『ピカソは本当に偉いのか?』西岡文彦 新潮新書 2012年 を読んで
公開日:
:
最終更新日:2023/05/20
観光資源
錯覚研究会での発表に備えて読んでみた。演題が「ピカソの贋作は本物を超えるか」としたため、慌てて読んでみたということでもある。観光資源の価値は刺激にあり、本物より偽物の刺激が強ければ価値があるということになる。
本書は、どうして、キュビズムと呼ばれるような絵を描くようになったのか、あんな絵がどうしてそんなに高値で売れるのか、といことが趣旨であった。
ピカソは制作した作品の数が多い。油絵は約13000点、版画や素描や陶芸などは13万点以上ある。これだけ多ければ贋作も多いと予想される。笑い話かもしれないが、ピカソの絵を題材に小学生が練習をした作品まで贋作として通用してしまう。しかし、画商が作品リストを作成し管理しているから、リストに掲載されていないものは本物とは認められないのであろう。ピカソの贋作の最大のコレクターはピカソ自身だった、という伝説まである。
フランス政府はピカソの亡くなる5年前に遺産相続制度を改正し、相続税を美術品などによる物納を認めた。この新法のおかげで、ピカソが死亡した際に遺した多くの美術品がフランス政府国有のものになった。この新法は別名「ピカソ法」と呼ばれている。ピカソが死亡した際に残した美術品の評価額は、当時で約7500億円とされる。ピカソが幸運だったのは、20世紀初頭に新進画家としての評価を確立して、印象派に続くスター芸術家を求めていたマーケットの時代に完璧に答えたことにある。そういう意味ではピカソは、絵画史上に初めて登場した「最初から投機目的で買われる絵画」を描く芸術家であった。実際には、当時は絵の売買が証券取引のようになっていた。
絵画ビジネスは、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロのような画家彫刻家がまだ『業者』扱いしかされていなかったルネッサンスから、画商という新ビジネスを生んだ宗教改革を経て、美術館が誕生するフランス革命までの道のりを歩み、印象派の登場による絵画バブルを待たねばならなかった。本書は、その富と名声の秘密を、ピカソのカリスマ的な人格と美術市場の歴史に照らして読み解くことを通して、難解な作品が巨額の利益を生み出す現代のアートのからくりを解き明かしている。本人の才能(絵、人心掌握)はもちろん、生まれたタイミングの良さが世界の芸術家になることができた理由の一つだろうと感じさせる内容だった。
美術館は、フランス革命後、王侯貴族からまきあげた絵画彫刻を市民を教育するためとして作られた。そこに集められたことで、王宮美術、教会美術から「役割」を奪い、絵は自己表現となった。そこから個性的なタッチ、技法の絵が増えてきた。
本書では、本のように美術館を持っていない文化では、「美」は生活を取り巻く環境との関わりから感じ取るものとしてあり、ただ鑑賞するだけの「美術」という概念がないとする。この点に関しては、東洋では絵画と書を区別していなかったところから、西洋化以前は芸術という概念が生じなかったとする考えもある。
なお、近代絵画は写真に対抗して写実描写を放棄した。当時の画家たちの写真への危機感は想像を上回るものがあり、ピカソの時代に至ってなお真剣であった。印象派は「手」の痕跡の強調、後期印象派は「個性」の強調、二十世紀絵画の特色は芸術的な主義主張(イズム)である。
関連記事
-
-
自然観光資源と沿岸風景(概論)
1 風景観の変化 自然を見る視点が移動手段の発達により変化し、沿岸の風景観も変化してきた 。移
-
-
『枕草子つづれ織り 清少納言奮闘す』土方洋一 紙が貴重な時代は、日記ではなく公文書
団塊の世代が義務教育時代に学修したことの一部が、その後の研究により覆されている。シジュウカラが言
-
-
『維新史再考』三谷博著 NHKブックス を読んで
p.4 維新というと、とかく活躍した特定の藩や個人、そして彼らの敵役に注目しがちである。しかし、こ
-
-
観光資源創作と『ウェールズの山』
観光政策が注目されている。そのことはありがたいのであるが、マスコミ、コンサルが寄ってたかって財政資金
-
-
○『公研』2015年9月号「世界のパワーバランスの変化と日本の安全保障」(細谷雄一)を読んで
市販はされていないが、毎月送られてくる雑誌に公益産業研究調査会が発行する『公研』という雑誌がある。読
-
-
『徳川家康の黒幕』武田鏡村著を読んで
私が知らなかったことなのかもしれないが、豊臣家が消滅させられたのは、徳川内の派閥攻勢の結果であったと
-
-
『カジノの歴史と文化』佐伯英隆著
IRという言葉の曖昧さ p.198 シンガポールにしても、世界から観光客を集める手法として、
-
-
観光資源としての明治維新
NHKの大河ドラマは、源平合戦、関ケ原の戦い、明治維新が三大テーマのように思うが、観光資源としての価
-
-
現代では観光資源の戦艦大和は戦前は知られていなかった? 歴史は後から作られる例
『太平洋戦争の大誤解』p.183 日本人も戦前はほとんど知らなかった。戦後アメリカの報道統制
-
-
🌍🎒シニアバックパッカーの旅 動画で見る世界人流観光施策風土記 モンゴル紀行 メモ書き シャーマン動画 トナカイ解体動画
ツァータン族の居住地の4泊分は、通訳代、移動費を別にして、180万ツグルであった。 ツァーマン