動画で考える人流観光学講義(開志) 2023.11.27 将来の観光資源
公開日:
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最終更新日:2023/12/12
人流 観光 ツーリズム ツーリスト
◎ 科学技術の進展による観光資源の拡大
◎ 宇宙旅行
自らの目で見た風景を表そうとすると、遠くを見たいという欲望から絵師の視点は上昇した。船舶、
鉄道、航空機の発達も風景感を変化させてきたが、当然その先には宇宙船がある。宇宙船から地球を眺
めれば、風景観とそれを形成する文化観も変化する。しかし航空機による旅行の発展に比較すると、民
間宇宙ロケットの発展は極端に遅い。ガガーリンが宇宙に出かけてから半世紀以上も経過している。観
光に必須の大衆化戦略が出来ていないからである。
観光政策は国、地域を単位として発想されてきた。従って、国際的な宇宙政策や科学政策は樹立され
ても、国の枠を超えた観光政策は樹立されていない。国の威信をかけて宇宙飛行士を送り込むという目
的、防衛政策の観点からの宇宙開発目的、あるいは科学技術の観点からの宇宙開発は政策として成立さ
せられるが、「「楽しみ」のための旅」を促進する政策目的は樹立できないでいる。
(イーロン・マスク氏のすごさはここにある)
国防技術から始まったGPSも民間解放され商業用に活用されている。宇宙開発技術も商業用に開放さ
れる機運がようやく発生し、産業政策として宇宙観光産業にも着目されるようになってきた。
宇宙は人流のフロンティアであり、宇宙が観光資源となれば、国境を超えるといった発想も一般人か
ら消滅する。宇宙旅行に関する政策は旅行者の安全確保を基軸としたアウトバウンド政策に行き着く。
そして、宇宙空間での「無重力体験」は、どのテーマパークもかなわないアトラクションになるのであ
る。宇宙旅行には、経済性と同時に無重力状態や放射線の被ばくによる身体的影響を克服しなければな
らないという制約があるが、航空輸送と同様いずれ大衆化するであろう。
◎自然現象等の観測
自然資源に分類されるものも、三百六十五日、二十四時間同じ状態ではなく、周辺環境により評価も変
化する。その意味では文化的存在でもある。摩周湖は無名であったが流行歌「霧の摩周湖」のヒットにより有名観光地に昇格した。しかし「霧の摩周湖」が忘れられれば再び無名の存在に逆戻りしてしまう。
皆既日食、金環食、オーロラ等の自然現象に関する予測技術が観光資源を生み出してきた。観光対象と観光資源を使い分ける発想に立てば、科学技術の進展により、観光資源から観光対象となることが出来るものが増加したということになる。
日食、月食は完全にその発生を予測出来るから、日食ツアーが販売されている。オーロラツアーも完
全ではないがおおよその発生は予測出来るからツアーが販売されている。蜃気楼の発生はまだ確率の世
界であり、商業ツアーの販売は無理なのである。
気象予報、地震予知等の精度を上昇させるため、人類社会は高速コンピュータを活用するようになり、
量子コンピュータの出現は、結果として観光資源の開発に資するのである。
ポロロッカ(海嘯)、レンズ雲、光柱(ライトピラー)、逆さ霧、ダイヤモンドダスト、幻の噴煙(レーニナ山)等これまで一部の愛好家の関心事であったものが新しい観光資源として身近に認識されるようになるであろう。自然現象だけではなく、動植物の生態も新しい観光資源として見直される。渡り鳥の大群、昆虫の生態等、動物の行動を予測出来る技術が発達すれば観光資源となる。
