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🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2023年3月4日 国連加盟国163か国目 スーダン 

公開日: : 最終更新日:2023/06/11 シニアバックパッカーの旅

2023年3月4日 スーダン行をいぶかしがるチェックインカウンターの女性

ハルツーム動画

https://photos.google.com/album/AF1QipMLsE-J9CM8pjPkfKG7BdBUST1K9ZJDHN-Y8cDf

 
 3月4日深夜早朝サウジアラビアをでてスーダン、カルツームに向かう。イミグレで何故スーダンに行くのかと、物珍しそうに聞かれ、興味があるからだと答えておいた。愛読のyoutuberによれば、対岸のアラブオイルマネーの投資先として、スーダンは無限の可能性がある場所だとなっている。
 
 
外は暗いだろうと、イミグレがおわってから、しばらくバゲージコーナーで時間を潰し、外へ。人の良さそうなドライバーに声をかけて、20ドルで、青ナイル川と白ナイル川の合流点まで往復を頼む。一応タクシーなのだが、相当古い。
 
 景色はいいのだが、青と白の合流のコントラストが、太陽に反射しているのかわからない。アマゾン川とネグロ川の合流のようにくっきりとしていないが、後でyoutubeで確認することにした。全部で一時間もかからず、道中街並みも観察でき、取り立てて、長居をする必要がないことがわかった。その分空港の外での時間つぶしに苦労することになる。
 
追記 スーダンではビザ以外に外国人登録が必要で、これがないとチェックインさせてくれない。慌てて駆け込んで登録。現地通貨も必要で走り回り、すませた。時間つぶしにはなったが

 ハルツームには、カタール航空の時間変更により、半日の滞在となり宿は不要となった。スーダン大使館の領事は、日本語ができる人であった。その際、ビザ発給に宿泊証明が必要と説明があり、ネットで予約して、メール添付で構わないから後で送ってくれとアドバイをいただいた。確かにビザには、滞在先が記入される欄があり、ネット予約を入れ、ビザ入手とともに解約した。宿の場合は無料解約が一般的であり助かる。

ハルツームのラウンジ(カタール航空)

 

旅行準備資料

国土を縦断するように流れているのが,有名なナイル川と,その源流である青ナイル(エチオピア・タナ湖から)と白ナイル(ケニア・タンザニア・ウガンダの国境であるビクトリア湖から)。首都ハルツームでは,この青ナイルと白ナイルが合流し,大河となってエジプトへと流れていきます。ナイル川沿岸には,アフリカ最大規模の穀倉地帯が広がっており,特産の小麦や綿花,アラビア・ゴム,ゴマ,ハイビスカスなどが生産されている。農業生産はスーダンのGDPの40%を占めており,国民の多くが農業に従事。

◎白ナイルと青ナイルの合流点 半日の滞在なので、Shambat Bridgeから眺める青ナイルと白ナイルの合流点

 

 

 

 

 

 

◎テロ支援国家 アメリカ人犠牲者に350億円支払えば解除

 

スーダンは、1956年に英国とエジプトから独立。その後、半世紀にわたり国内各地で紛争が続いてきた。例えば、チャドとの国境であるダルフール地域や南スーダン国境付近ではいまだに紛争状態だ。30年にわたった前オマル・バシール政権は、中東産油国や欧州を中心とするドナー国から金融支援を受けた。しかし、高い貧困率や経済の悪化などで国民からの支持は低かった。結局、2019年12月、パンの価格高騰を契機とした民衆運動により、政権が崩壊した(2019年4月16日付ビジネス短信参照)。

 

テロ支援国家リスト指定の解除など国際社会からの信用回復

 

2021年1月現在、暫定政権への移行に伴い、徐々に情勢が好転していく傾向にある。その大きな要因が、米国政府の全面的な制裁解除だ。2017年10月には、約20年続いていたスーダンへの制裁が一部解除された。もっとも、テロ支援国家リスト指定からは解除されなかったため、米ドルでの取引などにリスクが残されていた。その後、2020年12月にリスト指定からの解除が正式に決定(2020年12月22日付ビジネス短信参照)。並行して、2020年6月にはドイツで支援会合を開催。欧州を中心とする約40カ国と15の国際機関が参加し、総額約18億ドルの支援が決定した(2020年7月2日付ビジネス短信参照)。

 

米国政府は12月14日、スーダンをテロ支援国家リスト(SSTL)指定から正式に解除した(在スーダン日本大使館「テロ支援国家リスト指定解除」)。米国は10月23日に、ドナルド・トランプ大統領がスーダンのアブドゥルファッターフ・ブルハン主権評議会議長、アブダッラー・ハムドゥーク首相、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とともに、スーダンとイスラエルの国交正常化合意を発表した(2020年10月26日記事参照)。同日、スーダン政府が関与したとされる過去の米国大使館爆破事件の賠償金の支払いが確認されたとして、スーダンのSSTL指定解除に関する大統領令に署名し、米国議会に通知した。議会の審議期間が反対決議の採択なく終了し、今般、解除の正式決定が発表された。

