箱根について 藤田観光元会長の森本昌憲氏の話を聞いた結果のメモ書き ジャパンナウセミナー
公開日:
:
最終更新日:2023/05/30
ジャパンナウ観光情報協会, 人口、地域、
2017年10月13日ジャパンナウ観光情報協会の観光立国セミナーで森本氏の話を聞く。日本ホテル・レスストランサービス技能協会の会長もされており、
「レストランサービス技能検定」という国家試験に興味もあったからだ。30年間に3万人が資格を得たとある。年間1000人であるから、一学年50名が資格を得たとしても、20校が参加をしなければならない。国家の後押しがないと継続できないであろう。
箱根は7湯17湯に拡大し、現在は20湯だそうである。一体感を持つには苦労があったようで、関所があった時代は全くバラバラであったそうだ。
昭和30年代藤田観光が加わるころに、富裕層の別荘地が一大観光地になってゆく。「1000円富士」で関東近郊からバスで大量動員を始めたころ、他の旅館でも日帰り入浴・休憩食事を始めた。
昭和50年代小涌園は箱根の1割を占める。毎日2千人から3千人の利用者、従業員1200名、温泉饅頭、温泉卵、
1983年東京でディズニーランドの開業 箱根が修学旅行のコースから外れる。それまでは70万人が鎌倉、皇居のコース 新婚旅行も完全に消える。
日本テレビの箱根駅伝実況中継 1987年~
知名度が全国区、冬場のシーズンオフから通年リゾートに変化。テレビ映りを気にして街の美化が促進
箱根の一体感が進む 江戸時代から箱根の山は「ケンカの険」であった。
三大駅伝 1920年~箱根駅伝 1970年~全日本駅伝 1989年~出雲駅伝
平成28年 宿泊415軒 一軒当たり平均96名収容 保養所等も入れると10年で90軒が減少
宿泊客434万人うち外人46万人
関連記事
-
デジタル化と人流観光(ジャパンナウ観光情報協会原稿)
ジャパンナウ3月号1400字原稿 デジタル化と人流・観光(1) 通信の秘密が大日本
-
ジャパンナウ観光情報協会原稿 2020年3月 コロナウィルスと人流規制
コロナウィルス騒動の中、旅行先のサンサルバドル空港では空港レストラン職員もマスクをしていた。入管係
-
満州事変(1931年)前の訪日中国人の割合は現在のインバウンド政策時代の割合と変わらない
戦前鉄道省に国際観光局ができる前年の1929年の外客数は34755人であり、うち中華人16300
-
文化人類学で読み解く北朝鮮社会 伊藤亜人 公研 2017年10月号No.650
韓国人がなぜ、国内海外を含めてあれほど旅行をするのか考えていたが、一つの答えが見つかったような気がす
-
シニアバックパッカーの旅 ジャパンナウ原稿 人流大国・中国
LCCの深夜便を利用して、1泊3日の南京(850万人)、蘇州(1060万人)、杭州(920万人
-
矢部 宏治氏の「なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?知ってはいけないウラの掟」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52466 外務省がつ
-
中国の観光アウトバウンド政策 公研No.675 pp45-46
倉田徹立教大学法学部教授 1997年にアジア通貨危機、2003年にSARS流行発生時、香港経
-
総理所信表明演説に登場した「人流」と旅主概念への期待 JN10月号原稿
岸田総理は「人流」規制を行う法改正を趣旨とする所信表明演説を行った。前世紀末橋本内閣時の閣議決定「
-
『ヒトはこうして増えてきた』大塚龍太郎 新潮社
p.85 定住と農耕 1万2千年前 500万人 祭祀に農耕が始まった西アジアの発掘調査で明らかにさ
-
「若者の海外旅行離れ」という 業界人、研究者の思い込み
『「若者の海外旅行離れ」を読み解く:観光行動論からのアプローチ』という法律文化社から出版された書