北海道で低緯度オーロラが出ることは、スマホとカメラがこれほど普及する前は伝説のように言われていたことですが、割と頻繁に発生している現象であることが分かってきました。今回は肉眼でも見えるほどであったということで、北海道がうらやましい、ともいえるようなオーロラでした。 今回のオーロラはオホーツク海北部の真上数百kmに発達したオーロラの上の部分を北海道から観測したというのが正しい言い方となります。オーロラは上の部分が赤く、次第に高度が下がると緑、そして青など飛びこんでくる電子のエネルギーや大気側で反応する分子や原子の違いでそれぞれ違う色に発光します。 11月29日の未明(日本時間)に発生した太陽フレアはCME(コロナ質量放出)と呼ばれる割と規模が大きいものでしたが、これが地球の方向を向いており、日本では1日夜にあたる時間帯に中規模の磁気嵐を発生させ、その過程でオーロラが北極海沿岸に予報される状況となっていました。 先日もヨーロッパで広く低緯度オーロラが観測されたという報道もあり、太陽の活動が徐々に活発になりつつあることの一つの証拠といえそうです。太陽の活動はおよそ10~12年の周期で活発になることが知られており、現在は便宜上定められた第25太陽周期に入ってすでに4年近くという位置におり、これから数年が太陽活動のピークとみられています。オーロラが見える程度であればさして影響はないようなものですが、強い磁気嵐などとなると通信障害が発生したり、宇宙開発においても人工衛星への影響が発生したり、ひどい場合には地上の送電線やパイプラインにも電磁誘導が発生して大停電を引き起こすなどの被害が発生することがあります。 地球の火山などもそうですが、一見すると恵みとして得られるものも、度を超すと災害となるということを十分理解しておく必要があります。
◎ 観光資源としての「歴史」
歴史認識は時代とともに変化。日本の最大の歴史は太平洋戦争の敗戦である。
https://youtu.be/z4Y3iN7N_OY?si=JQyvrpdUMYgEjcs5
https://youtu.be/mgJ_6GsvwF0?si=lNUybecNofW3m7Sj
https://youtu.be/r30Ga4-wO6E?si=bHIq1tJzM8nvfvFk
観光資源としての日本の歴史
神話から解放された観光資源としての古墳
仁徳天皇陵古墳が学術的命名法に則り名称が大仙陵古墳に変更され、大仙陵古墳を含む「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産として登録(Ⓗ大阪府)した。2018年、宮内庁は堺市等と共同で大仙陵古墳
を発掘すると発表している。歴代天皇や皇族の陵墓を宮内庁が外部機関と共同で発掘するのは初めてで
ある。神話が絶対視された戦前の影響からようやく抜け出せるようになった。一般市民が関心を持つ観
光資源としての影響力が大きくなってきたからである。
日本では縄文時代前の時代を先土器時代、無土器時代と呼び、日本列島に人類は居住していなかったと考えていた。しかし1949年に相沢忠洋が岩宿(群馬県)で旧石器を発見し、現在までに四千カ所を超
える遺跡が確認されている。ほとんどが約三万年前から一万二千年前の後期旧石器時代のものである。
遺跡の発掘は、戦時中軍事工場建設で発見された登呂遺跡は別にして、多くが公共事業の施工による。
文化財保護法は、埋蔵文化財包蔵地での開発事業には事前届出等を求めており、吉野ケ里遺跡、三内丸
山遺跡が整備され、文化観光資源に活用されている。自治体も文化庁の風土記の丘整備構想、史跡等活
用特別事業(ふるさと歴史の広場事業)により、観光資源として整備を推進している。
考古学分野で旧石器時代の石器や遺跡が捏造された事件があった。この事件では、文部科学省、考古
学者、地域観光振興を図りたいという地方自治体の思惑も絡んで、国費が投じられた。捏造された石器
や遺跡は、メディアや行政にもてはやされ、教科書にまで掲載されていた(『神々の汚れた手 奥野正
男』)。二十世紀当初にも英国でピルトダウン原人事件が発生している。考古学的には捏造が証明されているが、今もなお記念碑が立てられ、コナンドイル犯人説等話題を提供する観光資源としての価値を保持し続けている。
観光資源としての日本史の歴史用語
公益財団法人日本交通公社は観光資源台帳を作成し、超A級観光資源を「わが国を代表する資源であ
り、世界に誇示しうるもの。日本人の誇り、日本のアイデンティティを強く示すもの。人生のうちで一
