満州の中国化 中国東北部の民族構成の歴史的推移
高媛氏の『観光の政治学』の主要テーマがホスト(中国人)、代理ホスト(在満日本人)、ゲスト(外国人)がくりなす満州観光である。この構図は、帝国主義時代には植民地では一般化が可能な図式であるが、かねてから、ホストの相対化という問題意識をもっていたので、掘り下げてみたいと思っていた。例えば「満州」(中国東北部)の民族構成の歴史的推移である。
北岡伸一氏の『官僚制としての日本陸軍』(2012年筑摩書房)pp152-153にその一端が掲載されている。
清国は1668年以来、漢民族の満州移住を原則禁止。文化と経済に優れ強い同化力を持つ漢民族から、慎重発祥の地である満州を守るためだった。
しかし、日本ロシアの進出で、小規模な人口では対抗することが困難。清国は1907年東三省を置いた。満鉄創立の翌年である。総督、巡撫は袁世凱配下が多く、親米派官僚。
満州は中国のどの地域よりも安定し、発展した。人口増加となり現れる。
満州史会編『満州開発四十年史』上 兼光社 1964年 によれば、
満州における中国人人口は推定で、年平均56万4千人の人口増加。日露戦争から満州事変までの26年間に、1241万9千人の増加
1908年 奉天省 1079.6万人 吉林省 455.3万人 黒竜江省180.7万人 計1715.6万人
1930年 1515.2万人 919.2万人 623万人 2957.5万人
これに比べて日本人の増加は、1906年関東州1.2万人、満鉄付属地0.3万人
1930年関東州11.6万人 満鉄付属地9.9万人、その他1.8万人
なお、中国人人口が増加したことは統計上明確であるが、漢民族、満州民族、朝鮮人民族などの内訳が必要であろう。
ホスト、ゲスト論も、近代法の国籍による分類概念は現在から過去を見るものであるが、国家統一概念が希薄すれば、また変化するものでもある。
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