🌍🎒シニアバックパッカーの旅 夫婦で旅行 2012年5月2~6日 クロアチア(国連加盟国53か国目)プリトヴィッチェ湖群国立公園、ザグレブ、スプリット、ドブロクニク
公開日:
:
最終更新日:2023/06/13
シニアバックパッカーの旅
プリトヴィッチェ湖群国立公園
プリトヴィツェ湖群国立公園は、クロアチアの国立公園の1つであり、ボスニア・ヘルツェゴビナ国境に近いプリトヴィツェ湖群市に位置する。大小16の湖と92の滝がエメラルドグリーンの幻想的な景観を作り出しており、1979年にユネスコの世界遺産に登録された。
九塞溝を見た後だけに、その感激度合いはあまり大きくはなかった。
2012年5月3日アルバム
https://photos.google.com/album/AF1QipP9yVKUPZ1XaqImRmTbTPycjcMis3Bp2LY-Z3nu
スプリット
2012年5月4日アルバム
https://photos.google.com/album/AF1QipO2NStzc2xYhTcIiMtlhBsyTScw1exGLPjYKyi8
https://photos.google.com/album/AF1QipO2NStzc2xYhTcIiMtlhBsyTScw1exGLPjYKyi8
スプリトはクロアチアのダルマチア海岸の町で、ビーチの他に中心部にある要塞のような建造物群であるディオクレティアヌス宮殿で知られています。この宮殿は 4 世紀に古代ローマのディオクレティアヌス帝によって建てられたものです。かつては何千人も生活していた広大な遺跡には、200 以上の建物が残っています。その白石の城壁の内部や中庭には、大聖堂、数々のお店、バー、カフェ、ホテル、住宅があります。
ザグレブ
2012年5月2日アルバム
https://photos.google.com/album/AF1QipNsePRWRVqA3E0uRjouoCIjR_k0LvIpNdcqHnIP
ザグレブはクロアチア北西部にある首都で、18 世紀から 19 世紀にかけて栄えたオーストリア・ハンガリー帝国時代の建築が特徴的です。中心部にある旧市街には、2 つの塔があるザグレブ大聖堂、カラータイルの紋章がある屋根で知られる 13 世紀建造の聖マルコ教会があります。近くには、テラス席のカフェが並ぶ歩行者優先のトカルチチェヴァ通りがあります。新市街には、中央広場のイェラチッチ広場、商店、美術館、公園などがあります。
ニコラ・テスラ(Nikola Tesla 1856年 – 1943年1月7日)は、1856年7月9日深夜、オーストリア帝国(現在のクロアチア西部)リカ=コルバヴァ県ゴスピッチ近郊の村スミリャン で誕生 セルビア系アメリカ人の発明家、電気技師、機械技師。エジソンのエジソン電灯会社の求人を見つけ採用される。当時、同社は直流による電力事業を展開していて、一方、テスラは交流による電力事業を提案し、エジソンと対立して数ヶ月で失職する。電流戦争ではテスラ側の陣営とエジソン側の陣営はライバル関係となり、結局、テスラ側が勝利した 1943年1月7日、マンハッタンのニューヨーカー・ホテルで死去。享年86歳であった。検死の結果死因は冠動脈血栓症とされた。
ザグレブを拠点とした芸術家2人のカップル、映画監督のオリンカ・ヴィシュティツァ(Olinka Vištica)と彫刻家のドラジェン・グルビシチ(Dražen Grubišić)によって設立された。4年間の交際が2003年に終わった際、2人は「恋人が残した私物を収容する博物館を作ろう」という冗談をかわした。3年後、グルビシチはこのアイデアを真剣に実現しようとヴィシュティツァに連絡をとり、友人に元恋人が残していったものの寄付を乞い始め、コレクションが生まれた。コレクションは2006年にクロアチア科学芸術アカデミーの美術館において、第41回ザグレブサロンの展示作品として初めて公衆に展示された。
その後コレクションは全世界で移動展示が行われ、アルゼンチン、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ドイツ、マケドニア、フィリピン、セルビア、シンガポール、スロベニア、南アフリカ、トルコ、イギリスで展示が行われた。2006年から2010年にかけて、20万人以上が移動展示に来場した。移動展示中にコレクションを寄贈する来場者もおり、ベルリン展示の際には市民から30以上のコレクションが寄贈された。移動展示中、ヴィシュティツァとグルビシチはクロアチア文化省に一時的な展示場所を提供するよう働きかけたが失敗したため、2人は自費でザグレブのグラデツに300平方メートルのスペースを借り、市内で初めての私設博物館とすることにした。最終的に博物館は2010年10月にオープンし、その奇抜なテーマや、市内の他の博物館とは異なり毎日開館していることから、特に外国人観光客に人気を博している。
