日本の治安と薬物
●アヘン戦争以前(1840年以前)
アヘンは、1840年からのアヘン戦争の前から、既に日本に入ってきており、医療用や滋養強壮薬として国内のいくつかの地域で栽培もそれなりに進み、江戸では普通に売られていたようです。ただ、日本では喫煙の習慣があまりなかったこともあり、清国のように嗜好品としては大々的に広まっていませんでした。
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●アヘン戦争後(1840〜1868年)
幕府は、アヘン戦争の詳細な情報をオランダから得ており、大国たる清国の敗北と欧米列強の力に驚き、異国船打払令を取り止めるなど、欧米諸国とのトラブルを回避しようと注意を払うようになっています。
そして、清国でのアヘン蔓延の状況に強く危機感を感じていて、イギリスからは貿易をしていなかったので直接は入ってくることはありませんでしたが、清国経由で入って来る可能性は当然あったため、取り締まりを厳しく行い、概ね水際で食い止めることに成功しています。
この幕府の方針は、開国後の五カ国(米英蘭仏露)との不平等条約締結の際も維持されており、条文にアヘン輸入禁止の文言を入れることに成功しています。
ただし、開国後の外国人居留地では、段々と外国人(特に清国人)によるアヘン密輸が横行するようになっており、居留地近くの遊郭などで中毒患者が多く発生するようになっていました。
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●明治前半(1868〜1894年)
このことから、幕末からアヘン禁令を度々通達するようになり、戊辰戦争中の明治政府も、1868年4月に早速アヘン禁令を布告し、1870年9月にはアヘン使用・売買を重罪とする法律を作っています。
なお、1877年12月に、イギリス商人によるアヘン密輸事件「ハートレー事件」が発覚するなど、少量とはいえ、不平等条約下の密輸には頭を悩ませることになっています。
その後、1879年の阿片専売法により、明治政府は、国内外のアヘンを医療用として独占的に購入し、許可されて薬局のみで販売する(アヘン農家と購入者は登録制)法律を施行し、1894〜95年の日清戦争で大きな利益を上げました。
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●明治後半以降からの終戦まで(1895〜1945年)
明治政府のアヘンに対する方針が変わるのは、おそらくここからです。
日清戦争の勝利により、初の植民地となる台湾を獲得した明治政府ですが、清国領だった台湾は案の定アヘンの使用が蔓延していたこともあって、すぐのアヘン禁止は行わずに、専売制によりアヘン生産と流通をコントロールしつつ収益を上げていくようになります。
この過程で、日本国内でも台湾向けのアヘン生産が活発化することになり、日本にとってのアヘンというのは、内地では一貫して禁止ですが、植民地での大量生産、および植民地向けに販売を拡大していくことで莫大な収益を上げていく一大ビジネスに変貌していきました。
そして、大日本帝国のアヘンビジネスは、新たに植民地や租借地を獲得する度に拡大していき、中国の軍閥(特に張作霖と張学良の奉天派=東北軍閥)とのアヘン権益の奪い合いを経て、特に、1930年代の関東庁と満州国においては、かつてのイギリスのアヘン貿易とは比較にならないほどの国家的な巨大産業にまで成長しました。
実際のところ、大日本帝国の対中侵略における財政的な部分の多くは、巨大なアヘンビジネスが支えたと言っても過言ではなく、それどころか、アヘンビジネスの拡大政策が、対中侵略の方針に大きな影響を与えたと言えます。
(ちなみに、中国の軍閥側の抗日運動の資金源もアヘンビジネスだったりします)
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