度は訪れたいもの」とするが、この台帳は、人為的空間概念である国境意識を前提とする限界を抱えて
おり、特に日本のアイデンティティには時間を超えた普遍性の検証が必須である。
① 源平合戦 平家物語(源平盛衰記)
源平の古戦場や史跡(Ⓗ宮島、Ⓗ平泉)は全国で観光資源として活用されている。源平合戦は源平合戦は「治承・寿永の内乱」の一部に過ぎず、源氏同士、平氏同士が争う現象は日本各地で見られた。父系で見れば源氏だが、母系で見れば平氏、またはその逆という武将も少なからずいた。平氏も源氏も多くの人が動員され、その戦時体制が鎌倉「幕府」となった。鎌倉幕府は予期せぬ結末でもあった。その字句「鎌倉幕府」は明治の造語である。
鎌倉幕府は皇国史観のもとで武家政権の始まりであるものとして嫌われ始め、鎌倉幕府創建という流
れを作った文覚上人は、芥川龍之介による1921年『袈裟と盛遠』を最後に語られることはなくなった
(『日本古代史の「病理」 相原精次』)。平家物語は鎌倉と瀬戸内海の合戦で話が完結するため、関東、東北の歴史観光資源が少ない。
② 江戸時代
近世日本の経済発展を1990年ドル購買力基準で測ると、一人当たりGDPは2010年21,935ドルであ
るのに対して、1600年667ドル、1846年905ドルと変化が少ないが、非一次部門のシェアが拡大し、貨幣需要は高まっていた。貨幣相場は安定しており、人流・観光にはプラスであった(『近世貨幣と経済発展 岩橋勝』)。
この江戸時代の評価は戦後も概して否定的であった。その影響もあり、世界遺産も姫路城が評価され
ているだけである。否定的な理由としてマルクス史観が挙げられるが、薩長史観を挙げる人もいる。福
沢諭吉は「門閥制度は親の仇」と言っていた。
高度経済成長を終了し、環境問題などさまざまな矛盾が露呈した時点においては、江戸時代が持続可能な経済のモデルとして再評価する人が出現した。これに対して、豊かな水田風景が生まれ、米が貨幣経済の中心になり、その結果人災とも思える天明の飢饉等が発生したのも江戸時代だという再々評価があるとともに、明治維新後数年を置かずに貨幣統合の新貨条例が公布できたのは、国内が緩やかに統合されていた江戸時代の貨幣市場だと評価を受けている。
③ 明治維新と日露戦争
③ -1 観光資源としての明治維新と西郷隆盛人気
字句「維新」は幕末から頻用されてきた字句「一新」を後で中国の古典詩経の文言に置き換えたこと
に始まる。詩経での維新の意味は王朝交代と同義であり、王政復古と矛盾する。幕藩体制の崩壊は藩の
滅亡につながるから、長州薩摩が討幕を藩の方針に掲げたことは一度もない。大政の奉還には、少数派
の倒幕派である西郷は御旗がなくなり困った。従って、王政復古の大号令は討幕ではなく、新政府のイ
ニシアティヴをだれが取るかということであった(『明治維新を考える 三谷博』)。『トマス・クック物語』でもこのことが分かりづらかったのであろう。幕末期の異人排斥テロリストと長州藩の区別ができていない。近世では字句「幕府」、「藩」、「朝廷」はほとんど使用されなかった(『東アジアの王権と思想 渡辺浩』)。これらは明治初期に定着した言葉であり、幕府は朝廷より正当性の乏しいもの、藩は中央の政府を守るべき正当性の乏しい存在であるといったイメージであった。
安藤優一郎は、西郷隆盛を人気者にしたのは地元民ではなく東京市民であり、明治政府への反発の裏返しであったとする(『幕末維新消された歴史』)。東京にも西郷隆盛に関る観光資源が多く存在するから、それなりに説得力を持つが、地元鹿児島には許容できない。
③ -2 司馬史観とその評価
『坂の上の雲』の舞台・旅順を、改革開放運動の最中は日本人観光客誘致のため、当局は積極的に活用
し、外国人立ち入り禁止区域から除外している。しかし二百三高地は高媛がいうようにホストは中国で
あり、日本もロシアもゲストに過ぎない。