 

スーダンは、2019年4月11日に30年間に及んだオマル・アル=バシール政権が崩壊し(2019年4月16日記事参照)、同年8月に発足した暫定政府が、民政移管と和平の実現、経済危機の解決に取り組んできた。2020年6月には、ドイツなどが「スーダン・パートナーシップ会合」を開催し、ドナー各国・機関から総額約18億ドルの資金供与が決定する(2020年7月2日記事参照)など、国際社会もスーダンの取り組みを支援してきた。SSTL指定解除を受けて、欧米諸国はスーダン政府が抱える多額の対外債務の救済プロセスを本格的に推し進める意向である旨が報じられている。

 

ハムドゥーク首相は、米国政府の正式な決定を歓迎し、ツイッターで「制裁による約30年間の世界的な孤立の後、スーダンは世界の安定を支援する平和な国として国際社会に正式に復帰した」と述べた。スーダンは人口約4,000万を抱え、アフリカの中では比較的大きな市場で、外資と提携する地場企業も複数存在する。物価高騰や金融不安、貿易障壁など課題が指摘されるが、SSTL指定解除がこうした課題の解決に寄与することが期待される。

■多様性に満ちたスーダン

スーダンは,ナイル川流域で長い歴史を積み重ね、少なくとも紀元前2000年代には,スーダン帝国が隆盛し,世界遺産「ジャバル・バルカルとナパタ地域の遺跡群」に見られるような高い文明を持っていたとされる。現存するピラミッドの数はエジプトよりも多く,1000近くにも上っている。2008年時点の人口は3,915万人ですが,その中には数百もの異なる民族が共存している。

一方で,その多様性ゆえに生じた複雑な社会構造によって,スーダンは国内に多くの課題を抱えています。ひとつは「アフリカ最長の内戦」と呼ばれた「南北スーダンの内戦」,もう一つは「世界最大の人道危機」と呼ばれた「ダルフール紛争」です。どちらも対立の根は深く,これらの紛争によって,これまでにとてもたくさんの犠牲者が出ました。前述のように,スーダンは地理的に中東とサブサハラ・アフリカを結ぶ地域に位置している上,9か国と国境を接していることから,南北スーダンやダルフールの情勢不安定化が周辺地域に与える影響は少なくありません。このため,スーダン情勢は国際社会の主要な関心事の1つとなっており,国連・国際機関やNGOなどを含めて大規模な人道・復興支援活動が続いています。南北スーダンの内戦とダルフール紛争がどのようなものだったのか,それぞれ整理してみます。

ナイル源流

https://youtu.be/GBUg6hy8MCk

https://youtu.be/2UBLFGAR4K0

 

〇ナイル川の源流が19世紀後半まで不明のままだった理由はなんでしょうか?

 

 

こちらは、スーダンを通過するナイル川の様子です。

 

 

これはスッドです。 アラビア語で「バリア・障壁」です。 ナイル川の一部でもあります。 また、この写真で感じるよりもはるかに大きくなっています。 洪水時にはそれほど良いものではありません。 あなたが真の探検家であ、これに出くわしたと想像してみてください。 古代エジプト人は何世紀にもわたってそれを通り過ぎようとしましたが、 彼らは完全に失敗しました。 その後、ローマ人もこれに挑戦しました。 彼らも失敗しました。 ヨーロッパ人は19世紀に試みました。 彼らには運がありませんでした。

 

加えて、沼があるところにはマラリアがあります。 幸運ヲ祈ります。ヨーロッパ人がこの水源を見つけたのは、これを完全に避けて逆方向から攻めることにして、中央アフリカまで探索したからです。それはあまり楽なことではありません。

 

 

リチャード・バートンは、それを実行に移すことを決めました。文明の発展した美しいザンジバルから出発し、タンガニーカ湖まで陸路で移動したのです。彼は「ユーリカ!ナイル川の源流を見つけたぞ」と叫んだ。しかし、彼が連れてきたジョン・スペイクという男は、彼にそれはおかしいと言った。タンガニーカ地区は、ナイル川が涸れることがないという事実を説明するには、低すぎて、小さすぎたのです。バートンは彼を馬鹿だ呼ばわりして、この2人はイギリスに凱旋帰国しました。しかし、科学界は納得しませんでした。スペイクは独自の探検に出かけることになりました。今度は北上して、もっと大きくて、ずっと大きなビクトリア湖を見つけたのです。まだ達成したわけではなかったが、彼はイギリスに戻って十分なデータを得て、スッドまで行く探検隊を結成する資金を得ました。それをやり遂げただけでなく、スッドで合流する川の別の源を見つけることになります。結果的に、スッドで合流した川の別の水源を発見したのです。ビクトリア湖から流れ出るより大きな水源である青ナイルではなく、現在は白ナイルと呼ばれる部分です。つまり文字通り、スペイクは「点と点を結んだ」という点で評価されたのです。

