*

満州の中国化 中国東北部の民族構成の歴史的推移

公開日: : 最終更新日:2023/05/20 人口、地域、, 歴史認識

高媛氏の『観光の政治学』の主要テーマがホスト(中国人)、代理ホスト(在満日本人)、ゲスト(外国人)がくりなす満州観光である。この構図は、帝国主義時代には植民地では一般化が可能な図式であるが、かねてから、ホストの相対化という問題意識をもっていたので、掘り下げてみたいと思っていた。例えば「満州」(中国東北部)の民族構成の歴史的推移である。

北岡伸一氏の『官僚制としての日本陸軍』(2012年筑摩書房)pp152-153にその一端が掲載されている。
清国は1668年以来、漢民族の満州移住を原則禁止。文化と経済に優れ強い同化力を持つ漢民族から、慎重発祥の地である満州を守るためだった。
しかし、日本ロシアの進出で、小規模な人口では対抗することが困難。清国は1907年東三省を置いた。満鉄創立の翌年である。総督、巡撫は袁世凱配下が多く、親米派官僚。
満州は中国のどの地域よりも安定し、発展した。人口増加となり現れる。
満州史会編『満州開発四十年史』上 兼光社 1964年 によれば、
満州における中国人人口は推定で、年平均56万4千人の人口増加。日露戦争から満州事変までの26年間に、1241万9千人の増加
1908年 奉天省 1079.6万人 吉林省 455.3万人 黒竜江省180.7万人 計1715.6万人
1930年     1515.2万人     919.2万人     623万人   2957.5万人
これに比べて日本人の増加は、1906年関東州1.2万人、満鉄付属地0.3万人
1930年関東州11.6万人 満鉄付属地9.9万人、その他1.8万人

なお、中国人人口が増加したことは統計上明確であるが、漢民族、満州民族、朝鮮人民族などの内訳が必要であろう。
ホスト、ゲスト論も、近代法の国籍による分類概念は現在から過去を見るものであるが、国家統一概念が希薄すれば、また変化するものでもある。

関連記事

no image

「太平洋戦争末期の娯楽政策  興行取締りの緩和を中心に」 史学雑誌/125 巻 (2016) 12 号 金子 龍司

本稿は、太平洋戦争末期の娯楽政策について考察する。具体的にはサイパンが陥落した一九四四年七月に発

記事を読む

no image

QUORA ゴルビーはソ連を潰したのにも関わらず、なぜ評価されているのか?

ゴルバチョフ書記長ってソ連邦を潰した人でもありますよね。人格的に優れた人だったのかもしれませんが

記事を読む

no image

Quora カンボジャ虐殺の原因は米軍という解釈

Osamu Takimoto·金10年ほど海外で生活していました最も誤解されている歴史上の人物は誰

記事を読む

no image

ふるまいよしこ氏の尖閣報道と観光

ふるまいよしこさんの記事は長年読ませていただいている。 大手メディアの配信する記事より、信頼できる

記事を読む

no image

QUORAに見る歴史認識の一意見 東条英機と昭和天皇の関係に関する一意見

東条英機氏は几帳面で小心、そして子煩悩なな男だった伝えられている。石原莞爾氏などは、東条氏の小物

記事を読む

no image

Quora ヒットラーとユダヤ人 

彼は共通の敵を作ることで、国民の心を掌握しようとしました。その標的としてユダヤ人を選んだのです。

記事を読む

「ブラックアース~ホロコーストの歴史と警告」ティモシー・スナイダー著池田年穂訳 を読んで

ホロコーストについても、観光学で歴史や伝統は後から作られると説明してきたが、この本を読んでさらにその

記事を読む

no image

『満州事変はなぜ起きたのか』筒井清忠著 中央公論新社 2015年

日米戦争=太平洋戦争はかなりの程度、日中戦争に起因し、その日中戦争はかなりの程度、満州事変に起因する

記事を読む

no image

平野聡著『大清帝国と中華の混迷』を読んで

ヴァーチャル旅行韓国中国東北編を記述する際の参考に読んでみた。大変参考になったが、筆が走りすぎてい

記事を読む

no image

横山宏章の『反日と反中』(集英社新書2005年)及び『中華民国』(中央公論1997年)を読んで「歴史認識と観光」を考える

 歴史認識を巡り日本と中国の大衆が反目しがちになってきたが、私は歴史認識の違いを比較すればするほど、

記事を読む

PAGE TOP ↑