司馬遼太郎に渡辺京二は手厳しい(『幻影の明治』)。幕末の日本人大衆は、馬関戦争では外国軍隊の砲弾運びに協力してそれが売国の所業だとは全く考えていなかったという例を出す。戊辰戦争で会津藩が官軍に攻められたときの会津の百姓も、官軍に雇われて平気の平左であった。同じ行動は、中国の民衆にも表れる。為政者が英国人でも土地の支配階級でも同じである。つまり近代国家概念が後で作られたものだからである。
(ウクライナ、ロシアの徴兵のがれ)
日露戦争開戦直前まで、日本は官民を問わず戦争を望んではいなかった。山本権兵衛は朝鮮など放棄していいと言っていた。それが馬関戦争で弾運びをしていた民衆が、祖国のために一命を賭する「国民」に変化した。「国民」が存在しない清国の状況を憂えた女子留学生(『秋風、秋雨人を愁殺す 武田泰淳』の主人公)は、1907年紹興での蜂起を計画し処刑されたが、西湖畔(Ⓗ杭州)の秋瑾像は日中両観光客の資源となっている。
司馬氏も、「ロシアに勝てた」のは、近代化の達成においてロシアをしのいでいたからだとしたかった
のだが、現代の日露戦争勝敗観は大きく変化しており単純な評価ではなくなっている。満蒙地域における戦闘の評価はこれからも変化し、その変化とともに観光行動も変化する。ノモンハン事件・ハルハ河戦争の世界史上における歴史認識評価(『ノモンハン戦争 田中克彦』)が変われば、この地域はスターリングラードの攻防、ミッドウェイ海戦をしのぐ大きな観光資源になる可能性がある。
3-2-4 歴史教育が偏在させる世界文化遺産
ユネスコに登録されている世界文化遺産は地域的に偏在している。限られた時間の中での歴史教育には限界があり、他国の歴史に関しては、欧米、しかもキリスト教に偏りがちであることが、世界文化遺産の数に影響していると思われる。
(シリア等メソポタミアの遺跡への国際的保存を訴えるメディアが少ない)
ルネサンスの三大発明はすべて、シルクロードを通じてもたらされた宋の発明品の改良である。火薬・鉄砲は騎士の没落を引き起こし、羅針盤は大航海時代を可能とし、活版印刷は宗教改革を可能としたから、欧州アジアを超えた人類全体の遺産である。歴史教育も民族教育に重ねて人類に共通する、あるいは異民族の歴史を学ぶことにより、世界遺産に関する理解も進展する。
戦時に敵味方なく救援活動を行う赤十字はイスラム諸国では赤新月と呼ばれるから、「十字」軍(Ⓗバ
レッタ、マルボルグ、トマール、ミストラ、ロードス島)という見方も再考察が必要である。占領軍、解放軍も見方が異なれば逆転する。イスラム世界やインドの歴史、中央アジアに関する歴史教育が変われば、世界遺産も変化する。
◎ 戦争と観光資源
3-1 戦争とメディアと観光
メディアは刺激を基本とするから、戦闘を好んで取り上げる。戦争の記憶や記録には刺激があり、人を移動させて見に行かせる力がある。アルゼンチン沖のフォークランド諸島は、多くの日本人は英国民の戦争熱を煽りたてた戦争報道により初めてその存在を知った。その結果、人流・観光資源となったのである。
米国メディアが米西戦争で販売部数を拡大したように、日清戦争時、新聞は国民にむけて多くの戦争
報道をした。従軍記者を送るなど戦争報道に強かった大阪朝日新聞と中央新聞が発行部数を伸ばした。
戦争報道は、新聞・雑誌で世界を認識する習慣を定着させるとともに、メディアの発達をうながしたが、
人々の価値観を単一にしてしまう危険性を持っていた。清が日本よりも文化的に遅れているとのメッセージを繰り返し伝えたからである。満州事変時も、庶民はむさぼるように事変を報道する新聞を読み、ラジオを聞いた。
今日でも、バルカン半島情勢、中東情勢等を、CNNやBBCなどの英語圏メガメディアがどういう報
道をするかによって、国際世論が形成され、現実の国際政治も動くという事態が出現している。フォー
クランド戦争時、英国世論とメディアの多くはサッチャー政権を支持したから、第一次大戦時の様相と
あまり変わりはない。
3-2 「ダーク・ツーリズム」概念の再構築
3-2-1 興味度と「嫌い」度