「元斧(ex-axe)」と題されたこの展示品はベルリンの男性から寄付された。彼は浮気された苛立ちから、元交際相手の家具をこの斧で叩き切ったという。説明文には「去ってから2週間後、彼女は家具を取りに戻ってきた。家具は既に木片の小さな山にアレンジしてあったが、彼女はそのゴミを持っていって、二度と帰ってこなかった。そして、この斧は治療器具に昇格したのだ。」と書かれている。
2011年5月、博物館はヨーロッパ博物館フォーラムからケネス・ハドソン賞を受賞した。この賞は「社会における博物館の役割の常識を覆すような、最も珍しく、大胆で、もしかしたら議論を呼ぶかもしれない業績を示した博物館、人物、プロジェクト、団体」に贈られる賞で、「成功した博物館の基本的要素としての公共的品質と革新性の重要性」を評価するものである。フォーラムの審査委員会はこの博物館を以下のように評価している
ドブロクニク
1979年に世界遺産に登録された旧市街は「アドリア海の真珠」とも謳われる美しい町並みを誇る。アドリア海沿岸でも傑出した観光地であり、多数のクルーズ船が寄港する他、地中海各都市とフェリーで結ばれドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の中心都市となっている。人口は2011年に行われた国勢調査で42,641人である。
2012年5月5日アルバム
https://photos.google.com/album/AF1QipPNvdRicCnmGGypuRTpAt14KMjoWDa1oENl_Hbh
2012年5月6日アルバム
https://photos.google.com/album/AF1QipOVJeK_E5ChGhhHS36qcV1ISqFtofsVn58E9CYW
https://photos.google.com/photo/AF1QipM8ArokV3tBP0pZhEF4-t6y6gCluLyV-JfcgSzN
関連記事
-
-
🌍🎒シニアバックパッカーの旅 北中米旅行記➀ 2016年11月5日~6日 アンティグア・バーブーダ(国連加盟国79か国目)
◎ JFK空港 チームネクストの調査を終え、一足先にJFK空港まで地下鉄で向かった。駅で切符を購
-
-
🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2016年2月 中東・東アフリカ旅行記8 ウガンダ(国連加盟国74か国目)・エンテベ
2月16日 ナイロビからアジスアベバの途中でウガンダ観光を計画した。東アフリカ共通ビザの一つがU
-
-
Travel writing through practical tourism research on Mongolia Tsaatan ethnic (especially concerning with a reindeer and shermanism) 1
There is Hovsgol region in the most northern part
-
-
🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1973年 タイ(国連加盟国2か国目)
運輸省勤務時代 役所からの出張は、公用旅券又は外交旅券が必要であり、公務員の私的な旅行は、所属役所の
-
-
Comoros Union (146) February 17, 2019
Visa for Comoros Union was acquired at Senegal Em
-
-
🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2014年 ボリビア・ウユニ湖
テレビを見ない生活をしていたものだから、ウユニ湖が日本で知らるようになったことを知らずいた。ヒョンナ
-
-
🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2019年2月11日 ナイジェリア 国連加盟国119か国目
ラゴス空港の様子(動画) https://photos.google.com/photo/AF1Q
-
-
🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2019.10.8~10 ツバル国連加盟国139か国目) FUN
10月8日NANSUVFUN火7:30FJ7 FJ28111:3510月9日10月10日FUNSU
-
-
🌍👜シニアバックパッカーの旅 ⑥の1 小アンティル諸島巡り 2月19日 🏳🌈⓯蘭領セントマーティン、ドミニカ国(国連加盟国102か国目飛行場)経由🏳🌈⓰グアダルーペ(PTP ポンタピートル)
2月19日 13:35サンファン発Corsair4251セントマーティン着14:35 http
-
-
🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2014年2月 ボリビア(国連加盟国61)ラパス
ラパスからウユニ湖に行き、ウユニ湖からラパスに戻る。 ラパスからサンチャゴに戻る途中、アタカマ砂漠