シニアバックパッカーへの道 資料 トルコ風呂騒動
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最終更新日:2023/06/03
シニアバックパッカーの旅
当時、在日トルコ大使館の文化担当参事官や留学生が、日本ではソープランドのことをトルコ風呂と表現してたことに、文芸春秋等のマスコミで強烈な反論を展開し、名称が変更された。当然その参事官も外務省会議室で開催されたボスポラス海峡第二大橋開通式参加団の結団式に参加されていたことを覚えている。
入省後最初に配属された自動車局保障課は、自賠責再保険特別会計の仕事をしていた関係で、タクシー代等の庁費等が一般会計に比べ潤沢であった。後年、塩川大蔵大臣が「一般会計でおかゆをすすっているときに、特別会計ではビフテキを食べている」と表現している。当然のことであるが、一般会計と異なり残業代もかなり支給されていた。自動車事故対策センター法案提出作業で、1973年初めは、毎晩深夜まで残業が続いてた。
下記説明にある東京温泉は、保障課勤務時代に、残業後、たびたび通ったところである。自動車損害賠償保険に関する判例集に関する原稿料が入ってきていたこともあり、それを原資に課の上司の掛け声のもと、同僚とたびたび通ったものだ。独身時代で風呂のないアパート住まいであった身には、贅沢だが銭湯代わりに愛用したもので、懐かしい。銀座、有楽町には、日劇ミュージックホールもあり、歓楽街の様相も持っていた。デパート松屋の裏にあった東京温泉は本物のトルコ式の健全な温浴施設で、風俗営業は行っていないものであったが、このトルコ式風呂からヒントを得て、後日風俗産業へと発展していった施設が全国に展開されたようだ。この施設名が、本場トルコからクレームがつき、ソープランドへと名称変更された 。加賀温泉郷にも影響が及び、山中温泉のトルコ風呂経営者が滋賀県雄琴でも事業を展開し、全国的に有名にしている。市長時代、片山津温泉のソープランドを巡り問題が発生したことが懐かしい。今日では、当局が新設は認めない方針であり、次第に数は減少している。
東京温泉(とうきょうおんせん)とは、かつて東京都中央区銀座に存在していた企業で、運営していた入浴施設名。1951年に許斐氏利が開業し、1993年に閉館した。東京で初めてサウナと銘打ち、箱型の1人用の蒸し風呂を置いたほか、サービスガールのマッサージが受けられた。
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