シニアバックパッカーの旅 2020年2月1日 パラグアイ(国連加盟国146か国目) アスンシオン
公開日:
:
最終更新日:2023/06/01
シニアバックパッカーの旅
日本の国土とほぼ同じ大きさ(日本の1.1倍)、人口は600万人前後 、5000ドル。 1811年スペイン,ブエノスアイレスの両者からの独立を宣言,市がその首都となった。河港としてアルゼンチン,ブラジル,ウルグアイを結ぶ戦略的な要地を占めていたため,パラグアイ戦争 (1864~70) 中,1868年にブラジルに占領され,1876年までその支配下に置かれた。 https://photos.google.com/album/AF1QipPZggAn6aNHQtgyDeNhnGvIiJMeduI1olEsREr2/photo/AF1QipNNFbTIu0NButX78C_LjOtvzmV4OIeOu6CE0i9_
パラグアイ川が見えてきた。アルゼンチンとの国境だ。まず両替。50ユーロが、345000になり桁が混乱してしまう。明後日の早朝便のため、出発ロビーの様子を確認。次にタクシー受付窓口、街まで定額で120000 約2000円。カードも使え、一割増になるので、現金払い。 ホテルはなかなかのもの。
チェックインして散策。道はわかりやすいが、河川に向かって坂になっている。宿は観光資源に近いところで便利。ネットで見たウルグアイ公園に独立の館。工事中だった。古い屋敷をリニューアルしている。壁画をかいていた。グーグルの地図では州政府の建物とあるが、大統領官邸。警備が厳しい。 パラグアイ川が見える公園にきた。ここからスラム街が見えるとネットに出ていたが、そのとおり。ビデオを撮っていると警官が注意しに来た。中国人かといわれ、日本人だと答えた。 パラグアイ公園に戻る。ネットでは公園の名前がちがうのだが、ここしかないので、道路を挟んだところに鉄道駅があるはず。よく見ると鉄道駅があった。相当傷んでいる。駅舎だけでなく、機関車なども雨ざらしになっている。南米で最も早くに敷設されたもので、日本より古い。世界遺産とは、このようなものを言うはず。地元では維持できないが、人類の遺産として保存するための条約で、先進国が援助する仕組みのはずが、いつの間にやら、先進国で、増産気味である。 鉄道駅と河川の間もスラムだ。一般の道路でもテントを張って生活している集団がいる。子供達が無邪気に遊んでいる。鉄道遺産にすると追い出されてしまうかもしれない。 伊丹空港の滑走路脇にもスラムがあった。一応不法占拠なので、行政の保護が受けられない。騒音対策補助がもらえない。
今夜深夜便の電子チェックイン完了。ボゴタからアルバまではアビアンカなので席が自動割り当て、変更するにはアビアンカに依頼するしかない。まだその時間になっていない。 初めは夜10までホテルを延長しようかと思ったが、観光も午前中でおわるから、空港にゆくことにした。兎に角フロントでは英語が通じない。タクシーも大丈夫かとさえ思うので、空港の方が、電源さえあれば、セキュリティ内に入って仕舞えば楽だろう。 7:00朝食 コーヒー、ジュース、トースト、フルーツにお菓子、そしてチーズみたいなパンケーキ。7:30市場に向かって歩く。バスが通行するメインストリートの交差点が中心かと思いきや、そこははずれで、グーグルマップでは道が出てこない一体が市場の中心。それでも秩序はあるようで、商品ごとにある程度まとまっている。露天ではない本来の商店もあり、その前にテントが張られている。本来の商店にはエスカレーター次の大店舗もあるが、露天のトンネルをくぐっていかないとたどり着けない。テントは鉄パイプで組み立てられている。沿道の商店の建物の枠組みに支えられているが、支柱は道路に敷石をおいただけだから、敷石がずれると崩れてくるはず。隣のテントとも支え合っているのだろうから、一気に崩れてくることはないだろうが。食べ物屋は火を使うから、それなりに配置は考えられているのだろうが、これまでもいろいろあったに違いない。テントもない露天では、鳥の羽をつけた重石をマットが飛ばないようにして、品物を並べている。雨が降ったら、すぐにしまい込んでしまえるのだろう。ハーブ類が売られている。いろいろ薬効があるのだろう。 市場見学から戻り一休み。11:00チェックアウト。タクシーを呼んでもらう。120000現地通貨。11:50空港到着。残金をドルに両替、10ドル。 午前の歩数が6500なので、空港の中で何度も周回し、一万歩にする。 空港ビルは四階建、しかし3階、4階は使用していない。