シニアバックパッカーの旅 中国旅行、終わりは「さんざし(山査子)」
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最終更新日:2023/05/28
シニアバックパッカーの旅
『この道』
http://www.woong.com/songbook/japan/konomichi.htm
さんざしという言葉は十代のころから知っていたが、それが植物の名前であることをハルピンで知った。
旅の最終日、崔さんがサンザシのお菓子を買ってきて、空港までの慰みにさせてもらって、それがサンザシであると知った。買君が教えてくれた。山査子の味を覚えていたのか、子供の頃サンザシを食べた記憶はあるが、名前を知らなかったということに気が付いた。日本語を勉強している買君がスマホでそれがサンザシというと教えてくれた。山査子と漢字で書けば中国語も同じなのだ。
では山査子という言葉はどこで覚えたのか?疑問が残ってしまった。
Googleは教えてくれた。
北原白秋の詩「この道」にあったのだ。それも四番に出てくる。思い出し、ほっとした。
なお、柳川の旅行記でも記したが、北原白秋が文化勲章受章者でないことは、文化勲章を重要視するのであれば、制度の恥であろう。山田耕作が受賞しているのであるからなおさらである。それとも、観光資源としての北原白秋の功績を重んじる立場と、文学者としての功績を重んじる立場は違うとこいうなのであろうか。
翌日8時の中国南方航空にのるため、空港から徒歩3分のホテルに宿泊。崔さんが用意してくれた。
朝6時前にチェックインするため早起きして空港に向かう。
行きも帰りも中国機、しかも乗客の大半は中国人であった。
日本航空機が飛ばせる路線は、大都市間くらいで、ローカルとローカルは日本航空会社には無理であろう。
国内線だけでも日本の六倍の規模を誇っている中国航空会社には、それだけ余力がある。
成田到着。スマホで調べると、押上まで行くアクセス特急の出発まで20分弱しかないので、長い通路を駆け足。
入国は自動化ゲート、税関もパスポートを見せるだけ。スイカで入札だから、十分に間に合ってしまった。
スマホのデータ通信のONに切り替えると、次から次へとメール等が飛び込んできた。
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