「ダーク・ツーリズム」概念は1990年代に提唱され始めた。脳内反応の可視化による脳波信号解析の手法を用いて説明すれば、「興味度」が高いもののうち、「嫌い度」が高いものを人流・観光資源として分類するということになる。この「嫌い」の感性は「好き」の感性以上に複雑な感性であり、単純に「ダーク」とまとめて分類できないものである。また「嫌い度」が強くて「興味度」を遥かに超えてしまうと観光資源価値が消滅してしまう。韓国のいわゆる敵産家屋は日帝残滓、日帝痕跡として認識され、朝鮮総督府、旧ソウル市役所等は消滅してしまっている。ムンバイの駅舎チャトラパティ・シヴァージー・ターミナスは大英帝国植民地支配の象徴であったが、世界遺産に登録され観光資源として活用されている。人流・観光政策として重要なことは「嫌い度」を上回る「興味度」になるように施策を講じることであり、メディアの活用もそこに求められる。
ダークとする価値観は中期的には風化の第一歩を進み出すものである。記憶が風化すれば価値中立的になる。政治学としてはそれで問題解決である。源平合戦の史蹟のようなものであり場所そのものが曖昧にすらなる。そうなると刺激性が薄れ、人流・観光資源としての価値は少なくなり、学術的、芸術的価値のあるものだけが残る。
3-2-2 殺戮の記憶・記録の展示
戦争は国家政策の一つであり、外交の延長上で考えられていた時代には、適当なところで講和をはかった。ところが第一次、第二次大戦ではメディアもあおりたてる国家総力戦に変化し、非戦闘要員も巻き込まれる大規模な殺戮戦となった。その結果、戦争の記憶・記録が刺激性の点において最大のものとなった。この殺戮の記憶・記録の中には、古典的な国際法上の戦争行為の範疇にはおさまらないものがある。
世界遺産に登録されているアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所、原爆ドームが代表例である。しかし、スミソニアン博物館では原爆投下機エノラ・ゲイの展示はひっそりと行われている。価値判断が比較的多くの人に共有されているものですら、注目を浴びたタイミングまでを考えると、極めて政治的なものである。大戦直後には意図的であったかはともかく、それほど注目されなかったホロコーストや原爆被害は、あとで思い出す行為であったから「フィクション」が入り込む可能性がある。それでも人流・観光資源としては、刺激が強ければ力があるということになるのである。
🌍🎒シニアバックパッカーの旅 動画で見る世界人流観光施策風土記 2016年2月 中東・東アフリカ旅行記5 ルワンダ(国連加盟国71か国目)キガリ虐殺記念館
カンボジアのトゥール・スレン虐殺犯罪博物館は『キリングフィールド』(1984年)、台湾の台北二二八記念館は『非情都市』(1989年)、ルワンダのキガリ等にある虐殺記念館は『ホテルルワンダ』(2004年)といった映画とともに話題を継続させ、多くの訪問者を得ている。その一方、映画化されていない二十世紀最初のジェノサイドであるナムビア先住民ヘレロ・ナマクア虐殺は、当事国住民以外は知らないのである。
3-3 抑留の記憶
第一次大戦の敗戦国独国は、戦後賠償支払のための外貨を市場調達したため、世界的な貿易不均衡を生み出した。この問題を回避するため、ヤルタ会談では賠償は外貨や正貨支払いではなく、役務や現物による支払いで行われることが合意された。この役務賠償の考え方は捕虜の強制労働を正当化する理由になった。ソ連がポーランド侵攻以降獲得した独国軍捕虜は四百万人に及び、1948年末の段階で五十七万人が死亡し五十四万人が未帰還のまま抑留された。1945年2月米英ソにより日本の敗戦処理を巡るヤルタ秘密協定が取り決められ、ソ連参戦は独国敗戦日(5月7日)の九十日後と決められた。日本政府は7月27日に発せられたポツダム宣言受諾を90日後である8月7日を経過しても受諾せず、結果的に8月8日にソ連参戦が実行された。なお、米軍による広島原子爆弾投下は8月6日であり(Ⓗ原爆ドーム)、ポツダム宣言受諾は8月14日に行われ、9月2日休戦協定が締結された。
