*

田口亜紀氏の「旅行者かツーリストか?十九世紀前半フランスにおける“touriste”の変遷」(Traveler or “Touriste”? : Distinctions in Meaning in Nineteenth Century France)共立女子大学文芸学部紀要2014年1月を読んで

公開日: : 最終更新日:2023/05/30 観光学評論等

2015年4月15日のブログに「羽生敦子立教大学兼任講師の博士論文概要「19世紀フランスロマン主義作家の旅行記に見られる旅の主体の変遷」を読んで」を掲載しておいたところ、読者k氏から田口氏の論文を紹介されさっそく読んでみたところである。

この論文は、英語であるtouristが外来語としてフランスにわたりフランス語として受け入れられてゆく過程を辞書や文学作品等をもとに解明している論文である。田口氏の言葉を借りれば「本稿ではフランス十九世紀中葉までの文献、特に旅行記に現れる(voyageur) と(touriste) の語を拾い上げ、(touriste)の語に付与された意味を検討する。1830年代後半から1840年前半にかけての時期はヨーロッパにおける近代ツーリズムの勃興期とされるが、この時期の(touriste)の指示対象を丹念に追うことで、当時変わりつつある旅のしかたを概観することができるだろう」ということである。

私がこのブログでもお願いしているように、外国語の字句「Tourist」が日本に紹介されていったときに、どのようにして日本語の字句「ツーリスト」、字句「観光(客)」とシンクロナイズしていったのかという課題についても、是非若手研究者の手で解明してもらいたいと思っている。田口氏の分析のとおり「英語からの借用だった(touriste) は、フランス語への導入時にはイギリス圏内を旅するイギリス人旅行者を、やがてフランス、スイス、イタリアを旅するイギリス人を指すようになった」ということをそのまま我が国に当てはめれば、「tourist」に付与される意味はイギリス人に代表される西洋人であり、そのまま字句「ツーリスト」と表記したということになる。ジャパン・ツーリスト・ビューロは西洋人のためのものであり、国際観光局も外貨を持っている西洋人のためのものであるから「観光客」とは日本を訪れる西洋人ということになる。

文学について知識のない私には、(voyageur) と(touriste)の緊張関係への理解に乏しいのであるが、田口氏も羽生氏と同様にこの関係を詳しく論述している。(voyageur) も(touriste) も「旅する者」を意味するのであるが、そこには田口氏の言葉を借りれば「ツーリストは格下だというニュアンスが読み取れる。団体旅行は羊の群れに例えられたり、パッケージ旅行への参加を商品購入という消費活動の一環とされたりして、「ツーリスト」には分が悪い。」ということのようである。

田口氏によれば(touriste)の語が辞書で定義され始めるのは十九世紀後半であり、(touriste)の語は、1872年のアカデミー・フランセーズの辞書には未所収であるが、1875年刊行の「十九世紀ラルース辞典」には登場しているとのことである。我が国の辞書における観光関連用語の出現等ついては2015年6月14日及び17日のブログで紹介しておいたように、19世紀末にTouristは出現しているが観光との関係は不明である。そもそもtourismの出現が1930年代になってからである。なお1895年『和訳英字彙』(蔦田豊著、大蔵書店発行)においてtouristの対訳に「山川ヲ跋歩スル人」とある意味は田口氏の論文を読んで理解できたところである。

フランスの辞書の定義は十九世紀後半に、近代観光が成立した状況を前提にしている。田口氏は「世紀後半には、産業革命の成熟、鉄道や蒸気船の発達、宿泊施設の増加、万国博覧会の開催、観光協会の設立、トーマス・クックによる団体旅行の開始などの要因によって、観光文化が成り立ち、観光が人びとの聞に浸透し、旅に対する意識が大きく変化した。1860年頃には鉄道の発展とともに旅が身近になり、レジャーが人びとの生活に組み込まれていくと、次第に旅行者のコノテーションも変化していく。(touriste)の語が多用されるようになると(voyageur) との境界が唆味になり、現代における観光の認識へとつながっていくだろう」と締めくくっている。我が国の近代観光の成立が南進助等の試みに求められるとするならば二〇世紀初頭のことであり、1911年『辞林』(金沢庄三郎編三省堂発行)への字句「観光」の登場も理解できるのである。

関連記事

no image

字句「美術」「芸術」「日本画」の誕生  観光資源の同じく新しい概念である。

日本語の「美術」は「芸術即ち、『後漢書』5巻孝安帝紀の永初4年(110年)2月の五経博士の劉珍及によ

記事を読む

no image

観光資源としての「隠れキリシタン」 五体投地、カーバ神殿、アーミッシュとの比較

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産登録された。江戸時代の禁教期にひそかに信仰を続け

記事を読む

no image

「DMO」「着地型観光」という虚構

DMOという新種の言葉が使われるようになってきていますが、字句着地型観光の発生と時期を同じくします。

記事を読む

no image

『インバウンドの衝撃』牧野知弘を読んでの批判

題名にひかれて、麻布図書館で予約をして読んでみた。2015年10月発行であるから、爆買いが話題の時代

記事を読む

no image

メンタル統合 

人類の文化的躍進のきっかけは、7万年前に起きた「脳の突然変異」だった:研究結果 https:

記事を読む

no image

『ダークツーリズム拡張』井出明著 備忘録

p.52 70年前の戦争を日本側に立って解釈してくれる存在は国際社会では驚くほど少ない・・・日本に

記事を読む

no image

人流観光学の課題(AI活用)江戸時代の旅日記、紀行文はその9割以上が解読されていない。「歴史学の未来 AIは膨大な史料から 何を見出せるか?」

江戸時代の旅日記、紀行文は2%程度しか解読されていない(『江戸の紀行文』板坂曜子)。古文書を読む人手

記事を読む

no image

グアム・沖縄の戦跡観光論:『グアムと日本人』山口誠 岩波新書2007年を読んで考えること

沖縄にしろ、グアム・サイパンにしろ、その地理的関係から軍事拠点としての重要性が現代社会においては認め

記事を読む

no image

自動運転車とドローン

渋谷のスクランブル交差点を見ていると、信号が青の間の短い時間に、大勢の人が四方八方から道路を横断して

記事を読む

no image

観光学が収斂してゆくと思われる脳科学の動向(メモ)

◎ 観光学が対象としなければならない「感情」、「意識」とは何か ①評価をする「意識」とは何か

記事を読む

PAGE TOP ↑