シニアバックパッカーの旅 2022年4月26日 イタリア特別自治州㉜サルディニア島
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最終更新日:2023/05/25
シニアバックパッカーの旅
空港到着。サルジニア島は四国と同じくらいの大きさ。しかし、言語をはじめ独自文化があり、憲法も規定する独立自治体。アオスタと同じだ。今回は五つの独立自治体をまわる予定。
街までのバスがきたが、切符を買ってないと乗れないと言われ、その間に出発してしまった。まあ、予定の一時間後のバスに乗れば良いていうことで、空港内で食事。いつものクロワッサンとカプチーノで4.1€ 相場だが、ペットボトルの水1.8€はスーパーで買えば0.7、駅のマシンでも1€だから高いが、外では、こんなもの。
11時のバス1.3€で、アルゲヒロ。港と古城があるが、それだけ。切符は機械売り場だけ、親切なタクシードライバーがいて切符を買ってくれる。サッサリまで3.1€。
サッサリはバスステーションに到着。サンタテレサガウラいきの切符売り場と乗場を尋ねると、すぐに出るバスがあるとあんないされてしまった。二時間半の長旅なので、次のにしようかと一瞬迷ったが、サッサリも格段みるところもなさそうなので、先を急ぐことにした。6.7€
サッサリをでて、直ぐにソルソという趣きのある街を通過。車内にエディマーフィーばりに早口でまくし立てて電話しているアフリカ系。うるさいが何言っているかわからないので、それほど苦痛ではない。
バスに揺られて二時間半、サンタテレサガウリアバスターミナルに到着。しばらく観察して、やはり方向感覚がつかめないので、二時間百円払ってデータ通信回復。スーとgoole mapが機能し、bookingcomの宿はすぐみつけたが、鍵がかかっている。やはり民宿か。街の広場に面した道から三軒ほど中に入ったところで便利なところ。しばらく広場で休憩。英気を養い明日はコルシカ往復。
https://photos.google.com/album/AF1QipPBcb5H93qA4cen0fxi3LKzpCz5OztvuoOeRv3s
旅行準備資料
◎Alghero・Sassari間バス時刻表





4月26日航空券
◎Sassari


◎OLBIA


◎Santa Teresa Gallura – Italy
◎ Santateresa・Olbia間バス路線
時刻表pdf http://www.arstspa.info/601.pdf

◎「まだ生きているのは奇跡」サルデーニャ島で発生した山火事の爪痕 2021.8.09 観光事業と農業に強く依存した地域にとって、今回の火事は壊滅的な打撃である

◎ユネスコ無形文化遺産にも認められたサルデーニャ島の倍音唱法によるカント・ア・テノーレとは?
カント・ア・テノーレ、あるいはテノーレス(Tenores)はサルデーニャに伝わるリードボーカルと3つの低音部による男声のポリフォニー(多声合唱)。2005年にユネスコの無形文化遺産に指定されたテノーレスは喉音を使った倍音唱法で、モンゴルやトゥバ共和国など中央アジアでも見られる唱法と似ているが、男声合唱の形式を取っているのはサルデーニャだけ。特に牧畜の盛んなサルデーニャ内陸の山岳地帯バルバジア(Barbagia)で、動物の声(牛や羊)や自然の音(風や雷)などを真似て、羊飼いが集まって歌い始めたことが発祥ではないかと言われている。
タリアのサルデーニャ島、バルーミニ村にあるスー・ヌラージ・ディ・バルーミニは紀元前15世紀前後から建てられたヌラーゲの巨大な城塞、塔、集落、防壁などの大集合体で、先史時代の建築例として大変重要です。
ヌーゲラという石造りの円錐形の塔は3層のタワー構造になっています。サルデーニャ島では紀元前2000年前から青銅器時代の頃にヌラーゲとよばれる巨石を円筒・円錐状に積み上げたこの島独特の要塞構造の建物が、先住民族により造られていました。
イタリアには他にも、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレやアグリジェントの遺跡地域などもありますが、この時代の古い遺跡はなお希少なものとなっています。1997年に、世界文化遺産に登録されました。

