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モンゴル紀行 ハルハ川戦争のことなどの戦跡観光資源

公開日: : 最終更新日:2017/09/07 戦跡観光, 海外旅行感想, 海外観光

中国とロシア
 たった二週間のモンゴル旅行でも、ソ連と中国の影響をいたるところで感じた。大学時代第二外国語にロシア語を専攻した私にはキリル文字は抵抗がなったが、モンゴル国民にとっては大変な文化的影響であったろう。日本で言えば漢字のようなものである。江戸時代が終わるまで公用語は漢文であった。漢文が理解できなければ社会の指導者になれなかったのだ。外モンゴルが清朝の支配下に入った時代の中国の思い出が残っており、反中国感情も残っているが、最盛期にはハバロフスクやバイカル湖等のシベリア地区も中国であった。それが帝政ロシアに侵略されていった結果が今日の国境である。1911年辛亥革命に乗じ独立宣言をしたが、ロシア中国の圧力で取り消され中国宗主権のもと自治領化された。三国干渉以上である。ロシア革命の影響をうけて、赤軍、白軍、中国軍乱れて侵略してくるが、1921年ソ連赤軍の援助で人民政府が樹立され、活仏がなくなると1924年に共和政になった。中国の商業者が中心となって築いた街インフレ―がウランバートル(赤い英雄)になった。その後のスターリンの社会主義時代、指導者のゲンデンも1936年に粛清されたが、その事実は資本主義化後判明したそうだ。そのため、遺族が政治粛清祈念博物館を設立している。ノモンハン事件で仮に満州国の主張が通っていれば、争いがあった地域は、今は内モンゴル自治区として中国の領土になっていただろうから、現在のモンゴル国が存立するのは、19世紀帝政ロシアやソ連の進出のおかげかもしれない。対抗上清朝は内モンゴルに漢人農民の移住を黙認するようになったようだ。その結果今日の自治領下になった。人流の歴史である。
 
ノモンハン事件
 モンゴル人横綱の活躍でモンゴルは親日的と思われているが、ガイドブックでは必ずしもそうではない。1939年のノモンハン事件(天皇の了解を得ていないので戦争にはできない)、モンゴルではハルハ川戦争により、反日親ソ連感情が起こった。ジーコフ将軍が英雄視されている。地名として有名になったので、中国では日本人観光客用に「諾門穽(ノモンハン)」と表記している。
 清代までは、モンゴル族として部族生活をしていたのに、ロシア革命後の外モンゴル独立で突如として内外の蒙古に分断され、双方とも完全な監視社会だった1930年のモンゴリア。日ソの勢力圏に分断された2つのモンゴル族は満州国との交流を渇望していた。ノモンハン事件で争われた領土の画定交渉でも、これを機に両蒙古で交流の手がかりとし、話し合って解決しようとした。しかし、双方のモンゴル人代表はスパイ罪で処刑され、日ソの強硬策に否応なく従わされてしまった。『ノモンハン戦争』モンゴルと満州国 田中克彦著岩波新書にくわしく書かれている。
 日本は、日露戦争の白兵戦術が成功した。その後日本軍事政策に変更がなかったことに比べ、ソ連は機械化、重装備化を進めた。満州国成立後の初期の武力紛争では、日本側に有利に展開しソ連の実力を侮らせる原因になった。1938年の「張鼓峰事件」においてソ連軍の反撃で日本の一個連隊が壊滅するも敗北と総括されなかった。1939年のノモンハン事件は満州国とモンゴル人民共和国の国境守備隊の小競り合いから始まり、白兵戦重視の日本軍はソ連の重火器にブリキのおもちゃのように破壊された。残骸は以前スンベル村でみることができたそうだ。日本軍23師団は壊滅 戦死者約8千人戦傷者約9千人、行方不明者千人等と空前の被害にあった。父親の最初の配属先の札幌連隊がその中心であり、父親のモンゴル旅行記にも記載されている。ナチスのポーランド侵略による第二次世界大戦勃発を契機に停戦協定が結ばれた。当時の関東軍主導者には、勿怪の幸いであったろう。日本の歴史教科書でしっかり記述してもらいたいものである。

昨日2015年9月2日中国で戦勝70周年記念式典が開催された。いろいろな論評がなされている。日本は中国、特に共産党はに負けていないという悔し紛れの意見も見られるが、ハルハ川戦争の総括をきちんとすれば、第二次世界大戦の日本人三百万の犠牲者は出さなくてすんだであろう(中国、ロシアはその一桁上の数字)。明らかにソ連共産党の指導する赤軍?に日本陸軍は負けていたのである。日露戦争の勝敗も英米の政治的配慮で日本が勝ったことにしてもらっているから、ハルハ川戦争は日本が負けたことにされたであろう。それが回避できたのは、ナチスドイツのポーランド侵略のおかげである。当事者が存命中は、広島原爆投下と同じで議論がおさまらないが、時間が経てば、人類の行いとしての評価が次第に定まってくる。ロシアも日本もよその国で戦争をしたのである。中国人観光研究者の高媛さんが「満州観光」でいうところのゲストのまなざしであり、ホストの視点が欠けている。しかもこの場合、ホストは中国人ではなくモンゴル人であろう。観光は歴史の評価をするものではなく、興味の対象の刺激のつよさで決まるから、戦跡観光として、ハルハ川戦争を取り上げれば、日本の右翼も左翼も興味をもつのではなかろうか。日本、中国、韓国・朝鮮、モンゴル、ロシアの観光研究者が一堂に会して、シンポジウムを開催すると面白いのだが。

モンゴルは内陸国であり、中国との貿易額が9割をしめるから、中国は好きでも嫌いでも無視できない重要な国である。そのこともあるのか、朝鮮・韓国との交流が盛んである。もともと人種的に共通していると考える人もいる。

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