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🌍🎒シニアバックパッカーの旅 ④ 2016年5月20日 マンダレーイラワジ川河畔にて父親の散骨

公開日: : 最終更新日:2023/06/13 シニアバックパッカーの旅

朝五時出発。少し早すぎかも。渋滞がなく、三十分で到着。タクシー代は8000。少し安い。ホテルで用意してくれた朝食ボックス。卵とバナナに、サンドイッチ。水があるので、セキュリティの前に食べる。いつもは空にしたペットボトルを確保して、あとでミネラルウォーターを入れて使うのだが、うっかり放棄してしまった。それほど水分補給が必要でもない体質なので、今日は昼食まで大丈夫だろう。空港は朝から賑やかだ。活気があるのだ。トイレはハンド式ウォッシュレットだが、トイレットペーパーもあり。私はモンゴルの山岳部旅行以来、ウェットティッシュを準備するようになった。
現地通貨が気になり、もう一度セキュリティの外にでて、両替。今度は5000札があり、薄い。一人なら歩けばいいので、両替は最小限だが、つれがいるので、タクシー用に余裕が必要。マンダレーは入域料が10000いるので、多めに両替。入域料はいい制度だ、日本も見習うべき。京都の拝観料騒動のような次元の騒動が回避できる。しかし、税金に近いから問題もあるかも。
ガイドブックでは、レストランはカードが使える店がほとんどない。しかしビエンチャンでも、ガイドブックとは異なりカードがつかえたから、増えているだろう。

マンダレー行きの飛行機はAirKBZ 何度かスケジュールが変更になるものの、その都度Skypickerから連絡が来たので心配はしなかった。タクシー代金は8000ミャンマードル、順調に到着できたので、空港で時間があまる。国内線だが人が多い。国内線ターミナルはイギリス時代に使用していたのだろう。雰囲気がある。
搭乗口が3番とでていたが、実際は1だった。アナウンスが聞きとれないが、ゲートが三つしかないから、混乱はない。何度も搭乗券を確認されるので、こちらが勘違いしても、乗り間違えはないだろう。

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フライトは2カ所に立ちよる形で、搭乗は飛行機の後ろから。KBZの意味が、機内誌でようやくわかる。Kanbawza
の略。でも、ミャンマー語の意味がわからなかった。翌日ガイドさんに聞いて、シャン州の名前のことだと分かった。資本家は中国系だそうだ。
マンダレー自体が中国の影響を大きく受けるようになっており、リトルチャイナと呼ばれているとネットには出ていたくらいだ。

マンダレー到着。タクシー手配のカウンターに直行。アマラプラ経由マンダレー。どれくらいアマラプラにいるかと聞かれ、実際のことが分からないので30分と適当に返事。手配所職員が18000ミャンマせかいちいうのでokした。Googleマップで見ていると、アマラプラはマンダレーに行く途中にある。四十分程度で「アマラプラ」に。

ミャンマー第二の都市マンダレーの郊外「アマラプラ」、ここにはウーベイン橋という夕暮れ時がことさら素晴らしい橋がある。知る人ぞ知る世界最長の木造の橋で、全長1.2km

 

ムーベイン橋は世界一長い木橋

プロの写真はウユニ湖と同じく水が満ちているときの美しい風景。
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素人写真
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橋は修理中。雰囲気はあるが、河畔をよくみるとゴミだらけ。欄干もコンクリート使用箇所がある。時間がたてば、改善されるだろう。潜在力はある観光資源だ。マンダレー入域料の予算がまわっているはずだが、きちんと回収できていないのだろう。タクシーにはアマラプラに少し長くいたのでチップを弾むことにした。

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マンダレー市内はどこにつけるかとなり、イラワジ川に直行してもらうことにした。12時近くなりマンダレー市内は交通混雑が激しい時間帯だった。20000ミャンマードルあげた。
イラワジ川河畔を探し、散骨場所を決定した。生活の場所なので静かなところが少なかった。
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子供たちがよってくる。キガリの子供たちを思い出す。
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父親の供養になる。ミャンマーは父親には生死をかけた思い出の地。場合によっては、七十年前に、ミャンマーで死んでいたかもしれないのだ。インレー湖近くの戦場にも機会があれば行ってみたい。

散骨後河畔ではタクシーが客引き、マンダレー駅まで5000でまとまる。駅はわかりやすいのだが、一般的には治安が悪い場所。気をつける。
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人民病院の前を通り、機内誌MAI HsoongにでていたMINGALABARをわざわざ探していってみた。途中タウンウォッチング。都心部の住宅地で麻布や神戸を思い出す。鉄条網の家をみて、治安が悪い時期があったのだと理解。托鉢の尼さん。お金をわたしていた。通り番号を頼りに歩けば目的地に着くことができる。
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ミャンマー料理店があった。カレーはチキンとポーク、突きあわせがミャンマー風?ビールはミャンマービールとマンダレービール青ラベルを注文。
店はカードがつかえなかった。注文のコーヒーが忘れられる。後で無料サービスしてくれた。でも砂糖いりだった。
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マンダレーヒルまでのタクシーの交渉。マンダレーヒルまで片道7000。でも8000支払いした。ドライバーは表情を変えなかった。
入場に靴、靴下をぬぐ。靴箱にしまえという。手での持ち込み禁止と書いてある。といって、此処に戻ってくる道がなく不思議におもう。結局裸足で道を歩いて元の処に行かざるをえず、帰り道の案内は不親切だった。また床はすべりやすく、いつか怪我人がでるだろう。ドーネーションなどいってられなくなるのではないか。歩道を歩かすのだから足がよごれるのは間違いがない。おまけに、裸足で道を歩いて下駄箱に行くとドーネーションを要求された。下足番のお嬢さんの給料になるのだろう。それでも景色は抜群であった。
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帰り道の相乗りジップニーは1000,王宮で降ろされたが、入り口まで2キロ歩くことになった。10000のマンダレー入域料をここで支払う。中を一時間程度散策。中で生活をしている人もいるようで、入域料は外国人のみか。
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疲れたのでタクシー15000で空港直行。激しい雨。タクシーはいつもつけるところで降ろそうとする。これでは雨に濡れてしまうのだが、ドライバーは意に介さない。悪意はないのだが、こちらは雨に濡れるのが慣れていない。移動してくれと頼んで、ようやく意が通じた。早く着いたので、セキュリティの前に、レストランでビール。喉が渇いていたので美味しい。ミャンマービールとマンダレービールを飲む。時間が来たのでチェックイン。雨が激しい降っていたので欠航を心配したのだが、一安心。バスからタラップまで職員が傘を数珠繋ぎにさしてその間を濡れないようにして乗り込む。日本なら客に傘を貸して、自分でさしてもらうのだろう。どちらが合理的かはわからない。
席は自由席で好きな席を選べる 。搭乗券をもらった時に席が書いてなく不思議に思っていたが、自由席とは 初めての経験。ウェイトアンドバランスは無視できるのなら合理的。
食事は朝と全く同じパターン。食事を運ぶ台車に膝をぶつけられる。ジュースを配るときもさっさと配るものだから、注文を聞き逃していた。
無事ヤンゴンに戻る。旅行の最大の目的を果たしたのでやれやれだ。

 

 

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