シニアバックパッカーの旅 2022年5月15日~17日 チュニジア(国連加盟国149か国目)チュニス
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最終更新日:2023/05/28
シニアバックパッカーの旅
2022年5月15日
https://photos.google.com/album/AF1QipOlvSHY6O8h7S2uIlGpiIfK2iFt-ybIGbwK9NYi
チュニス空港到着からホテルチェックインまで
チュニスマリン駅の下調べ
facebook投稿文
◎2022年5月15日
チュニス航空。オンラインチェックインを試みるが、うまくいかない。カウンターチェックイン。大きな機内持込み荷物を、超過料金を減らすため、カウンターで店開きを始めるものだから、時間がかかる。モスクワでは詰め込みすぎたトランクを外側から強化ビニールシートでグルグル巻きにする商売まで見た。嘗ての日本も帰省シーズンは大きな荷物を持った人で溢れていた。小倉昌男さんが、それをみて、代わりに安く運んであげますよと宅急便を考えたと、宅配便標準約款作成時に語られたことを思い出した。今から思えば、それも後から考えた神話作りだったのかもしれない。
リヨンからということもあるのか、消席率は五割程度。ドアが閉まってから、最後方一つ手前の窓側席に移動した。1時間50分の飛行に12000円をgotogateに支払っている。チュニス航空がLCCではないことを失念し、空港売店でジュースとサンドイッチを購入したが、機内食にチュニジア自慢の郷土料理、クスクスが配られたので、夜食にした。機内で、今回の旅で始めて出入国カードが配られた。
チュニジアは以前はかなりイメージの良い観光地で、NHKも旅番組で取り上げていた。しかし バルドー博物館事件やアラブの春騒動を経て、そのイメージは大きく変化。空港に到着してみて直ぐに感じた。観光ポスターの類がない。白装束の検疫官が書類チェック。次のポリスコントロールと書かれた審査では、自国民と一緒に長い行列。審査を省略する便宜供与が堂々と行われているのも認識できた。審査が終了しパスポートにスタンプ、やれやれと思いバゲッジコントロールに移動する入り口で、再度パスポートチェック。国情不安なのだろう。
それでもカルタゴという空港名を冠するチュニス、今も多くの観光客を引きつけることには変わりはない。戦後のローマやベニスだって同じようなもので、映画が作られている。
まずATM、50ディナールだけ両替。空港からの足は、地球の歩き方では、バス1ディナール、タクシー10デァナール。スリに気をつけろなどという書き込みもあり、薄暗い中バスに向かう人の後について行くのをためらっていると、タクシーの客引き。言い値20ディナールは、地球の歩き方の二倍だから、むしろ安い。白タクだと危険と躊躇しているとタクシーだとさかんにいう。車両を確認してからと思っていると本当にイェローキャプ。タクシーベイの係官に何やら話をしてから、前につけているタクシーをごぼう抜きにして、片側段差のある歩道に乗り上げながら進む。
運転が乱暴かと思いきや、道路整備が悪いこともある。直ぐにホテル到着。玄関前にセキュリティチェックのゲート。この風景もテロ多発地区の風物詩。でも何もチェックしないのだから、置いてあるだけというのは、チュニジアらしい。道中観察したが、駅に近くても街全体が薄暗いので、新しいホテル探しをやめて、このホテルで延泊することにした。ウェルカムドリンクを運んでくる。幸い部屋はあいていた。今日と同じ料金だという。ブッキングコムなしだというと、笑っていた。ホテル名にゴルフロイヤルとつけているのは、創業者がゴルフ好きだったからのよう。これで一泊38€120ディナールは安すぎる6ろう。国が混乱するとこうなってしまう。
◎2022年5月16日
中央広場の時計台
市場(両替換算で大幅に鴨られる)
フランス門と付近の老舗ホテル
チュニスのカスバに入る
世界遺産のモスク
大統領官邸回り
https://www.facebook.com/100005613103185/videos/pcb.1880917635438655/486867653186898
ジャスミン革命の露天商?