イタリア本土との歴史的・地理的・文化的な差異が大きいことから特別自治州という位置づけ、海外領土(植民地)ではなく、あくまでも本国の一部サルデーニャ自治州を構成。イタリアに5つある特別自治州(フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア、サルデーニャ、シチリア、 トレンティーノ=アルト・アディジェ、ヴァッレ・ダ・オスタ)。州都はカリャリ、面積は24,090km2(四国の1.3倍)、人口165万人(同じく45%)
サルデーニャ島の社会基盤の開発は遅れていたが、19世紀初期にカルロ・フェリーチェによる統治のもと、南のカリャリから北のサッサリに至る島の大動脈が建設され、いまでも彼の名がこの道につけられている。1861年にサルデーニャ王国がイタリア統一を果たして国名を「イタリア王国」と改めた。1883年にはカリャリからサッサリまでの鉄道が開通した。第二次世界大戦後、石炭の重要性は低下し、観光業が盛んとなった。雇用を創出するための様々な施策は、安価な労働力をもっても埋め合わせることの出来ない高い運送費のために、これまでのところうまくいってはいない。サルデーニャ州は、州法で住民に “popolo”(固有の民族集団)という用語を用いている2つの州のうちのひとつである。もうひとつの州であるヴェネト州(ヴェネツィア語話者が多い)における規定は国法に根拠をもつものではないが、特別自治州であるサルデーニャ州の規定は国法に根拠を持つ。なお、いずれのケースにおいても、ほかのイタリア国民(市民)との間に権利の差異をもたらす法的な意味は持たないとされる。
イタリア全土で公用語とされているのはイタリア語であるが、サルデーニャではサルデーニャ語(Sardu)が広く使われている。
サルデーニャ語はイタリア語などと一緒に、同じくラテン語を起源とするロマンス語に属する言語であるが、決して「イタリア語の方言」(言語変種)であるわけではない。この言葉はカタルーニャ語やスペイン語の影響を受けており、土着のヌラーゲ文化を経由してフェニキア語からの影響も受けているとも考えられている。公的文書での使用はイタリア語によって行われているが、2006年に州政府は公文書に用いるためのサルデーニャ語の規範 (it:Limba Sarda Comuna) を制定している。

サルデーニャ料理 (it:Cucina sarda) は、イタリア料理のほか、アラブや北アフリカなどの料理の影響を受けて発展した。豊富な海産物や、島において牧畜される羊の肉などが主要な食材として用いられる。2010年にユネスコの無形文化遺産に指定された「地中海の食文化」 (Mediterranean diet) の一部を構成する。
港湾に発着するフェリーは、イタリア本土(チヴィタヴェッキア、ジェノヴァ、リヴォルノ、ナポリ、ピオンビーノ)、シチリア島(パレルモ、トラーパニ)、フランス本土(マルセイユ、トゥーロン)、コルシカ島(ボニファシオ、プロプリアノ、アジャクシオ)、スペイン(バルセロナ)などの諸港湾との間を結んでいる。コルシカ・サルディニアはBonifacio Santa Teresa di Gallura 1時間35ドル 日に数便あり。olbiaとローマCivitavecchiaとは6.5時間65ドル 一日1便
地元の船会社としてはサレマール社 (Saremar) があり、サルデーニャ本島と離島(ラ・マッダレーナ諸島、サンピエトロ島など)とを結んでいる。
SASSARI
◎サルジニア鉄道

○イタリアのロビンソンクルーソー
32年にわたり、イタリアのブデッリ島にたった一人で暮らしてきたマウロ・モランディ氏が、ついに島を去る。1年前、世界が新型コロナウイルスの蔓延で隔離生活を強いられるようになった時も、自ら孤立を選んでいたモランディ氏は、生活を変える必要がなかった。氏が島にやって来たのは1989年のこと。モランディ氏の双胴船は、地中海に浮かぶサルデーニャ島とコルシカ島の間でエンジンが故障して漂流、ブデッリ島に流れ着いた。そこで出会った島の管理人が2日後に引退すると聞くと、既に社会に幻滅しきっていたモランディ氏は、船を売って管理人の仕事を受け継いだ。それから32年、「イタリアのロビンソンクルーソー」は島の唯一の住人であり管理人として暮らしてきた。そして今回、長年にわたる当局からの立ち退きの求めに応じ、彼は自身のポストを放棄することに決めた。