この結果日本軍捕虜等もソ連によって主にシベリアなどへ労働力として移送された。その数は約五十七万五千人であり、約五万八千人が死亡した。シベリア抑留をテーマにした作品は『不毛地帯』『暁に祈る』等があるが、終戦時のソ関係を分析した歴史研究は数少なく(『1945 予定された敗戦 小
代有希子』『暗闘 長谷川毅』)、新たな観光資源が期待できる。
満州開拓移民政策は日本の貧しい農村救済を意図して作成された。しかし、地主勢力は小作人減少により土地の生産性が低下し小作料が減少することを恐れ反対し、また小作人からの希望者も少なく、計画の一割の十万戸に留まった。敗戦により、多くの開拓移民団の人々が抑留され、あるいは集団自決し、残留孤児となった。この悲劇も『大地の子』等に描写されているが、苦難の歴史を伝える満蒙開拓平和記念館は、共有性に乏しく苦戦している。
3-4 開戦、終戦の記憶・記録遺産
日米開戦を決定した歴史的事実は、終戦責任の記憶遺産に比べて、ドラマ性のある記録が共有されていない。米国では真珠湾攻撃の記憶が強くアリゾナ・メモリアルが人流・観光資源となっているが、英国領マレー半島攻撃は現在では観光資源化されていない。
🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2012年8月 ドイツ(ノイシュバインシュタイン城、ヴィース教会、ニュールンベルグ、運河)
ニュルンベルク・フュルト地方裁判所六○○号陪審法廷は、ニュルンベルグ裁判が開催された法廷として資料、展示物が観光資源化されている。極東国際軍事裁判(東京裁判)は旧陸軍士官学校講堂で開催された。防衛庁の移転に伴い市ヶ谷の自衛隊用地が再開発された機会に、防衛省が管理する「市ヶ谷記念館」の一部として講堂が、記録資源として保存されているが、東京裁判で使用されたとしか表示されておらず、資料等の展示は一切ない。旧陸軍大臣室に残した三島由紀夫の刀傷の方がむしろ人流・観光資源化している。東京裁判の結果死刑が執行されたA級戦犯が合祀されて以来、靖国神社の知名度は国際的に向上した。保坂正康は「軍国主義が正当化されている」とするが、人流・観光資源的価値は高まった。フィクションもまじえたエンターテインメント性の強いものであってもかまわないから、関係国の一般庶民も認識出来るように戦争結果を人流・観光資源として共有化することが、更なる人を移動させて見に行かせる力となる。時間が経過すれば好感度、拒絶度で測られる感性は相対化し、興味度の強弱により人を引き付けられるようになる。そうなれば、国際人流・観光政策としては成功である。
3-5 戦後の産物である戦艦大和とゼロ戦
敗戦後、心のよりどころとして戦艦大和とゼロ戦が認識され始めた。大和の存在が初めて国民に広く紹介されたのは、1952年に発刊された吉田満の小説『戦艦大和ノ最期』であり、長くGHQの発禁を受けていた。零戦は戦時中国民に知られていなかった(神立尚紀『祖父たちの零戦』)。1939年11月の新聞が初出で、採用から四年後である。1953年『坂井三郎空戦記録』がベストセラーになり、1959年の漫画雑誌によりゼロ戦ブームが起きた。
4 日中韓の歴史認識の観光資源化
極東地区でも、欧州に倣い巨大な人流圏の形成が期待でき、そのためには歴史認識問題も観光資源に変化させなければならない。
4-1 歴史・伝統の持つ脆弱性と相互交流の必要性
モンゴル国民がチンギスハーンの存在を認識するのは社会主義時代になってからである。ロシアがモンゴル国民に対して否定的に宣伝したからである。ところが、それまでモンゴル国民には存在が忘れられていたから、逆にその存在の認識が強化された。その一方ロシアのシベリア進出はモンゴル帝国撤退後の権力の真空により可能となったのであり、中国を警戒して北側から始まっている。