チュニジアのジャスミン革命の発端? 頭の固い自治体役人の杓子定規な運用から商品が没収され、露天商の焼身自殺を引き起こしたらしい
Facebook投稿文
チュニスの朝、アマツバメ。モロッコでもたくさんいたのは、城壁は巣を作りやすいからだろう。
朝食まで時間があり、旧市街見学。世界遺産。その前に市場を発見。バナナを4本爺さんから購入したはいいのだが、釣り銭を大幅にごまかされた。こちらは、ディナールの下は、千単位で混乱。多分多くの外人は騙されたのだろう。渡す時の反応次第でいくらでも対応可能。数十円から数百円程度の被害。どうせ外貨には戻せないので、空港売店に寄付するか、爺さんに騙し取られるかの違い。
旧市街の入り口に有名なフランス門。思ったより小さい。しかしフランスの名前に抵抗がないのかと思ってしまう。脇には老舗ホテル。四百年ものらしい。
メジナで迷ってはと、ドコモにつなぐと、チュニジアは対象外。料金が高くなる場合があるので注意と表示される。場合があるのではなく、確実に高い。以前海外パケット割引がなかった時代、国内と同じように使って、帰国すると目玉が飛び出た経験を何度もしている。今は普段はモバイル通信を切断し、海外パケット通信時だけモバイル通信を使用する。
ホテルでgoole mapを開き、目的地にしるしをつけておけば、ネットとの繋がりがなくなり経路案内は消えても、方向はわかる。
メジナは中に入るとわざと混乱するようになっているのだろう。スマホをしばらくみないで進むといつのまにか逆に進んでいる。チュニスのメジナは、ドアなど青色に統一されているが、黄色がメインの箇所もあった。
ホテルは中心街にあり、いたるところにバリケードが設置。真っ直ぐに進めない。無許可露天商が道具を接収され、抗議に焼身自殺。これが引き金となり、アラブの春が起きた。しかし生活水準は大きく後退、アラブの冬である。春と勝手に命名したのは、欧米メディア。リビアは一万ドルを超えた中進国だったのに、アメリカがカダフィを殺害したおかげで、極貧國に逆戻り。
別文

旅行準備資料
◎ニースの所属
「ニース」の辺りはもともとサヴォイア公国のものであり、イタリア統一に当たってフランスからの邪魔を防ぐためにフランスに献上されたような歴史があり、もともとはプロヴァンス語で「ニッサ」と呼ばれていた
◎チュニジア ジャスミン革命(2010年から2011年にかけてチュニジアで起こった民主化運動)
一青年の焼身自殺事件に端を発する反政府デモが国内全土に拡大し、軍部の離反によりザイン・アル=アービディーン・ベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊した事件である。ジャスミンがチュニジアを代表する花であることから、このような名前がネットを中心に命名
この民主化運動はチュニジアにとどまらず、エジプトなどほかのアラブ諸国へも広がり、各国で長期独裁政権に対する国民の不満と結びつき、数々の政変や政治改革を引き起こした。こうした一連の動きはアラブの春と呼ばれた
一連の暴動では情報共有のため、Facebookなどを通じたインターネットによる情報交換が力を発揮したほか[9]、YoutubeやTwitter、WikiLeaksといったネットメディアも重要な役割を果たしたという意見がある一方[7]、GoogleやFacebookなどのネットメディアがアメリカ政府の戦略に加担し、アラブの春を裏側で支援していたとの意見もある
革命後、チュニジアの物価は高騰しており、また若者の失業率は43パーセントに跳ね上がり、その後は下がったが2018年時点でも3割台が続いている。「革命後に物価が急騰して生活が苦しくなった。すべてあの革命のせい、ムハンマドのせいだ」と、ジャスミン革命を後悔する声が出ている。革命のきっかけとなった焼身自殺を起こしたムハンマド・ブアジジを批判する声や、革命に貢献したとして、チュニジア国民対話カルテットとともにノーベル平和賞候補となっていたリーナ・ベンムヘンニ(英語版)には殺害するという脅迫などが届くようになっている。
独裁時代のチュニジアでは、イスラム過激派が非合法化されており、そのため若者の中には国外に出てISILなどの武装集団に参加していたものがいる。革命後、彼らは祖国チュニジアへと戻り、テロ活動などを行っている。
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