「私がこの島で最も愛するものは、静けさです。冬の間、嵐もなく、周囲に誰もいない静けさ。そして、夏の夕暮れ時の静けさもまた好きです」とモランディ氏。(Photograph by Michele Ardu)[画像のクリックで別ページへ]
「ここで死に、遺灰は風にまいてもらいたい」
マッダレーナ諸島国立公園は7つの島からなり、ブデッリ島はその中でも最も美しい島と言われている。イタリア語で「ピンク色のビーチ」を意味する、スピアッジャ・ローザと呼ばれる世にも珍しいバラ色の砂浜があるからだ。色の正体はサンゴや貝殻の微細な破片で、激しい波にもまれ、長い時間をかけて細かく砕かれたものだ。1990年代初め、イタリア政府はスピアッジャ・ローザを「高い自然的価値」のある地域に指定した。ビーチは、そのデリケートな生態系を保護するために立ち入り禁止となり、訪問者はごく一部の限られた場所しか入ることが出来なくなった。それ以来、1日数千人の観光客が訪れていたこの島から、あっという間に人の姿が消えた。2016年、島の所有権をめぐるニュージーランドの実業家とイタリア政府の3年間に及ぶ法廷闘争の末、裁判所はブデッリ島がマッダレーナ諸島国立公園に属すると判決を下した。同じ年、公園がモランディ氏の島での居住権を問題にすると、反発の声が上がった。モランディ氏への立ち退き命令に反対する1万8000人以上の署名が集まり、その結果、地元の政治家は彼の立ち退きを無期限で延期せざるを得なくなった。しかし、2021年4月25日、モランディ氏は、公園当局からの立ち退き圧力を受けて月末に島を去ることに決めたと、Facebookのフォロワーに伝えた。ギャラリー:モランディ氏、32年間にわたる島での孤立生活 写真13点(画像クリックでギャラリーへ)

スピアッジャ・ローザ(ピンク・ビーチ)の砂の色は、波にもまれて細かく砕かれたサンゴや貝殻によるもの。(Photograph by Michele Ardu)[画像のクリックで別ページへ]「ここで死に、荼毘に付され、遺灰は風にまいてもらいたいと願っています」と、81歳のモランディ氏は語る。彼は、全ての命は最終的には地球と一体となる運命にあり、私たちは皆同じエネルギーの一部なのだと信じている。古代ギリシャのストア派哲学は、これを共感(シュンパテイア)と呼ぶ。宇宙は分けることのできない一体化した有機生命体で、永遠に流動を続けるという概念だ。

タリアのサルデーニャ島、バルーミニ村にあるスー・ヌラージ・ディ・バルーミニは紀元前15世紀前後から建てられたヌラーゲの巨大な城塞、塔、集落、防壁などの大集合体で、先史時代の建築例として大変重要です。ヌーゲラという石造りの円錐形の塔は3層のタワー構造になっています。サルデーニャ島では紀元前2000年前から青銅器時代の頃にヌラーゲとよばれる巨石を円筒・円錐状に積み上げたこの島独特の要塞構造の建物が、先住民族により造られていました。イタリアには他にも、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレやアグリジェントの遺跡地域などもありますが、この時代の古い遺跡はなお希少なものとなっています。1997年に、世界文化遺産に登録されました。
◎アカバドーラ。サルデーニャ島の安楽死
アカバドーラとは、末期患者の親族に呼ばれ、その患者の苦しみを終わらせるために死を施す女性のことである。これは死にゆく者への哀れな行為であると同時に、親族の生存のために必要な行為であり、特に裕福でない社会階層にとっては、医者から何日も離れた小さな町では、病人の長く耐え難い苦しみを避けるために必要な行為であった。
ドアが開くと、死に逝く者は苦悶の床から黒い服を着て顔を覆った彼女が入ってくるのを見て、自分の苦しみが終わりつつあることを理解するのです。
病人を枕で押さえつけるか、「ス・マゾル」という一撃で死に至らしめるのである。
そして、病人の親族は、親族への奉仕に深く感謝し、その土地で採れた作物を献上するのである。
ほとんどの場合、その一撃は額に向けられた。
「accabadora」は、スペイン語の「acabar」(終了する)に由来する言葉です。
死の施しに使われる「ス・マゾル」とは、オリーブの枝で特別に作られた棒の一種で、長さ40センチ、幅20センチ、しっかりと正確に握れるような持ち手がついている。
サルデーニャ島では、数十年前まで、特に島の中北部で「アカバドーラ」が行われていた。1929年にルラスで、1952年にオルゴソロで発生した「アカバドーラ」のエピソードが最後に知られている。記録に残るものだけでなく、口伝や家族の思い出に託されたものも少なくない。祖父や曾祖父が黒服の女性と何か関係があったと記憶している人も多いだろう。
出産を助ける助産師がいたように、死を助けるアカバドーラがいた。彼女の存在は常に自然な事実と考えられてきた。また、助産師と同一人物であることが多く、服装の色(死をもたらす場合は黒、生をもたらす場合は白または光)で任務を区別していたとさえ言われている。
この姿は、社会文化的、歴史的な現象の表れであり、サルデーニャの小さな農村における安楽死の実践は、サルデーニャ人が生命の自然のサイクルの締めくくりとして考えていた死との関係と結びついているのだ。
イタリア版QuoraよりS’ACCABADORA. Eutanasia in Sardegnahttps://viaggiareconlentezza.quora.com/SACCABADORA-Eutanasia-in-Sardegna
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