中国民族は概念としては梁啓超以来使われていたが実体はなく、それを一挙に内実化したのは日本との戦争であった。日本の首相の靖国参拝は日本軍国主義の復活批判にはなっても、中国の大規模な民衆運動には発展しない。愛国主義教育基地と呼ばれる場所で、日本兵の軍服を着て笑顔で記念写真を撮る若者がいることが時に問題になるくらいである。いわゆる赤色旅行は本来の目的を離れて、現地の経済発展及び交通などインフラ整備の名目になっているのも現実である。靖国神社や南京虐殺記念館、安重根記念館も、世間の評価で対立が先鋭化するから政治的に対立するが、興味の対象である観光資源として評価すれば対立しない。
4-2 重層構造の記憶を持つ観光地
満州を題材に日本人の観光に焦点を当てて分析を行った高媛は、中国人から見た「代理ホスト」と「ゲスト」である日本人観光客のまなざしを分析している。一般に「代理」は「本人」に対する言葉であるが、「本人」性をめぐっては政治的、歴史的見解はさまざまである。日本とロシアはゲストであるが、歴史的な「本人」は変化してきているから、あくまで現代から見た「本人」ということになる。
日米が戦ったグアム戦跡等に対する感情は対立的に明示化され、旧米軍兵士と旧日本軍兵士の間では明らかに違いが出る。しかしグアムのホストはチャモロ族であり、観光資源を求めている。沖縄の戦跡等は、時間の経過とともに沖縄と本土住民の違いだけではなく、沖縄住民の間での観光資源化に対する認識の違いを生み出している。
4-3 ゲルニカ事件と南京大虐殺の評価(死者数評価)
ゲルニカ空爆はスペイン内戦中に独空軍が行った都市無差別爆撃であり、ピカソの絵画により観光資源になった。1997年の六十周年式典で独国大使が独国連邦大統領の謝罪文を代読し、翌年独国国会がゲルニカ爆撃の謝罪を決議している。バスク自治政府は死者数を1,654人と推定し、フランコ派の学者による死者数は12人から250人まで幅がある。
南京大虐殺は東京裁判により日本人も初めて知らされた。犠牲者の数等を巡り歴史認識問題が叫ばれ、現代の日本人の多くの記憶にある資源になった。外務省HPでは南京入城後、非戦闘要員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないとし、被害者の数については諸説あり、政府としてどれが正しい数か認定が困難としている。ゲルニカ事件と同様、日中双方の観光ビジネス資源として活用することが賢明な方策である。
4-4 国恥日、敵産遺産の観光活用
現代中国では、「国恥百年」は英国相手のアヘン戦争からの百年であり、対華二十一カ条要求受諾(1915年)の5月9日、満州事変勃発(1931年)の9月18日、日中戦争勃発(1937年)の7月7日はそれぞれ国恥日となり、中国国民の記憶遺産になっている。ちょっとした小競り合いから始まった盧溝橋事件も、中国人民抗日戦争記念館が設置され、2001年に小泉首相が訪問している。観光資源化すれば、日本人ツアーも増加し歴史認識にも影響を与える可能性がある。
4-5 記憶・記録遺産の評価手法の開発
歴史認識は、人流・観光でいえば観光客に対するガイドからの事前説明に等しい。その説明の影響を強く受けるのである。感性アナライザーを用いた実証実験では、ガイドの説明がある場合に興味度が高くなるから、軍艦島等に対する観光客の興味度は、ユネスコでの論議がガイドブックの効果をもたらし、国籍を問わず高くなるものと考えられる。興味度が高くなれば有望な人流・観光資源となる。
歴史認識に関する反応は、多分に建前が作用している。建前が現れるアンケートによるデータと、本音があらわれる感性アナライザーによるデータの相互比較をしてみると、更に有意なデータが得られるかもしれないが、現在の脳波計測では限界がある。歴史認識で話題になるのは「嫌い度」、「ストレス」の感性である。「嫌い度」の反対が単純に「好き度」になるのではなく、「嫌い」の感性は複雑である。歴史認識問題を通して「嫌い」の分析をすることは観光学とは別の次元ではあるが研究の一つの道であろう。
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