 

◎メロエ遺跡とクシュ王国

 

 

 

 

 

 

https://youtu.be/pDacvj1WfVg

 

ナイル川

 

https://www.buzzvideo.com/a/6876319415755866629?app_id=1131&c=email&gid=6876319415755866629&impr_id=6912324037520132357&language=ja&region=jp&user_id=6912001690245825542

 

KRTへはDXBからフライドバイで往復5万円 

 

スーダンはアメリカから経済制裁を受けているのでクレジットカードが全く使えないのとアメリカ系のホテルサイトは使えない 

 

モーター付きのボート。<br />漕ぎ手と交渉し、1時間のクルーズ。<br /><br />
この橋のあたりで、源流から長い長い旅をしてきた青ナイルと白ナイルが合流し、<br />ナイル川となってエジプトを横断して、地中海にそそぐ。<br />白ナイルはヴィクトリア湖が、青ナイルはエチオピア高原が源流。<br /><br />

 

この橋のあたりで、源流から長い長い旅をしてきた青ナイルと白ナイルが合流し、ナイル川となってエジプトを横断して、地中海にそそぐ。
白ナイルはヴィクトリア湖が、青ナイルはエチオピア高原が源流。

 

1ハルツームは青ナイルと白ナイルが合流する地点にある。中洲に渡るだけ、片道1分くらい。写真は中州から街並み

 

 

オムドゥルマン/ Omdurman

 

 

白ナイルをはさんでハルツームの対岸にある町。1885年、エジプトとイギリスのスーダン植民地化政策に反対するマフディ軍が都として建設された。ハルツームが行政や経済の中心地であるのに対してスーダンの伝統や文化が残る地域。 スーダン最大のスークや、ラクダ市、マフディーの墓、カリーファの家、ハマデルニールモスク等、ハルツームのみどころが集まる場所となっている。 ラクダ市では、犠牲祭の前になると大量のラクダが売られ、間近で見ることができる。

 

 

◎メロエのピラミッド

 

ナイル川とアトラバ川の間の半砂漠にある、メロエ島の考古遺跡は、紀元前8世紀から紀元4世紀にかけての有力国である、クシュ王国の中心地域だった。遺産は、ナイル川にほど近いメロエのクシテ王の王都、その近くの、ナカとムサウワラート・エス・スフラの宗教遺跡から構成されている。この都市は、およそ1世紀近くの間、エジプトを支配した王の所在地で、ピラミッド、寺院、住居建築などの跡があり、主要な施設は水の管理とも関係しているといった特徴がある。この巨大な王国は、地中海からアフリカ中心部まで広がっていて、この遺産はそれぞれの地域の芸術、建築、宗教、言語などの交流を証明している。

 

最も広大なヌビアのピラミッド遺跡はカーツームの約100km北方のメロエ遺跡であり、ナイル川の5番目と6番の滝の間に位置する。 メロエ朝の40人を超える王と王妃の墓所となった。 ピラミッドは水平に並べられた石材を階段状に積み上げた構造で、傾斜は約70゜、高さは6メートルのものから30メートルに及ぶものまである。

 

Image result for メロエ ピラミッド

 

Image result for メロエ ピラミッド

 

メロエのピラミッド群(ハルツーム北東)アクセス:スーダン北東部、首都ハルツームから北東に約200kmの町カブシヤ近郊 ツアーで訪れるのは主に北のピラミッド群で、サハラの砂丘に埋もれる様に、数多くのピラミッド群が点在している。

 

https://locotabi.jp/sudan

 

アルジェリア、コンゴ民主共和国に次いでアフリカ大陸で3位の面積を有する。2011年7月に南スーダン共和国が分離独立する前は、面積2,505,813km2とアフリカ大陸最大の国土を有していた。かつてこのスーダンのナイル川流域北部はヌビアと呼ばれ、北に栄えた古代エジプトの影響を強く受けた地域である。古代エジプトの諸王朝は、勢力が強まるとナイル川沿いに南下して金や象牙の交易拠点を作り支配領域を広げ、国力が衰退すると撤退することを繰り返した。そうした中、紀元前2200年頃に、南部から移動してきた黒人の集団がこの地域にクシュ王国と呼ばれるはじめての王国を建国した。この王国は中王国時代のエジプトの影響を受けながら勢力を拡大していった。その後、エジプトが新王国時代に入るとトトメス1世がクシュを滅亡させた。

 

紀元前900年ごろ、ナパタを都としてクシュは再興し、やがて衰退したエジプトに攻め入ってエジプト第25王朝を建国した。第25王朝はアッシリアに敗れヌビアへと撤退したが、ヌビアの支配権は保持し続けた。紀元前6世紀半ばにクシュは首都をさらに南のメロエへと遷都し、以後この王国はメロエ王国の名で知られることとなった。メロエは牧畜とソルガムの農耕を主産業とし、さらに鉄の産地としても知られた。

◎内戦再発?

 

 

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