、日没時に両国の国旗を降ろす「フラッグ・セレモニー」が行われます。 両国民が観客席からそれぞれの国を称える言葉を叫びます。さながら国境での応援合戦。パキスタンでは観客は男女別に観客席に入ります。ワーガ(Wagah)は、インドとパキスタンとの間の陸路国境で唯一開かれている検問所であり、大幹道上の、インドのアムリトサルとパキスタンのラホールとの間にある。ワーガそのものは小さな村であり、両国が分離・独立した1947年に、新たに国境となったラドクリフ線(英語版)によって2つに分断された。村の東半分はインドに、西半分はパキスタンに属している。ワーガの国境は、よく「アジアのベルリンの壁」と呼ばれ、毎日夕刻になると「我が国旗の降納」と呼ばれる儀礼が行われるインド=パキスタン国境の一部分である[2]。儀礼時には、インド国境警備隊(英語版)(B.S.F.)と、パキスタン・レンジャーズ(英語版)所属の兵士による、力強くスリリングなパレードが行われる。儀礼は攻撃的で、よそ者から見れば敵対的とすら映るが、国境の両側に観客席を設けて、集まってくる群衆に見せるためのエンターテイメントである。両国の兵士らは色鮮やかなターバンと制服を身にまとい、痛快なショーを披露する。両国の係員は、普段は日常的に発生する問題の処理のために、相手国の事務所を訪れることは普通に行われている。長年にわたって、この国境で起こってきた出来事の数々は、インドとパキスタンの関係を象徴するバロメーターであり続けている。ラホールとデリーとを結ぶ鉄道を通るサムジャウタ急行は、ワーガから5キロメートルのところにあるインド側の終端駅であるアッタリ(英語版)から、ワーガの国境を通過していく。インドの道路、ナショナル・ハイウェー1号線はここを起点としており、インド・パキスタン関係の改善によって、パンジャーブ地域ではアムリトサルとラホールとの間では2004年からデリー=ラホール・バス(英語版)が運行されている

IST・KHI 往復38000円 片道120000円 夜間便でデイリー BOMからも同じ2万円の金額でエアアラビアが飛ばしているが、シャールジャ経由であり、時間がかかる。トルコ、イラン等のと組み合わせの中で考えることも考慮。
KHI・DXB  片道16000円(flydubai)、往復30000万円(エミレーツ)  ISB・DXB 片道26000円(エミレーツ)往復40000万(エミレーツ)

◎ラホール

KHI・LHE(ラホール)はSerena Airで片道7000円2時間の旅行記 https://4travel.jp/travelogue/10809501 

パンジャーブ州の州都にしてパキスタン第2の都市。ラホールの語源は「loha(鉄)」で、古代鉄壁な防御を誇る町があったと言われている。中世にはアフガニスタンのガズニ朝の都となった。 16世紀にはムガル朝の都として繁栄し、この時代に建てられた壮大な建築物バードシャヒー・モスクやラホール・フォートが今も残されている。 現在ラホールはパキスタンの文化・芸術の中心地。 インドとの国境へも車で約1時間。両国の「雪解け」を感じる町。

シャーリマール庭園
バードシャヒー・モスク
ラホール・フォート

◎鉄道

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