*

田口亜紀氏の「旅行者かツーリストか?十九世紀前半フランスにおける“touriste”の変遷」(Traveler or “Touriste”? : Distinctions in Meaning in Nineteenth Century France)共立女子大学文芸学部紀要2014年1月を読んで

2015年4月15日のブログに「羽生敦子立教大学兼任講師の博士論文概要「19世紀フランスロマン主義作家の旅行記に見られる旅の主体の変遷」を読んで」を掲載しておいたところ、読者k氏から田口氏の論文を紹介されさっそく読んでみたところである。

この論文は、英語であるtouristが外来語としてフランスにわたりフランス語として受け入れられてゆく過程を辞書や文学作品等をもとに解明している論文である。田口氏の言葉を借りれば「本稿ではフランス十九世紀中葉までの文献、特に旅行記に現れる(voyageur) と(touriste) の語を拾い上げ、(touriste)の語に付与された意味を検討する。1830年代後半から1840年前半にかけての時期はヨーロッパにおける近代ツーリズムの勃興期とされるが、この時期の(touriste)の指示対象を丹念に追うことで、当時変わりつつある旅のしかたを概観することができるだろう」ということである。

私がこのブログでもお願いしているように、外国語の字句「Tourist」が日本に紹介されていったときに、どのようにして日本語の字句「ツーリスト」、字句「観光(客)」とシンクロナイズしていったのかという課題についても、是非若手研究者の手で解明してもらいたいと思っている。田口氏の分析のとおり「英語からの借用だった(touriste) は、フランス語への導入時にはイギリス圏内を旅するイギリス人旅行者を、やがてフランス、スイス、イタリアを旅するイギリス人を指すようになった」ということをそのまま我が国に当てはめれば、「tourist」に付与される意味はイギリス人に代表される西洋人であり、そのまま字句「ツーリスト」と表記したということになる。ジャパン・ツーリスト・ビューロは西洋人のためのものであり、国際観光局も外貨を持っている西洋人のためのものであるから「観光客」とは日本を訪れる西洋人ということになる。

文学について知識のない私には、(voyageur) と(touriste)の緊張関係への理解に乏しいのであるが、田口氏も羽生氏と同様にこの関係を詳しく論述している。(voyageur) も(touriste) も「旅する者」を意味するのであるが、そこには田口氏の言葉を借りれば「ツーリストは格下だというニュアンスが読み取れる。団体旅行は羊の群れに例えられたり、パッケージ旅行への参加を商品購入という消費活動の一環とされたりして、「ツーリスト」には分が悪い。」ということのようである。

田口氏によれば(touriste)の語が辞書で定義され始めるのは十九世紀後半であり、(touriste)の語は、1872年のアカデミー・フランセーズの辞書には未所収であるが、1875年刊行の「十九世紀ラルース辞典」には登場しているとのことである。我が国の辞書における観光関連用語の出現等ついては2015年6月14日及び17日のブログで紹介しておいたように、19世紀末にTouristは出現しているが観光との関係は不明である。そもそもtourismの出現が1930年代になってからである。なお1895年『和訳英字彙』(蔦田豊著、大蔵書店発行)においてtouristの対訳に「山川ヲ跋歩スル人」とある意味は田口氏の論文を読んで理解できたところである。

フランスの辞書の定義は十九世紀後半に、近代観光が成立した状況を前提にしている。田口氏は「世紀後半には、産業革命の成熟、鉄道や蒸気船の発達、宿泊施設の増加、万国博覧会の開催、観光協会の設立、トーマス・クックによる団体旅行の開始などの要因によって、観光文化が成り立ち、観光が人びとの聞に浸透し、旅に対する意識が大きく変化した。1860年頃には鉄道の発展とともに旅が身近になり、レジャーが人びとの生活に組み込まれていくと、次第に旅行者のコノテーションも変化していく。(touriste)の語が多用されるようになると(voyageur) との境界が唆味になり、現代における観光の認識へとつながっていくだろう」と締めくくっている。我が国の近代観光の成立が南進助等の試みに求められるとするならば二〇世紀初頭のことであり、1911年『辞林』(金沢庄三郎編三省堂発行)への字句「観光」の登場も理解できるのである。

関連記事

no image

冒険遺伝子(移動しようとする遺伝子) 『科学技術のフロントランナーがいま挑戦していること』川口淳一郎監修 

P.192 高井研 ドーパミンD4受容体7Rという遺伝子 一時期「冒険遺伝子」として注目された こ

記事を読む

no image

Transatlantic Sins お爺さんは奴隷商人だった ナイジェリア人小説家の話

https://www.bbc.co.uk/programmes/w3cswg9n BBCの

記事を読む

no image

2016年3月6日7日熊本県人吉市での肥後交通・オフサイトミーティング参加の旅

システムオリジン、チームネクストの仕事で、肥後交通が毎年実施している従業員のための研究会を視察する機

記事を読む

no image

『金語楼の子宝騒動』(「あきれた娘たち」縮尺版)少子高齢化を想像できなかった時代の映画

1949年新東宝映画 私の生まれた年である。嫁入り道具に風呂敷で避妊薬を包むシーンがある。優生保護

記事を読む

no image

高木由臣 公研2019.1月「ゾウリムシ研究でたどり着いた『私の生命観』」

生命とは死なないのが本来の姿であり、死ぬことができるように進化した どうして? どのように?

記事を読む

no image

マザーテレサ 歴史は後から作られる例

マザーテレサについて、ウィキペディアは、正反対の記事を二つ載せている。 スコピオを旅行したと

記事を読む

no image

保護中: 米国コロナ最前線と合衆国の本質(4) ~アメリカにおける複数の「国」とも言える文化圏の共存と闘争:合衆国の歴史背景を

2020.07.01 米国コロナ最前線と合衆国の本質(4) ~アメリカにおける複数の

記事を読む

no image

『佐藤優さん、本当に神は存在するのですか?』メモ

竹内久美子×佐藤優 著 文芸春秋 本当に対談で語られたことなのか、発行済みの著作物をもとに編集部が

記事を読む

『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏 』長谷川毅

日本降服までの3ヶ月間を焦点に、米ソ間の日本及び極東地域での主導権争いを克明に検証した本。

記事を読む

no image

2019年9月11日 清華大学やDiDiで考えさせられた無人運転車

筆者の参加しているタクシー事業者等の研究グループ(チームネクスト)で、恒例の海外視察に参加した。

記事を読む

保護中: 『みんなが知りたいアメリカ経済』田端克至著

高崎経済大学出身教授による経済学講義用の教科書。経済、金融に素人の私

no image
『人口の中国史』上田信

中国人口史通史の新書本。入門書でもある。概要〇序章 人口史に何を聴く

no image
Quora ジョージ・フロイドさんが実際に死亡する経緯が録画

地面に押し付けられる前から呼吸が苦しいと訴えているので実際に呼吸ある

no image
『ペストの記憶』デフォー著

 ロビンソン・クルーソーの作者ダニエル・デフォーは、17世紀のペスト

no image
『海軍と日本』 池田清著 中公新書

書評1 ○ 著者は海軍兵学校(73期)卒業、終戦時海軍中尉で潜水艦に

→もっと見る

PAGE TOP ↑