三階にベンチがあり、横になれるので、ベッドがわりに横になり睡眠をとる。イミグレは夜11:30から。電子搭乗券があるから早く入れてもらいたいが、他の便がないので休憩しているようだ。 https://photos.google.com/share/AF1QipNxz1PPu5PDUrGvpFBN8ZewnQdHkzswuXFf3shxRGxwRLuJqAA7uLGvwPc9rI5Frg/photo/AF1QipMURZHkPxCdxvQWAZSfrzwlNgAKAx3s-o0q-drI?key=dk5SUi11eFRyZ1pfZFJDSWNSR0JKVmxncmJrcThB
アスンシオンの動画
https://photos.google.com/photo/AF1QipPEFC0rxeHeMiAuDI8iBxK2CYr8u06A2e_P513H
https://photos.google.com/photo/AF1QipPHokiM5rEsc036Vvz91UDaqzKoarNXkeWOO-tN
https://photos.google.com/photo/AF1QipPY8NaEO9_asUvisFoWxkT5CR98lSTY5CxkTxfG
https://photos.google.com/photo/AF1QipPtT3SWj0yAlRBEOnX2VLcpXKG-6meYIxTdCUYw
https://photos.google.com/photo/AF1QipMj6adjtxgklQKsGcByhx_b5O7uuB_LOwlT82Qd
https://photos.google.com/photo/AF1QipOmWLAn0bDYLiwnLczL4k1XmXECHzN1Wg6255jn
https://photos.google.com/photo/AF1QipO951LGXMQmdoQrSsYL63vVoc2j-xQlgPTYlc4I
https://photos.google.com/photo/AF1QipPbG9DU9KEl8daJx9BBi5Aq3oUep6eqaNKkDoTs
関連記事
-
-
シニアバックパッカーの旅 2019.9.26 ナウル共和国 国連加盟国133か国目(INU)
ナウル到着。 機材が変わることもあり、トラ
-
-
シニアバックパッカーへの道 資料 トルコ風呂騒動
当時、在日トルコ大使館の文化担当参事官や留学生が、日本ではソープランドのことをトルコ風呂と表
-
-
シニアバックパッカーへの道 2006年9月1日~6日 長女との旅 ギリシャ(国連加盟国26か国目)アテネ、メテオラ
アテネの宿は、韓国の大統領が宿泊した宿。 ガイドは日本人女性で現地人と結婚した者、教師として
-
-
シニアバックパッカーの旅 2019年11月 チームネクスト 尾道、酔仙島
https://photos.google.com/photo/AF1QipMOV5_k7VKGyC
-
-
シニアバックパッカーの旅 2022年4月30日~5月1日 アグリジェント
https://photos.google.com/photo/AF1QipN79UxbFpriiS
-
-
シニアバックパッカーの旅 ザンビア(国連加盟国131か国目)・リビングストン(152)ジンバブエ 2019年2月25日、26日
ヨハネでトランジット。こんどはBAのラウンジ、と思ったが、ラウンジは午後四時から。しかもフ
-
-
シニアバックパッカーの旅 ⑩ 2月25日~27日 サンディエゴ、ティアファナ そして帰国
2018年2月25日ラスベガスのホテルの駐車場で空港シャトルに声をかけ、乗車を伝える。割と簡単で現金
-
-
シニアバックパッカーの旅 エスワティニ/スワジランド国連加盟国127か国目(148)モザンビーク入国 国連加盟国128か国目(149)2019年2月22日、23日
エスワティニ到着。スタンプはスワジランドになっているのは、まだ国名変更が間に合わないということだ。
-
-
シニアバックパッカーの旅 モンゴル国フブスグル地区紀行~トナカイとシャマンとドロ━ン(2)
2015年8月17日、18日(ウランバートルからムルン経由ウランウールまで) 20158月1
-
-
シニアバックパッカーの旅 2017年5月15日 アルメニア(国連加盟国94か国目)30分の滞在
https://photos.google.com/share/AF1QipPBVtwagITzFM